戦百景 大坂夏の陣完全ガイド⑤

文字数 1,668文字

日本の歴史に残る有名な合戦を活写&深堀りして大好評の矢野隆さんの「戦百景」シリーズ

第8弾は、戦国時代の終焉を飾る大合戦を描いた『戦百景 大坂夏の陣です!


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「戦百景」シリーズ好評既刊

第1弾『戦百景 長篠の戦い』は「細谷正充賞」を受賞!

第2弾『戦百景 桶狭間の戦い』

第3弾『関ヶ原の戦い』

第4弾『川中島の戦い』

第5弾『本能寺の変』

第6弾『山崎の戦い』

第7弾『大坂冬の陣』


大坂夏の陣トリビアコラム、第2回目は「大坂五人衆」は豊臣を救えるか!〉を掲載します。

これから読む方にも、読んだ方にも、そして大河ドラマを楽しみたい方におすすめの、物語をより楽しむための作品ガイドです!

「大坂五人衆」は豊臣を救えるか!


 1614年、いざ豊臣と徳川が手切れになると、期待された豊臣恩顧の大名は大坂城には1人も現れなかった。結局、城に入場したのは10万の牢人と、関ヶ原の戦いの敗軍の将たち。中でも部隊長格とされたのは、真田信繁長曾我部盛親毛利勝永後藤又兵衛明石全登の5人。世に言う「大坂五人衆」だ。


 真田信繁は関ヶ原の戦いのとき、父・昌幸と上田城に籠城し、徳川本隊を率いる徳川秀忠を足止めにしたことで勇名を馳せた。1万9千石の大名でもあった。長曾我部盛親は土佐22万石の太守だったが、関ヶ原では吉川広家の近くに布陣したため、一戦も交えずに改易となった。毛利勝永は豊前の1万石の大名。後藤又兵衛は黒田長政の元家臣で1万6千石、明石全登(てるずみ)は宇喜多秀家の家臣で10万石、といったところ。


 さて大坂冬の陣が始まると戦いは籠城戦となり、特に城の南方に作られた出城「真田丸」で真田信繁が大活躍を見せるが、徳川方は城の北方・備前島から大筒で砲撃。東西和議の交渉を優利に進める。戦況で優勢だったにも拘わらず、惣堀を埋めるなど不利な条件の和議に牢人衆は反対するが、冬の陣の和議が成立する。淀殿や、実権を握る大野治長らの信認が五人衆には全くなかったからだ。その後、裸城となった大坂城を枕に5人は討死する(全登は行方不明)。


 冬の陣の和議が間違いだったことは後の歴史が証明する。もう少し五人衆の意見が尊重されて、あとちょっと戦を長引かせることができていたら、戦国時代の歴史は変わっていただろう。なぜなら、夏の陣からわずか1年後に家康は病死したのだから。


慶長20年(1615年)3月、戦乱の気配が再び漂い始める。前年の暮に成った、いわゆる「大坂冬の陣」の和議が早くも崩れようとしていた。和議の条件で棄却された二の丸、三の丸の堀や柵が再建され始めていたのだ。それに対し徳川方は、牢人の解雇か豊臣家の移封を求めるが、豊臣家はそれを拒否。徳川と豊臣はついに手切れとなった。総勢15万を下らない徳川方に対し、豊臣方はその約半分。しかも「冬の陣」のときと違って、堀のない城では豊臣方は打って出るしかないのだ。──緒戦で命を懸けて戦う後藤又兵衛や藤堂高虎、浅野長晟。豊臣を滅亡させることを躊躇う徳川家康。牢人衆を制御できない大野治長。乾坤一擲を狙う真田信繁。呪縛を乗り越えようとする豊臣秀頼。諸将の思惑が入り乱れるなかで、いよいよ戦乱の世に終止符が打たれる!

矢野隆(やの・たかし)

1976年福岡県生まれ。2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞。その後、『無頼無頼!』『兇』『勝負!』など、ニューウェーブ時代小説と呼ばれる作品を手がける。また、『戦国BASARA3 伊達政宗の章』『NARUTO-ナルト‐シカマル新伝』といった、ゲームやコミックのノベライズ作品も執筆して注目される。また2021年から始まった「戦百景」シリーズ(本書を含む)は、第4回細谷正充賞を受賞するなど高い評価を得ている。他の著書に『清正を破った男』『生きる故』『我が名は秀秋』『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』『大ぼら吹きの城』『朝嵐』『至誠の残滓』『源匣記 獲生伝』『とんちき 耕書堂青春譜』『さみだれ』『戦神の裔』『琉球建国記』などがある。

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