山谷を舞台に人間のありのままを描く力作/『マイホーム山谷』

文字数 1,304文字

どんな本を読もうかな――。

そんな悩みにお答えすべく、「ミステリー」「青春・恋愛小説」「時代小説」「エッセイ・ノンフィクション」のジャンル別に、月替わりで8名の選者が「今読むべきこの1冊」をオススメ!


今回は高橋ユキさんがとっておきのエッセイ・ノンフィクションをご紹介!

高橋ユキさんが今回おススメするエッセイ・ノンフィクションは――

末並俊司著『マイホーム山谷』

です!

東京メトロ日比谷線の南千住駅南口を出て数百メートル、泪橋交差点の先に、いわゆる山谷のドヤ街はある。かつては日雇い労働者たちの送り出し元として機能していたが、現在では、元労働者や路上生活者らを受け入れる街へと変化している。


2002年にこの街に設立された「きぼうのいえ」は、路上生活者や生活困窮者を積極的に受け入れ、スタッフたちが家族のように入居者の心に寄り添うホスピス施設だ。


創設者・山本雅基さんは妻の美恵さんと二人三脚で「きぼうのいえ」を運営してきた。夫妻の献身的な活動はさまざまなメディアに取り上げられ、2010年公開、山田洋次監督の映画『おとうと』には「きぼうのいえ」をモデルにした施設が登場。同年末にはNHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』までもが「きぼうのいえ」を特集した。


〈山本さんのことを山谷のオスカー・シンドラー、妻の美恵さんを山谷のマザー・テレサと呼ぶ人もいた〉という。


対する著者は雑誌ライターとして取材に訪れた山谷に関心を持ち、その後もボランティアに参加するなど、街と関わり続けてきた。両親が相次いで要介護状態となったことをきっかけに、介護の資格を取得。取材の軸足も介護や福祉へと変化していくなか、立て続けに両親を亡くす。初めて山本さんを訪ねたのはこの頃だった。ところが彼は「きぼうのいえ」の理事を退任しており、また妻の美恵さんは、『プロフェッショナル』放送翌日に「きぼうのいえ」から姿を消していたのだった。


山本さんは生活保護を受給しながら自宅で一人暮らし。また重い統合失調症の症状があった。かつて山谷のシンドラーと呼ばれた彼に一体何があったのか。


「僕をサンプルにして、この山谷という街を表現してみてくれないか」


こう山本さんに言われた著者は、支援する側からされる側になった彼と深く関わり合いながら取材を続けてゆく。


『プロフェッショナル』放送後の山本さんの歩みを丹念に追うことで、独自に進化した介護福祉システムが浮かび上がる。それは〈困っている人のために何かをしたい人〉が自然と集まる山谷という街でしか成立し得ないものだった。


著者は終盤に張り込みの末、美恵さんを探し出す。「きぼうのいえ」から突然姿を消したのはなぜか。当時抱えていた苦悩は、彼女自身、10年を経てもなお、どこかふんわりとしている。だがその不確かさこそが、人間なのだろう。

この書評は「小説現代」2022年8月号に掲載されました。

高橋ユキ(たかはし・ゆき)

1974年生まれ。女性の裁判傍聴グループ「霞っ子クラブ」を結成(現在は解散)。『あなたが猟奇殺人犯を裁く日』などを出版。著書に『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』『暴走老人・犯罪劇場』『つけびの村』『逃げるが勝ち』。

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