2022年、私はひたすら東京五輪を延期させている

文字数 1,181文字

 2019年、私は小説の中でひたすら東京五輪のことを書いていた。2020年夏の五輪に向けて邁進する登場人物達と共に、私も五輪を待ち望んでいた。スポーツ小説を書く者として自国開催の五輪は特別だった。このタイミングで五輪を描いたスポーツ小説を何本も送り出せる幸運に感謝していた。
 2022年、私は小説の中でひたすら東京五輪を1年延期させている。東京五輪に合わせて刊行した単行本が、文庫化の時期を迎えているからだ。「小説をそこまで現実に合わせなくても……」という声もあったが、こうも状況が変わってしまっては、パンデミックのない世界があまりに「作りものらしい作りもの」に見えてしまった。
現実の五輪が2021年開催になったから仕方がないのだが、「さあ、東京五輪だ!」という展開で終わった物語のエピローグを、「……そんなこともありましたが、パンデミックで五輪は延期です。なんやかんやで今は2021年です」と改変するのは、なかなか悲しい作業だ。
 しかも、現実の東京五輪は競技のほとんどが無観客開催だった。マラソンや競歩といったロード開催の競技も、沿道での応援・観戦に自粛要請が出た。夢の五輪を駆け抜ける選手達、応援する仲間達――なんてスポーツ小説に相応しいラストシーンを描くことは叶わない。
『競歩王』のエピローグもそうだった。五輪を目指す競歩選手達を側で見守ってきた主人公が、まさか札幌のレース会場で観戦することが許されないとは。テレビ観戦では味気ないし、自粛要請を破って堂々と沿道で応援するタイプの主人公でもない。
 新しいエピローグは苦肉の策として捻り出した。ところが、いざ書いてみると不思議なほどにしっくりときた。パンデミックで世界がこうも変わってしまったのなら、『競歩王』がこういう終わり方をするのもまた必然なのだと、改稿を終えてつくづく感じた。
 それでも、五輪から1年がたとうとする今もなお、『競歩王』の主人公と同じことをときどき思う。
「行きたかったなあ……行きたかったよ、札幌……」



額賀澪(ぬかが・みお)
1990年、茨城県生まれ。日本大学芸術学部文芸学科卒。2015年に『屋上のウインドノーツ』で第22回松本清張賞を、『ヒトリコ』で第16回小学館文庫小説賞を受賞。’16年『タスキメシ』が第62回青少年読書感想文全国コンクールの課題図書(高等学校部門)に選ばれる。その他の著書に『転職の魔王様』『完パケ!』『風は山から吹いている』『カナコと加奈子のやり直し』『ウズタマ』『世界の美しさを思い知れ』『弊社は買収されました!』など。

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