第3回 英国編
文字数 1,343文字
行きかふデブもまた旅人なり。
おいしいカツカレー、召し上がってますでしょうか。こんにちは、OKB106㎏と申します。
今回は、英国史上に名高い太った王と、彼らが登場する作品をご紹介したいと思います。
ちょいとデブに詳しい人ほど「西のデブには深みがない」などと乱暴なことをおっしゃいますが、それこそ、半可通というもの。
いったん欧州史を繙けば、「肥満王」や「肥満公」などの異名を持つ、ノーブルなおデブちゃんが目白押し。禅味も俳味もある、味わい深い肥満漢がいるのです。
肥満に悩む私を大いに慰めた、紳士の国のデブ巨星たちを、皆様もどうぞ応援してください。
ウィリアム1世
(1027~1087)
いわずと知れたコンケスト・デブ。
ノルマンディー公にしてイングランド王。通称「征服王」。現イギリス王室の開祖である。
フランス王フィリップ1世が、ウィリアムの肥満したお腹を揶揄して「出産間近」と陰口を叩いていることを知り、激昂。病をおして国境地帯に侵攻した。
市民を虐殺したり、街を焼き払ったりして溜飲を下げていたが、乗馬が躓き、その突き出たお腹を鞍の前部で痛打。結局、それが癒えず死亡したという。
葬儀中、その肥満した遺体を無理やり石棺に詰め込もうとすると、お腹が裂けて猛烈な異臭が発生。参列者は皆、逃げ出したと伝えられる。
デブ破れて山河あり。
『中世英仏関係史1066-1500 ノルマン征服から百年戦争終結まで』朝治啓三ほか/編著(創元社)
『ウィリアム征服王の生涯』ヒレア・べロック/著(叢文社)
『カペー朝 フランス王朝史Ⅰ』佐藤賢一/著(講談社)
ヘンリー8世
(1491~1547)
いわずと知れたバツ4デブ。
身長182㎝。推定体重145㎏。好物はイチゴと肉。
44歳の時、馬の気持ちも考えず馬上槍の試合に出場。馬が倒れ落馬、失神した。2時間後に目を覚ましたが、以降ますます肥満。晩年は近習の者たちが担ぐ輿に乗って城内を移動し、その姿はまるで邪教徒の偶像のようだったという。
ヘンリー8世といえば、ローマ教皇に抗ってまで最初の妻と離婚し、その後も再婚、離婚を繰り返したことで知られる。
・一人目の妻 結婚から20年で離婚。その後は幽閉。
・二人目の妻 結婚から3年ほどで離婚。その後は姦通罪などで斬首。
・三人目の妻 のちの国王・エドワード6世(16歳で夭折)を生むが、産褥熱で死亡。
・四人目の妻 結婚前に送られた肖像画と実物の違いにヘンリーが激怒し、半年で離婚。おかげで余生は全う。
・五人目の妻 結婚から1年半後、姦通罪などで斬首。
・六人目の妻 結婚後3年半でヘンリーが死亡したため、無事。
正嫡男子の誕生を求めてのバツ4というが、箍が外れたデブの迫力を感じさせる。
死後数日してヘンリーの遺体は鉛の棺に納められた。だが、翌朝になるとなぜか棺の蓋が開いていたという。遺体から噴出したガスの力によるものと推測されている。
虎は死して皮を留め、デブは死してガスを出す。
『ヘンリー八世』ウィリアム・シェイクスピア/著(筑摩書房)
『チューダー王朝弁護士 シャードレイク』C・J・サンソム/著(集英社)
『イギリス王室物語』小林章夫/著(講談社)