追悼・伊集院静さん/大きくて怖くて優しい

文字数 2,234文字

2023年11月24日、伊集院静さんが73歳で逝去されました。

親交のあった編集者たちが、多くのヒット作を生み出し、また長年文学賞の選考委員として

優れた才能を見出してきた作家・伊集院静さんの思い出を振り返ります。

伊集院 静

1950年山口県防府市生まれ。 ’72年立教大学文学部卒業。’81年「皐月」で作家デビュー。’91年『乳房』で第12回吉川英治文学新人賞、’92年『受け月』で第107回直木賞、’94年『機関車先生』で第7回柴田錬三郎賞、2002年『ごろごろ』で第36回吉川英治文学賞受賞。’14年『ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石』で第18回司馬遼太郎賞を受賞。作詞家として「ギンギラギンにさりげなく」「愚か者」「春の旅人」などを手掛けた。’16年に紫綬褒章を受章。’23年逝去。

大きくて怖くて優しい

塩見篤史(しおみ・あつし)

1999年、講談社に入社。週刊誌編集部を経て、2007年、小説現代編集部に配属。以来、伊集院氏の担当編集を務める。2016~2021年小説現代編集長。 

 大きい人だ、というのが最初の印象でした。入社以来はじめての異動で小説現代に配属され、すぐに担当することになったのが16年前。「大学の後輩です」と挨拶し、だからなんだと言わんばかりに無言で目の奥を覗かれたのを覚えています。


 伊集院さんの担当をすると話すと、何人もの編集者に「あの人は怖いぞ」と言われたものです。実際、目の前にいれば緊張するし、発する言葉には慎重になる。仕事のやりとりのうえで慄く場面もいくつかありましたが、当時は怖いと思う余裕すらなく、毎月の連載の原稿をもらうのにただただ必死でした。


 締切になると、1日か2日をかけ、徹夜で一気に書き上げるのが伊集院さんのスタイルでした。深夜から明け方にかけ、書き上げたところからファックスで送られてくる原稿をひたすら待つ。達筆で認められた手書きの原稿を、一字一句タイピングで清書し、判読が難しい箇所があれば、前後の文脈やわずかに読み取れる部首から想像して埋めていく。そうしていると、森閑とした編集部にファックス機の起動音が響きわたり、また次の原稿が送られてくるのでした。


 3年ほど連載が続くなかで一度だけ、仕事場に入れてもらう機会がありました。最後必ず帳尻を合わす伊集院さんですが、そのときはまったく猶予がなく、定宿の山の上ホテルへ押しかけて原稿を待つことに。少し酔いが入っていた伊集院さんは、ラフな部屋着で机に向かうと、原稿用紙を広げ、一気に書きはじめました。一字一字、鋭く苦しげに息を吐き、刻みつけるように万年筆を走らせていく。一つのマスに2字、つまり2行に2行分を書くので、原稿用紙は小さな文字で埋まっていきます。その様は職人のようでもあり、原稿を書くことは苦行なんだな、とぼんやりと思ったものです。


 それから何年も経って、小説現代の編集長に就くことになった頃、伊集院さんと酒を飲みに行きました。何軒かの店をはしごし、最後は山の上ホテルのバーのカウンター。お互い深く酔い、会話ともいえないようなやりとりをぽつぽつと交わすなか、「俺はおまえのことを一度も怒ったことがない。なぜだかわかるか?」と突然の問いかけがありました。顔を向けると、目はまっすぐにこちらを射抜いている。答えられずに押し黙っていると、こう続いた。


「おまえは俺の子供みたいなものだから、叱らずにずっと見てきた。おまえが編集長になったのが嬉しいよ」


 伊集院さんは一杯だけ飲んで、部屋に引き上げていきました。


 本当に時折、それも酔ったときだけ、直球で心の裡を覗かせてくれる人でした。人たらし、といってしまえばそうかもしれないし、言葉をそのまま受け止めるには感傷がすぎるようにも思います。ただ、ずっと、見てくれているのは感じていました。


 15年にわたって小説現代長編新人賞の選考委員を務めていただきましたが、そこからデビューした後輩たちにも、〝産みの親〟としての眼差しは向けられていました。デビュー後の活躍を報告するたび、「あー、○○くんか。いいものを書くようになったね。もっと書くように言いなさい」と柔らかい声で言う。その言葉を伝えると、作家は驚き、恐縮し、しかし何年後かに「あのときの言葉に背中を押された」と話すのでした。伊集院さんの優しさに気づくには、少し時間が必要だったようにも思います。


 最後にお会いしたのは夏頃。半年で20キロ近く痩せられ、小さくなった身体で、かぼそく、でもいつものように「子供は元気か?」と声をかけてくれました。それからほんの数ヵ月後。心臓を摑まれたままのような寂しさは、いつまで続くのか。


※小説現代2024 1&2 掲載

追悼・伊集院静。

2000万人が泣いた伝説のエッセイ、待望の文庫化!


230万部突破の国民的ベストセラー「大人の流儀」シリーズに連なる、小説家・伊集院静の魅力満載。

悩み、迷い、立ち尽くす――それでも前へ進むための、すべての大人たちへの魂のメッセージ!


めぐる季節とともに思い返す、家族、友、仕事、人生――。誰よりも多くの出会いと別れを経験した著者だから語れる、優しさに満ちた魂のメッセージ。JR東日本の車内誌「トランヴェール」の歴代人気No.1連載「車窓に揺れる記憶」に加え、3.11後のこの国の風景を語った特別エッセイ、角田光代、池井戸潤、中島京子、朝井まかて、塩田武士、加藤シゲアキの6人による追悼エッセイを特別収録。

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