「本能寺の変」完全ガイド④

文字数 1,668文字

日本の歴史に残る有名な合戦を活写&深堀りして大好評の矢野隆さんの「戦百景」シリーズ

第5弾は、日本史上最大の謀反「本能寺の変」を描いた『戦百景 本能寺の変』です!


「戦百景」シリーズとは…

第1弾『戦百景 長篠の戦い』は「細谷正充賞」を受賞!

第2弾『戦百景 桶狭間の戦い』

第3弾『関ヶ原の戦い』

第4弾『川中島の戦い』

と、有名な合戦を深堀りしてリアルタイムで描く、矢野隆さんの人気シリーズ!


今回はそもそも本能寺の変とは…?と、「本能寺の変」についての深堀り解説・第2弾!

これから読む方にも、読んだ方にもおすすめです。

写真/アフロ

信長はどのくらい天下を握っていたのか⁉


 変が起きた天正10年(1582年)の織田信長はどんな状態だったのか。遡ること14年。永禄11年(1568年)に足利義昭の暗躍によって形成された「信長包囲網」はほぼ崩れ去っていた。浅井・朝倉氏は滅亡し、武田信玄は病死、石山本願寺は降伏して、総仕上げが変の起こる3ヵ月前の武田氏滅亡だった。領国としては近畿地方と中部地方のほとんどを押さえた状態。日本の中枢である京がその中に含まれているのだから、「ほぼ天下人」だったのだ。


 さらに現在形でいくと、柴田勝家が攻める北陸の上杉は滅亡寸前、四国の長宗我部へは神戸信孝と丹羽長秀の軍が摂津で渡海スタンバイ中、中国地方では毛利軍と拮抗している羽柴秀吉勢信長自身光秀が加勢するのだから勝利は明白、唯一東の北条とだけ友好関係にあった。


 こんな状態で「ほぼ天下人」の信長が地上から急にいなくなったのだから、歴史のうねりの大きさはすさまじかったに違いない。そのうねりがいいほうに作用したのが秀吉の敢行した「中国大返し」だろう。信長の敵討ちを果たし、後に天下人に上りつめた。逆に負の方向に働いたのが滝川一益のいる関東だった。織田家は甲斐・信濃・上野を一気に失い、一益は失脚した。


 当時の信長がこのような環境にあったことを考えると、「1」で触れた変の原因のなかの野望説に属する「油断説」が説得力を持ってくる。


「戦百景」シリーズが深掘りするのは、天下の趨勢を一夜で変えた「本能寺の変」。

織田信長を斃した明智光秀を突き動かしたものとは!

織田信長と明智光秀。日本史上最大の謎とされる「本能寺の変」の主役二人が出会ったのは案外遅く、永禄11年(1568年)のことだった。信長は美濃の斉藤氏を滅ぼして、尾張を併せた二ヵ国の太守。片や光秀は、次期将軍就任を目ざす足利義秋(のちの義昭)に仕える細川藤孝の家人だった。越前の朝倉家の食客の身に甘んじていた義秋主従は朝倉家当主・義景に愛想を尽かし、やがて信長を頼る。信長と義秋のパイプ役を務めていた光秀は、その後信長の直臣に。それから光秀は出世を重ね、織田家重臣の筆頭格にまで昇りつめる。家臣の中で最初に持ち城・坂本城を与えられ、家中の出世頭となった光秀に転機が訪れる。それは、東の強国・武田氏を滅ぼした年のことだった。天下布武を目前にした信長にどんな変化があったと言うのか。手に入れた織田家中における栄誉を、なぜ光秀は手放す気になったのか。日本史最大の謎を、シリーズ最深の深掘りをして変の真相に迫る、超人気シリーズの書下ろし歴史長編

矢野隆(やの・たかし)

1976年福岡県生まれ。2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞。その後、『無頼無頼!』『兇』『勝負!』など、ニューウェーブ時代小説と呼ばれる作品を手がける。また、『戦国BASARA3 伊達政宗の章』『NARUTO-ナルト‐シカマル新伝』といった、ゲームやコミックのノベライズ作品も執筆して注目される。また2021年から始まった「戦百景」シリーズ(本書を含む)は、第4回細谷正充賞を受賞するなど高い評価を得ている。他の著書に『清正を破った男』『生きる故』『我が名は秀秋』『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』『大ぼら吹きの城』『朝嵐』『至誠の残滓』『源匣記 獲生伝』『とんちき 耕書堂青春譜』『さみだれ』『戦神の裔』『琉球建国記』などがある。

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