初回 小説家の三カ年計画

文字数 5,477文字

メフィスト賞作家・木元哉多、脳内をすべて明かします。


メフィスト賞受賞シリーズにしてNHKでドラマ化も果たした「閻魔堂沙羅の推理奇譚」シリーズ。

その著者の木元哉多さんが語るのは――推理小説の作り方のすべて!


noteで好評連載中の記事が、treeに短期集中連載決定!

 はじめまして。木元哉多です。
    知らない人も多いと思いますので、まずは自己紹介を。


『閻魔堂沙羅の推理忌憚』にて、第55回メフィスト賞でデビューし、三年が経ちます。現在、同シリーズで七冊まで出しています。昨冬、NHKのよるドラ枠でドラマ化(主演・中条あやみ)されていたので、目にした方もいたかもしれません。

    このたびnoteにアカウントを開設しました。
    僕がここでやりたいと思っているのは、小説が(かっこよく言えば、物語という小宇宙が)僕の脳の中でどのように生みだされるのか、その創作過程をありのまま公開することです。
    映画のメイキングに近いかもしれません。要するに、普通は見せない舞台裏を見せるということです。
    もっと言えば、推理作家の思考そのものを公開する。

    創作は空から降ってくるものではありません。理論があり、だからこそ再現性が生まれる。
    読者が僕の脳の中に入って、脳内で行われていることをダイレクトにのぞけるようにしたい。エコーを用いて、母親のお腹の中の胎児をスキャンするように。
    それによって一度読んだ小説を、もう一度読みたくなる。一度目は普通に物語として読むのですが、二度目は創作過程を知って、答え合わせをしながら今度は裏側からも読めるようにする。
    国語の勉強にもなり、新しい小説の読み方を提案する実験的な試みでもあります。


    もう少し具体的なイメージを言います。
    僕は囲碁が好きで、ちょくちょくNHKの囲碁トーナメントを見ています。
    対局している二人の棋士は、無言で交互に石を打ち合っています。それを見ている僕はアマチュアなので、プロ棋士の思考はぜんぜん読めません。
    なんとなく「この石は弱いから攻められそう」とか「これは捨て石なんだろうな」とかは分かるのですが、いま打たれた石に具体的にどういう読み筋があるのかまでは分からない。だから解説者に説明してもらう必要があります。
    ただ、たまにあるのですが、一流棋士と一流棋士の対局を、二流棋士が解説することになると、二流棋士では一流棋士の思考を正確に追えないため、解説になりません。聞いているこっちも分からない。
    解説者は後づけの説明ばかりで、それも的外れだったり。盤面ではどんどん対局が進んでいく。こうなるとカオスです。無言の対局者たちがいったい何をやっているのか誰も分からない。
    逆に一流棋士と一流棋士の対局を一流棋士が解説すると、リアルタイムに二人の棋士の思考を追えるので、まるで神視点で関ヶ原の戦いを俯瞰するように、脳内バトルの模様が伝わってきて、ひりひりします。
    つまり解説も芸のうちということです。
    言いかえれば、ある作品を解説するためには、解説者にもその作り手と同等の能力がいるということになります。

    あるいは、スポーツの解説も同じかもしれません。
    たとえばプロ野球で、打者がホームランを打ったとします。なぜ打てたかというと、次にスライダーが来るのが分かっていたからだと。
    プロなら球種を読めていれば、五割以上の確率で打てると聞いたことがあります。問題はなぜそれが分かったのか。投手にスライダーを投げるときの癖があるのか。配球のパターンを見抜いていたのか。あるいはサインが盗まれていたのか。
    もちろん打者はそんなこと明かしません。その投手とまた対戦することもあるのだから、相手の弱点を教えて、敵に塩を送るようなことはしない。
    そういう話が出てくるのは、たいてい十年後か、二十年後。投手も打者も引退したあとです。「実はあのときスライダーが来るのが分かっていたんだよ。なぜかというと……」と昔話として出てくる。
    こういう裏話が、野球ファンからするとたまらなくおもしろい。あのとき裏側ではそういう駆け引きがあったんだなと、表面を見ているだけでは分からない勝負の綾が、その瞬間に可視化されるからです。
    これと同じことを小説でやろうということです。


    僕にももちろん創作メソッドがあります。それをあけっぴろげに公開してしまう。あえて厨房にカメラを入れて、レシピもふくめて料理を作る全過程を公開してしまうみたいに。普通に読んでいてもまず気づかない秘密や工夫、そのディテールのすべてを、自分で話してしまう。
    それから僕の目から見て、これはいいと思える小説や映画を、一流作家の僕が(今のところ自称ですが)解説する。
    ただし作品のよしあしを学者気取りで批評するのではなく、それを自分の作品にどう取り入れているかという目線で話します。
    他人の作品のいいところを見抜いて盗むこと、逆に他人の作品の悪いところから何を学んで、同じ失敗をしないように肝に銘じるかもふくめて、創作メソッドの一部だと思っています。


    創作メソッドとは、ひとことで言うと「型」だと思っています。
    物語には必ず型があります。それはさかのぼれば、神話の時代から続く人間の型といっていい。
人間の脳にも型があります。何かを説明するときは、それをしっかり型にはめて説明すると、相手の脳に入りやすい。
    同様に、心にも型があります。何かを伝えるときは、それをしっかり型にはめて伝えると、相手の心に入りやすい。
    すべては型に沿って、手順を守って進めないと、有効な効果を得られない。
    小説における「型」とは、理屈ではなくイマジネーションによって読者に理解させ、その世界にスムーズに誘うための装置だと思っています。
    僕が想像したものを、あなたにも想像してもらう。少なくともその入り口までは腕を引っぱって連れていく。
    しかし無理やり連れていって、闇に放りだすわけではありません。その世界で迷子にならないように、ちゃんと終わりまでたどり着けるように、道しるべはつけておく。初めての場所に行くときは、母親が子供の手を引くように。
    その道しるべをつけておく場所には、必ず規則性があります。
    太陽は東から昇って西に沈む。春のあとには夏が来る。リンゴは上から下に落ちる。そのような規則性があるからこそ、世界は秩序だって成り立っています。世界から秩序がなくなれば、人々は混乱して、まともに生活できません。
    その規則性によって成り立っている秩序こそが、「型」です。
    その型は、民族差は多少あっても、人間ならば普遍的に持っているはずのものです。そして型に基づいて構図と技法が与えられることによって、その世界はより精緻で美しいものになる。
    それが作家のなかでしっかりと理論化されていれば、何度だって再現可能であり、同時に伝達可能になる。
    思考にも演繹・帰納法や三段論法や弁証法といった型があり、物語の構成にも起承転結や序破急といった型があります。

    これは難しいようで、めちゃくちゃ簡単なことです。同時にめちゃくちゃ簡単なことなのに、深く追求するとこれほど難しいことはない。文章において起承転結が基本中の基本であると同時に、最終奥義でもあるのと同じように。

    まあ、ここはおいおい。

    デビューして三年が経ちました。
    デビューしたとき、自分のなかで三カ年計画(今の言葉でいうと、TO DOリスト)を立てました。以下の四つです。
    ①このシリーズで、主人公の年齢、性別、職業、ジャンルをどのように設定しても、一本筋の通ったミステリーを書けることを証明する。
    ②このシリーズで長編を書く。
    ③三年間は、小説を書くことだけやる。毎日やる。一日も休まない(体調が悪いときは半日だけ休む)。三日で一冊本を読み、一日一本映画を見る。それ以外のことはすべて捨てる。三年間は勉強期と捉える。勉強している身なのだから、納得いかないことがあっても文句は言わない。
    ④作家として三年生きのびる。作家のデビュー後三年生存率はかなり低い。二作目、三作目が続かず、どんどん脱落していく。とにかく三年生きのびる。三年経てば、業界のことも分かるだろう。そのとき、自分がどういう状況になっていて、どういう気持ちになっているか。それを踏まえて、次の三カ年計画を作成する。最悪、ここでやめるという決断をしなければならないかもしれない。

    この四つの行動計画はクリアできたと思っています。
    同シリーズで七冊出し、そのうち二冊は当初から目標にしてきた長編です。テレビドラマ化されたり、漫画化されたり(現在、月刊ビッグガンガンにて掲載されています)、翻訳されたり。少なくとも読んでくれた方に関しては、おおむね好意的な評価をもらえたように思います。


    そして三年経ち、いろんな展開があって、一周回って、この業界の仕組みについても勉強できました。なるほど、こうやって物事は回っていくんだな、と。
    デビューを助けてくれた講談社さん、表紙のイラストを描いてくれた望月けいさん、ドラマ化を企画してくれたNHKさん、漫画化を企画してくれたスクウェア・エニックスさんと作画の柴田孫四郎さん、構成のiromさん。その他、関わってくれたすべての人が、基本的に親切で、僕とその作品を尊重してくれます。「先生」とも呼んでくれる(そんなふうに呼ばれたくはないのですが)。
    ですが、この業界の内側に入って、業界の慣行(なんとなく続けていること)を目の当たりにして、首を傾げることが多かったのも事実です。
   それはおそらく、僕みたいな新参者だから疑問に感じられることであって、逆にこの業界に二十年以上どっぷり浸かっていて、慣れっこになっている人は、何も感じないのだろうなとも思いました。
    三年目はコロナ禍にあたって、業界全体が機能不全におちいっていくさまも目の当たりにしました。
    僕の中で、このままでいいのか、このかたちで持続可能なのか、根本的な疑問がふくらみ続けています。そしてこの国の上にいる人たちに何かを変える力はないと思う(とりわけ政界においてはそれが顕著です)。
    何かを変えるのは、下からの声です。

    文句を言っても仕方ないので、持続可能な仕組み作りをするうえで必要な声ならば、ローマへと続く長い道のりの一歩目として、あげていこうと思っています。


    このサイトでは、第一に、僕が書いた小説の自己解説、および創作メソッドを公開していきます。一つの物語がどのように生まれるのかを、読者の目に見えるかたちで紹介します。文章講座みたいなこともやろうと思っています。
    ただし、僕がやるのは学問ではなく、具体的に役に立つことです。たぶん学校の国語の授業や、東大文学部の講義よりは役に立つと思います。
    第二に、小説や映画の評論。ただしこれも堅苦しいものではなく、僕がそれをどう読み解いて、自分の創作メソッドに取り入れているかを話します。
    第三に、社会評論。これも新聞や報道番組とは一線を画して、あくまでも一小説家の目線で書きます。一日中家にこもっていることが多い小説家も、いま自分が生きている世界と無関係に小説を書くことはできません。世の中の出来事が自分にどういう影響を与え、それがどのようなかたちで作品に反映されるのか、という視点で話します。

    僕が書くものは推理小説です。そして推理小説は、ある程度以上の頭の良さがないと、そのおもしろさが分からないジャンルではあると思っています。
    囲碁や将棋と同じです。数でいうと、二十人に一人くらい。
    基本的にマイノリティーの世界です。大多数の人に読んでもらうことは、そもそも想定していません。
    僕としては、せいぜい二十人に一人のその人に、しっかり届くものであればいいと思って書いています。そしてそういう人たちに、小説というものの読み方に、少しちがったおもしろさを感じてもらえたらいいなと。

    当面は『閻魔堂沙羅の推理奇譚』を題材として、それを読んでくれた人を対象に進めていこうと思います。

    ぼつぼつやっていきます。
    路地裏にひっそり建てて、看板も出していない喫茶店みたいに。
    週一回の更新予定で、一回あたり原稿用紙にして十枚以下にしています。読むのに十分もかからないはずです。もちろん完全無料です。週一回の国語の授業だと思って読んでくれたらうれしいです。
    もしよかったら、暖簾をくぐって立ち寄ってみてください。

木元哉多さんのnoteでは、この先の回も公開中!

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次回の更新は、7月3日(土)20時です。

Written by 木元哉多(きもと・かなた) 

埼玉県出身。『閻魔堂沙羅の推理奇譚』で第55回メフィスト賞を受賞しデビュー。新人離れした筆運びと巧みなストーリーテリングが武器。一年で四冊というハイペースで新作を送り出し、評価を確立。2020年、同シリーズがNHK総合「閻魔堂沙羅の推理奇譚」としてテレビドラマ化。

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