満足できる無駄

文字数 1,402文字

「三省堂 辞書を編む人が選ぶ『今年の新語2022』」の大賞に「タイパ」が選ばれた。これは「タイムパフォーマンス」の略らしい。「コスパ」の次は「タイパ」ですか、と思うだけで特に何とも感じないのだが、それだけ無駄は嫌われ者になっているということだろう。
 でも、代わりに好きなことに没頭しているわけでもなさそうだ。空いた時間を何に使っているのかと思ってネットで検索してみると、趣味が増えたといったものはほぼ見つけられない。逆に時間の奴隷となって「無駄を削減しないと」という現象が起きているように見える。結局、何が自分にとって大事なのか「タイパ」を追求している人たちも判っていない気がしてならない。僕もここ数年は「苦痛なだけの飲み会」には行っていないし、「会いたくない人」には接しておらず、代わりに読書をしたり、格闘技動画を観たりしている。でも、本にしろ格闘技にしろ、必ず時間の無駄が生じる。ネタバレをまとめたサイトや、KOや一本の瞬間だけを抜き出した動画があるが、僕が知りたいのはそこに至る過程だ。それがないものは中身がスカスカのウニのようなもので、食べた気がしない。
 多分、「タイパ」を重視する方々は読書は無駄だと思うだろう。特にミステリはそうだ。謎とトリックだけを読めばいい。それ以外は蛇足。きっとそう思うに違いない。まったくもってその通りで、一応作家の僕でさえも読了して「時間の無駄だった」と思う本はたくさんある。けれども、その一方で、事件にはまったく関係のない文章にさえも感動することがある。僕の心の師匠である連城三紀彦さんの文章はまさにそうだ。美しい文章を読んだときの感動を味わうなら、もしくはそういう作品の存在を疑っているのならば、光文社文庫さんから出ている『戻り川心中』などを読んで頂きたい。きっと「タイパ」という単語を忘れさせてくれるだろう。
 ありがたいことに前作の売り上げがぎりぎりのラインとはいえ、続編を出すことができた。購入してくださった読者の方々にお礼を申し上げます。大量生産・大量消費が出版界にも広まり、結果的に小説が「タイパ」の標的になっている現状は非常に危険だと思っている。だから、その流れに逆らい、一文一文、堪能して頂けるように文章を綴ったのが本書だ。長期的視野に立てばそちらの方がいい……と思う。「タイパ」も数年後にはほとんど使われなくなり、逆にじっくりと時間をかけて観たり読んだりするようなものが生き残るのではないか、と信じながら出版界の片隅にしがみついている。
 新刊の『なぜ、そのウイスキーが謎を招いたのか』はじっくりと読むのに適した作品だと思っています。どうぞゆったりとお楽しみくださいませ。



三沢陽一(みさわ・よういち)
1980年長野県生まれ。仙台市在住。東北大学SF・推理小説研究会出身。2013年、第3回アガサ・クリスティー賞を受賞し、受賞作を改題した『致死量未満の殺人』でデビュー。著作に『アガサ・クリスティー賞殺人事件』『不機嫌なスピッツの公式』『華を殺す』『グッバイ・マイ・スイート・フレンド』『なぜ、そのウイスキーが死を招いたのか』などがある。

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