わからないということは、つまり、面白いかもしれない。
文字数 1,323文字
型破り書店員による”本屋の裏側”エッセイ集が9月に講談社文庫から発売。それを記念して、発売日まで5日連続で、カウントダウン試し読みをお届け! 本日は、第4弾です。
全裸でベッドに寝っ転がって口を開けてスマホをいじっていても、自分が何屋であるかは決して忘れていない。
#字面は追えたがなにを言ってるのかさっぱりわからなかった本
タイムラインに流れてきたハッシュタグに、本屋センサーが反応した。
正座で猛然とTwitterを遡る。
一体どの本が、まるで異世界からの交信のような言われ方をしているのか。本屋として、見過ごすことはできない。
すると……出るわ出るわの名作文学たち。超有名な国内外の古典から、映画化され大ヒットした現代小説まで。
必ずしも「売れている本=誰にとっても面白い本」ではない。
なぜなら本は、基本的に買った後に読むものだからだ。
読んでみないと、今の自分にとって面白いかどうかがわからない。なにを言ってるのかさっぱりわからないってこともそりゃあるだろうが、それも、読んでみたからわかることなのである。
とはいえ「おたくで買った本、字面は追えたんだけど、なにを言ってるのかさっぱりわかりませんでしたよ」といったご意見を店頭で聞いたことは、この10年で一度もない。
世間で売れている本なのに、読んでもさっぱり意味がわからないのは、なんだか恥ずかしいことのような、自分のほうがおかしいような気がしてしまうのかもしれない。
「字面は追えた」ということは、楽しもうと努力はした、ということである。その人は本にお金を使ったり、貴重な人生の時間を読書に割いたりした。
それなのに「さっぱりわからなかった」としたら、本に対してネガティブな気持ちや怒りを抱いてしまっているのではないか。それがとても心配だった。
しかしそのハッシュタグは、本そのものを貶めようとしているわけでも、それを書いた人や売った人を糾弾しようとしているわけでもなかった。
あくまでも、わからなかった自分のカミングアウトであり、皆、ただわからなかったという事実を言いたいだけなのだ。そしてわざわざそういうことをしている時点で、本のことがやっぱりどこかで、すごく気になっているのだ。
実際、わからなかったからこそ読書にはまってしまった、という人も少なくない。
子供の頃に読んで、よくわからないが、ワクワクする本も確かにあった。
『不思議の国のアリス』なんて、そのわけのわからなさが、30年以上も私を惹きつけている魅力だったとしか思えない。
わからないということは、つまり、面白いのかもしれない。
新井見枝香(あらい・みえか)
1980年東京都生まれ。書店員・エッセイスト・踊り子。文芸書担当が長く、作家を招いて自らが聞き手を務めるイベントを多数開催。ときに芥川賞・直木賞より売れることもある「新井賞」の創設者。「小説現代」「新文化」「本がひらく」「朝日新聞」でエッセイ、書評を連載し、テレビやラジオにも数多く出演している。著書に『探してるものはそう遠くはないのかもしれない』『この世界は思ってたほどうまくいかないみたいだ』がある。