第1回『ショーン・ダフィー』シリーズ/エイドリアン・マッキンティ

文字数 2,116文字

Writing by 茶屋坂ねこ

tree 編集部編集者、これから翻訳本を中心に面白かったものをどんどんご紹介していこうと思います。

今回はハヤカワ・ミステリ文庫より刊行されている「ショーン・ダフィーシリーズ」をご紹介します。

英国のブレグジッドが実に3年半もの間すったもんだした挙句、最初の離脱隊長メイ氏は疲れ果て退陣、元ロンドン市長でブレグジット推進派ボリス・ジョンソン氏が後任のトーリー党党首となり、総選挙の末に圧勝。ついに去る2020年1月31日23時をもって英国はEUから離脱いたしました。これから2020年末までに、EUとの間に諸々の取り決めをしていかなければなりません。

ところで、英国側とEU側の交渉でずっとネックとなっているのがアイルランドと北アイルランドとの国境問題なわけですが(そしてこの問題はまだ解決されていませんが)、お若い方々は「アイルランド紛争」とか世界史で習っただけであまりピンとこないかと思います。
そんな方にぜひ読んでいただきたいのが、この「ショーン・ダフィー」シリーズです。
物語の舞台は、1980年代の北アイルランドはベルファースト。北アイルランドでは、英国からの分離独立とアイルランドへの帰属を求めるカソリック系住民と、英国への帰属継続を求めるプロテスタント系住民との対立が激化し、互いの民兵組織によるテロや武力抗争が激化していました。本作は殺人事件捜査を通してその当時の北アイルランドに暮らす市井の人々の生活が描かれ、町を覆う雰囲気が痛いほど伝わってきます。
主人公ショーンは、キャリックファーガス署に勤めている警察官で、所属はアルスター警察隊。このアルスター警察隊とは、カソリックを弾圧するプロテスタント側なのですが、ショーン自身はカソリック、かつ大卒のインテリときた日には、まあ、彼の苦労は想像してしかるべし。なんでお前そんなところに就職したかな、と尋ねたくなります。しかも彼はプロテスタントばかりが住む通りに家を買って住んでいるというのですから、この男のへそ曲がり度は相当です。
そんな彼の一日は、家の前に駐車してある愛車BMWに乗って出勤する前に、必ずその車底を覗いて爆弾の有無を確認することから始まります。その習慣を怠れば、爆音とともに木っ端みじんとなってあの世行きとなってしまうから。死がとてつもなく身近にあり、出口の見えない憎悪に囲まれている毎日。日々どこかで爆弾がさく裂し、知人の誰かが撃たれて亡くなる街。そんな中ショーンは独自の視点で殺人事件の捜査を進めていきます。


大学出ならではのインテリ知識を駆使しながら、カソリック、プロテスタント双方と駆け引きをし、IRAやUDRと対峙し、お偉方を怒らせながら、「ダイ・ハード」並みに攻撃をかわして犯人を追いつめていくスピード感溢れる展開は、手に汗を握り、ページを括る手が止まりません。

とまあなかなかハードボイルドではあるのですが、一方でこの物語の魅力は、登場人物たちがなんとものんびりと牧歌的で、憎めないことにもあります。


特にショーンと部下であるクラビーの現場に向かう車中で繰り広げられる間の抜けたやり取り(方言トークがいい味を出しています)や、ショーンの家にIRAの大物が「肉」を(隠喩ではなく、本物の食用ステーキ肉)を手土産に持ってくる、などのエピソードが緊張したシーンの合間合間に挟み込まれ、それがショーンたち警察官やIRAの戦士たちが決して「ターミネーター」ではなく間違いなく血の通った、そして愛する家族や恋人を持つ普通の人間であることを思い出させてくれるのです。

そしてもちろん、「ショーンと美女のお戯れ」というサービスもアリ♡で、そのお戯れが極限状態の男女が…とかそんな刹那的な関係ではなく、どちらかといえば読者サービス♡くらいの軽いノリなので、「なんだよ、余裕あるなあ」と思わずニヤついてしまうのです。


この緊張の間のほっこりが、この物語を単なる紛争地の事件簿にとどめず人間の逞しさ、哀しさを描き出していて、物語を魅力的なものとしているのです。

またこのシリーズで重要な役割を担っているのが全編に散りばめられている音楽です。ショーンが車の中や家で聴くのが、懐かしのパンクやニューウェイブに加えピンク・フロイド、ニュー・オーダー、そして米国のキャロル・キングやドリー・バートン……と、アイルランド人だからってスティッフ・リトル・フィンガーズやジ・アンダートーンズばかり聴いていたわけではなく、イングランドのバンドなんかも聴いていたんだなあ、音楽には国境も宗派も関係ないんだなあ、と妙に「非日常の中の日常」のリアリティーを感じさせてくれます。(因みに3巻目の「I’ll BE GONE」はトム・ウェイツのアルバムタイトルから)

このショーン・ダフィーシリーズ、現在日本では3冊目まで翻訳されていますが、本国では7作目まで出ています。4作目以降の刊行熱望。(と言っていたら、2月に著者の別の作品が先に翻訳・刊行されてしまいました。なんてこったい。)


因みにキャリックファーガスは、著者のエイドリアン・マッキンティの故郷だそうです。


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