『最後の竜殺し』(ジャスパー・フォード)/魔法なき世の魔術師たちへ(千葉集)

文字数 1,985文字

本を読むことは旅することに似ています。そして旅に迷子はつきものです。

迷えるあなたを、次の場所への移動をお手伝いする「標識」。

この「読書標識」はアナタの「本の地図」を広げるための書評です。

今回はライターの千葉集さんが『最後の竜殺し』について語ってくれました。

欲望っていうものは、すべてを凌駕するほど強い。

『最後の竜殺し』ジャスパー・フォード/ないとうふみこ訳

今まで見たことのない何かを認識したい。おそろしく灼けつくように、神々しく変容する想像力の炎に心を呑まれたい。私は本物のドラゴンが欲しい。

『The Question I Get Asked Most Often』アーシュラ・K・ル=グィン

パンクもロックもアシッドも、憂鬱でさえも資本主義に回収されてしまう世の中です。どうして魔法だけが例外でありえるでしょうか。


商業化された魔法を私たちはそこかしこで目にしてきました。マジック・キングダム(キャッチコピーは「この世で最も魔法に満ちた場所」)で、ウィザーディング・ワールド™で。しかしミッキーやハリ―よりも先にその現実を教えてくれたのは、ドラえもんの『のび太の魔界大冒険』で流れた、空飛ぶ絨毯や魔女の秘薬や占術用水晶のテレビCMだった気もします。


社会を支配するパラダイムは科学でも魔法でもなく、カネだーー『最後の竜殺し』もそうしたシニカルな視点から、ウィットに富んだ筆致で現代のコアをえぐり出します。



舞台となる不連合王国には魔法はあるものの、夢がありません。


ジェニファー・ストレンジはカザム魔法マネジメント社に勤める十五歳。社長代理として魔術師たちのマネジメントを統括しています。


魔術師の資格は免許制です。些細な術でも使用した場合には逐一当局に届け出る義務があります。なのに請け負う業務は、水道管の修理、ピザの配達、違法駐車の車の移動といった細々としたものばかり。


そして、なけなしの仕事ですら非魔術師系の会社にパイを喰われつつあります。リソースとしての魔力が世界的に減衰傾向にある一方で、科学は科学で高度に発展して万人を潤しているのです。魔術業界は衰退の一途をたどっています。


そんな社中で、ジェニファー自身は魔力を持たない普通の若者でした。が、ある日、世界最後のドラゴンを打倒するドラゴンスレイヤーとして指名されたことから運命が一変します。



偉大な魔術師によって封じられた悪しきドラゴンを、年若き勇者が討伐に向かう。そんな英雄譚風のプロットにあらん限りの皮肉と諷刺が詰めこまれています。


ドラゴンの死は棲み家である広大で豊かな土地の開放も意味し、その開発利権に群がる経済界や政界のひとびとは、あの手この手でキーパーソンであるジェニファーの籠絡を企みます。このあたりはエコロジー的なテーマも盛り込まれていますね。


我々の世界においても、古来よりドラゴンとは原初の自然そのものでした。多くの地域で竜殺しの神話が見られるのは、文明に征服・開拓・改宗されうる”野蛮”がそこにあった証左です。ドラゴン討伐は政治的な経済行為だったわけです。


そして竜とは我々を解放してくれる想像力の化身でもあった。『ゲド戦記』で有名なアーシュラ・K・ル=グィンに「アメリカ人はなぜドラゴンを恐れるのか?」というエッセイがあります。功利主義に傾倒するあまり、ファンタジーへの耽溺を忌み嫌うアメリカ人(を含む先進国の)男性のマチズモを指摘した文章です。


このエッセイから四十余年の経過した今では、大人たちはドラゴンを恐れてはいません。かれらは簡単にファンタジーを組み伏せて、意のままに金を産ませられることを知っています。まるで不連合王国の大人たちのように。


本作のユーモアはそうした絶望の上に成り立つものです。ですが、シニシズムに沈みきってもいない。


世界から落ちこぼれた魔法使いたちの唯一の美点。それは誇りです。「魔術師はだれにも負けないくらいお金が好きだけど、それ以上に信義と自分のさずかった職業を大事にする」とジェニファーは言います。「ためしに魔法の力と金貨の山を引き換えられるとしたらどちらを選ぶか、魔術師に聞いてみるといい」。作中の魔法は理知的にデザインされているものの、本物の創造です。その力を魔術師たちは信じています。


そして、誰よりジェニファー自身が「豪胆な上に信念もある」人物なのです。横暴な王様や企業にいくら脅されても決して折れません。思慮深いドラゴンに触れ、彼を殺すことを拒もうとさえします。そんな彼女がどう人間たちの欲望に抵抗していくのか――世知辛い描写ばかりのようで、現実の圧に屈さない幻想の魔法をかけてくれる一冊です。

竹書房文庫『最後の竜殺し』ジャスパー・フォード/ないとう ふみこ(訳)
千葉集

ライター。はてなブログ『名馬であれば馬のうち』で映画・小説・漫画・ゲームなどについて記事を書く。

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