山岡荘八『徳川家康』/家康名言集①

文字数 1,366文字

 山岡荘八『徳川家康』は、その刊行前と後で日本人の「徳川家康像」を変えた…といわれる名著。家康のそれまでのイメージ「狸爺」が「経営者としてふさわしい歴史上の人物」に変わったと言われています。また山岡荘八は、ライフワークと言えるこの作品で、第11回中部日本文化賞、第2回長谷川伸賞、第2回吉川英治文学賞を受賞しています。

 新聞連載足かけ18年間4700回(!)、全26巻、累計6300万部(2022年12月現在)という数字だけを見ても、その桁外れのすごさがわかるというもの(ちなみにあの『転生したらスライムだった件』が現在累計約3000万部です)。


 そんな家康本の最高峰『徳川家康』より、家康の名言を厳選した名言集をお届け!

●「争いの原因は欲じゃ。欲は際限ないものじゃ。それゆえいったん争い出すと、収拾つかない乱世になる」

                            (第15巻「難波の夢の巻」-黒幕たち)



●戦場に軍略があるのだから政治や外交にそれがあってわるいわけはない。しかし、相手の人間的な弱点だけを探しまわって対策を立てるとなると、何とも醜悪でやりきれない。

                              (第12巻「華厳の巻」―策謀の虫)



●戦――。それはただ戦場での生命のやりとりだけでなく、地上を枯らすふしぎな力を持っている。

                             (第4巻「葦かびの巻」-仏か人か)



●戦に「必勝――」などというものは、あろう筈のないものだ。あると思うのは粗雑な人間の錯覚にすぎない。

                             (第17巻「軍荼利の巻」―東行西探)



●個人の性格や感情のために戦う私闘など、まことの武士に許されることではない。

                              (第17巻「軍荼利の巻」―放れ箭)



●大将というは、つねに常人よりも己れを空しゅうした我慢の中にあらねばならぬ。

                              (第15巻「難波の夢の巻」―破局)



●大将というものはな、敬われているようでその実家来に絶えず落度を探されているものじゃ。恐れられているようで侮られ、親しまれているようで疎んじられ、好かれているようで憎まれているもの。

                               (第11巻「竜虎の巻」荒波の城)


山岡荘八 (1907~1978) 

明治40年(1907年)1月11日、新潟県小出町に生まれる。本名・山本庄蔵、のちに結婚し藤野姓に。高等小学校を中退して上京、通信官史養成所に学んだ。17歳で印刷製本業を始め、昭和8年(1933年)「大衆倶楽部」を創刊し編集長に。山岡荘八の筆名は同誌に発表した作品からである。13年、時代小説「約束」がサンデー毎日大衆文芸賞に入選、傾倒していた長谷川伸の新鷹会に加わった。太平洋戦争中は従軍作家として各戦線を転戦。戦後、17年の歳月を費やした大河小説『徳川家康』は、空前の”家康ブーム”をまきおこした。以来、歴史小説を中心に幅広い活躍をしめし、53年(1978年)9月30日没した。

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