【家族】『ピースがはまる音』

文字数 2,190文字

【2021年4月開催「2000字文学賞:家族小説」受賞作】


ピースがはまる音


著・ラゴス


 家族というのはパズルのピースみたいだと思う。
 それぞれに形と色があり、似ているけれど少しずつ違っていて、なのに集まるとぴったりはまる。その結びつきは簡単に解けはしない。
 解けるとしたら心が離れた時なんだろう。そういう意味では、血の繋がりなんて意味のないことだ。
 私は両親の顔を知らない。親族もおらず、施設で育った。最初からいないので、あまり悲しいと思ったことはない。ただ先日、彼の実家へ挨拶あいさつに行った時、紹介すべき人間が誰もいないことに、なぜだか後ろめたさを覚えた。
 自分が妊娠するとは思っていなかった。
「妊娠を理由に結婚するわけじゃない。僕が千種ちぐさと一緒にいたいから結婚してほしい」
 という正臣まさおみの言葉はうれしかったけど、私にはまだ家族ができるという実感がない。つわりもほとんどなく、病院での検査結果だけが私を妊婦たらしめている気さえする。
 彼と暮らしはじめて三週間。産まれたら何か変わるんだろうか。
 ピースがはまった時の音を私はまだ知らない。

 朝、玄関で彼を見送った後は家事を済ませ、そこからは何もない。
 ころんとリビングに寝転がっていると、ワイドショーの音がうるさく思え、テレビを切った。窓から射し込む光の中で、洗濯物の影が風で揺れている。
「暇……」
 夫が仕事に出ているのに申し訳ないけど、正直暇だった。といって、大して自覚のない妊娠を言い訳にするのはちょっと嫌だ。
 私はふと立ち上がって、正臣の部屋に入ってみた。全体的に物が少なく、きちんと整頓されている。
 その中で目につくのは、壁際のスタンドに立ててあるギターだ。温かい茶色のアコギ。前に弾いてもらったけど、私は音楽にはかなりうとい。
 どんな感触なんだろう。
 私はたわむれに、指先で弦を弾いてみた。しんとした室内にやや鈍い音が響く。続けてもう一本。さっきより高い音が鳴った。でも正臣が弾いていたのとは全然違う。もっと迫力があったし、色んな指を使ってたはずだ。
 スマホを取りだして調べる。なるほど、あれはコード弾きって言うのか。いくつも音を同時に鳴らしてたんだ。
 満足してブラウザを閉じようとした私の目に「初心者向け」というページが飛び込んできた。見ていると自分にもできる気がしてきて、私はギターを持って椅子いすに座った。
 でもそれは気がしただけで、実際やろうとするとすごく難しい。指定通りに弦を押さえようとしても簡単に届かないし指も痛い。
 十分ぐらい四苦八苦して、ようやく指の形ができたところで、そっと右腕を振り下ろしてみた。
 ざわっ、と。
 背中にぞくぞくした感覚が走った。

 それから私は時間を見ては、ギターを触るようになった。
 なんとなく正臣には言わず、ネットの初心者用動画を参考にして、少しずつ練習を重ねた。
 ところが安定期に入ったある日、いきなり右手に静電気のような痛みがきた。思わず声をあげて身をのけぞらせ、薄目を開けた私はぞっとした。
 弦が切れていたのだ。
 戸惑いながら調べるも、丁寧な弦の張り方ばかり出てくる。調子に乗って夕方まで練習していたから、正臣の帰宅まで猶予ゆうよがない。予備の弦がどこにあるのかもわからない。
 焦って探しているうちに、玄関の扉が開いた。
「何やってるの?」
 乱れた部屋の様子に抗弁などあるはずもなく、私は正直に話した。

 ひとしきり聞いた後、彼はクローゼットから弦を取り出し、替えはじめた。
「一弦は切れやすいからね」
 手際の良い交換の様を見ながら私は言った。
「黙っててごめん」
「いいよ、それよりさ」
 ぽんとギターを渡される。
「弾いてみてよ」
「えー……いやでも下手だよ」
「気にしないから、ほら」
「えー……」
 にこにこと促され、私は椅子に座った。唯一弾けそうな曲といえばこれしかない。
 子どもの頃、施設のみんなで歌ったのを覚えている。コードが二つだけのシンプルな曲。「ちょうちょ」だ。
 緊張で脈が速い。指がぎこちない。細かいミスを重ねながら、でもどうにか最後までやりきると、なんとも言えない充足感が湧いてきた。
 胸に手を当てる私に、正臣が小さく拍手する。
「お疲れさま」
 気恥ずかしさで、うれしそうな彼をまともに見れない。ギターを置きつつ、そうして私が顔をそらした時だ。
 小さな揺れを感じた。
 最初は気のせいかと思ったけど、不規則に、でも確実に私の中にその感覚は存在している。
 次第にその揺れは確かな音となって、身体の奥で鳴っていた。
 どうも心臓の鼓動とは違う。もう少し下な気がする。
 下の方……。
 私はハッとして、あわてて正臣を手招きした。
「ここ、ここ」
 私のお腹に耳を当てた彼は、揺れを感じるとこちらを見上げた。
「蹴ってる」
「蹴ってるよね」
「うん、蹴ってる」
 また耳を当てた彼と、何度も顔を見合わせた。じわじわと喜びがあふれてきて止まらない。
「アンコールって言ってるのかな」
「うそだーそれは」
 正臣と笑い合い、私は思った。
 この音を忘れないでいようと。
 ぴたりとピースがはまった音は、何よりも幸せを告げていたから。

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