今こそ、戦争を考える―令和の中学生が読んだ『総員玉砕せよ!』

文字数 1,897文字

Ⓒ水木プロダクション
太平洋戦争終戦から今年で77年。あの戦争の記憶が日々薄らいでいく中で、現在の、令和の中学生は戦争をどうとらえているのでしょうか。

水木しげるさんの『総員玉砕せよ! 新装完全版』を読んだ令和の中学生に、戦争への思いを書いていただきました!

今こそ 戦争を考えるー中学生が読んだ『総員玉砕せよ!』/鈴木哲矢

 僕にとって、今一番身近な戦争は、ロシアとウクライナの戦争だ。でも、僕は自分が体験しているわけではないので、どうしても他人事と感じてしまっていた。

 

 この水木しげる先生の『総員玉砕せよ!』を読みだした時、これはフィクションだと思った。ところが、水木先生本人が実際に戦争に行っていて、ほとんど事実なのだと知って、とても怖いと思った。

 戦争に行ったときの水木先生は21歳。僕には23歳と19歳の兄がいるので、21歳はちょうどその中間の年齢だ。そんな年齢でこんな戦争に行っていたなんて、とても想像がつかない。

 

 強く印象に残っているのは、敵と戦ったあとに、戦死した同胞を穴に投げ込んで埋葬するシーンだ。小学生の時、母に連れられて行った広島の平和祈念館で見た、原爆のあとに川にたくさんの死体が浮いているところを描いた絵を思い出した。それは人間が、まるで物のようだった。水木先生の描く死体や戦いの絵がとてもリアルなのは、想像で描いているのではなく、自分の体験を描いているからなのだと思った。


 玉砕や斬込隊という、神風特攻隊のように敵に突っ込んでいく作戦があって、上官の命令に従って兵士たちは死んでいったのだけれど、死ぬのは怖くないのかな、と思ってしまった。どうしようもなくなって「自決しかない」となった時、泣いている人がいた。家族や恋人のことを思っている人がいた。僕なら絶対死ねない、死ぬのは怖い。きっと死んでいった兵士たちだって怖かったのだろう。


 玉砕に反対していた軍医が、上官と対立して自ら命を絶つのだけれど、なぜ死ななければならなかったのか、僕にはわからなかった。死ななくてもいいのに。玉砕を説いていたくせに自分は死なない上官もいたのだから。こんな中にもし自分がいたら、どうなるのだろう。


 今まで読んだ、戦争をあつかった物語の多くは、敵と戦っている戦闘シーンばかり取り上げているものが多かったけれど、戦地での兵士たちの生活、どういうものを食べ、どうやって食料を調達していたとかが描かれていて、このほうがリアルな戦争なのだと思った。


書いた人

鈴木哲矢(すずき・てつや)

東京生まれ。現在公立中学3年生。フェンシングとBTSが好き

【あらすじ】

太平洋戦争末期の南方戦線ニューブリテン島バイエン。

米軍の猛攻で圧倒的劣勢の中、日本軍将校は玉砕を決断する。兵士500人の運命は?

著者自らの実体験を元に戦争の恐ろしさ、無意味さ、悲惨さを描いた傑作戦記漫画。

没後に発見された構想ノートを特別収録。

作品に込められた魂の決意が心に響く新装完全版!

【新装完全版の見どころ】

①未公開の構想ノートを20ページにわたり特別収録

②水木しげるさんの漫画に込められた決意が読める

③カバーイラスト・デザインを一新

④旧版になかったイラスト付き登場人物表を追加

⑤水木さんと親交が深かったノンフィクション作家・足立倫行さんの新解説

水木しげる(みずき・しげる)

1922年生まれ。鳥取県境港市で育つ。太平洋戦争時、激戦地であるラバウルに出征。爆撃を受け左腕を失う。

復員後紙芝居作家となり、その後、漫画家に転向。

1965年、別冊少年マガジンに発表した『テレビくん』で第6回講談社児童まんが賞を受賞。

代表作に『ゲゲゲの鬼太郎』『河童の三平』『悪魔くん』などがある。

1989年『コミック昭和史』で第13回講談社漫画賞を受賞。1991年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。同年、境港市に水木しげる記念館が開館。

2007年、仏版「のんのんばあとオレ」が仏アングレーム国際漫画祭最優秀賞を受賞。2009年、仏版「総員玉砕せよ!」が同漫画祭遺産賞を受賞。2012年、「総員玉砕せよ!」がウィル・アイズナー賞最優秀アジア作品賞を受賞。

2010年、文化功労者顕彰。2015年11月、逝去。

登場人物紹介

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