ちゃんとしてない大人たち

文字数 1,010文字

 子どもの頃に思い描いていたような大人になれなかった、と言う人は多い。この年齢ならもっとしっかりしていると思っていたとか、もっと成功していると思っていたとか、そんなふうに。理想と違う、というようなことを多くの人が口にする。
 わたしはどうかというと、周囲の大人から「この子は将来、社会人としてはまともにやっていけないだろう」と言われるような子どもであったため、そもそも自分がちゃんとした大人になれると思っていなかった。
 だから現在の自分は百点満点中五百点ぐらいだと思っている。ゴミを分別しているし横断歩道も信号が青になってから渡っているのでえらいな、わたしはとてもすごい、ぐらいの甘々な自己評価で生きている。
 そんなわたしも「自分と違い、世間の大人はなんとちゃんとしているのだろう」と驚くことがある。初対面の人と会った時などに。なぜみんな、あんなにスムーズに名刺を交換したり、時候の挨拶などをのべたりできるのか。わからない。
『みちづれはいても、ひとり』の弓子と楓もまた「ちゃんとした大人」とは言い難い。読んで、たよりないなあ、と思う人もいるかもしれない。
 でも彼女たちは、他人は自分ではない、ということを知っている(そんなのあたりまえだろと思うかもしれないが、その区別がついていない人は、「ちゃんとした大人」の中にもけっこういるのだ)。家族、友人、恋人の有無にかかわらず、人間がみんな「ひとり」であることを知っている。
ふたりの旅がどのように進み、どこにたどりつくのか、なにも決めずに書き出した。
彼女たちの歩みは「迷わずまっすぐに」ではなかった。賢く立ち回ることができない彼女たちと一緒に、わたしも何度も戸惑い、立ちどまり、まわり道を余儀なくされながら書いた。
 でも大切なことを知っている彼女たちは、きっと最後には自分の納得のいく場所にたどりつけるだろうと信じていた。信じてよかった。今でもそう思っている。

寺地はるな(てらち・はるな)
1977年佐賀県生まれ。大阪府在住。2014年『ビオレタ』で第4回ポプラ社小説新人賞を受賞しデビュー。他の著書に『大人は泣かないと思っていた』『正しい愛と理想の息子』『夜が暗いとはかぎらない』『わたしの良い子』『希望のゆくえ』『水を縫う』『やわらかい砂のうえ』など。








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