善の側にいられる贅沢を手にしているだけ

文字数 1,143文字

 このエッセイを読まれているということは、あなたは衣食住の確保ができており、小説を読む余裕がある方かと思う。そういった思索の時間を生活の中で割ける方なら釈迦に説法だと承知の上で言うが、善人と悪人の定義というのは実に曖昧だ。法治国家なので、法による枠組みが一定の尺度になるが、絶対的な悪というものは存在せず、見方によってはその悪も善になる。戦争が良い例だ。平時の人殺し行為も、有事では人殺しという行為はヒーローの要素となる。
 また、私たちは、食料を買って食べることができるが、お金がなければ生きるために窃盗を犯すかもしれない。
 お金がなくて、生きるための食料を盗んだ人がいたとして、その人は悪か否か。色々な背景を考慮してもなお、難しい問題に直面するはずだ。
 我々は、善の側にいられる贅沢を手にしているだけとも言える。

 さて、文庫化された『断罪 悪は夏の底に』について。
 悪人ならば、どんなに酷い仕打ちを受けても仕方がない。それが凶悪事件を起こした人間なら尚更で、より長く苦しむような刑罰を与えたいと願う。
 そういった感情を抱く人は多いだろう。
 では、悪人Aが、手に負えない悪人Bを殺したら、悪人Aは悪人なのだろうか。悪をこの世界から葬った悪人Aは、少しだけ世界の治安回復に貢献するので、良いことをしたことになる――殺人は悪なのに、大きく見たら善になる。
 一面から見ると悪人でも、別の面から見れば善人という例は多々あるはずだ。
 短編連作の形を取っている今作は、それぞれが繫がっている。そして、現在進行形の事件と、過去の事件が交錯し、ストーリーが進む。
 ともかく、悪人ばかりが出てくる小説だ。善と悪が曖昧な世の中で、どの立場が一番の悪かを見極めていただければ幸いだ。
 また、作中で強迫神経症の探偵役も登場するが、これは昔、私の母親が同じ症状に悩まされた経験を活かしている。今は回復しているが、当時は家族でのケアが必須だった。
この世から、病というものが消え去って欲しいと切に願っている。



石川智健(いしかわ・ともたけ)
1985年神奈川県生まれ。『グレイメン』で2011年に「ゴールデン・エレファント賞」第二回大賞を受賞。’12年に同作品が日米韓で刊行となり、作家デビューを果たす。現在は医療系企業に勤めながら、執筆活動を行っている。著書に「エウレカの確立」シリーズや『ため息に溺れる』『この色を閉じ込める』『60 誤判対策室』『闇の余白』『ゾンビ3.0』などがある。

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