原田維夫・陳舜臣さんのこと 「陳舜臣」

文字数 1,374文字




 毎日新聞社から、陳舜臣さんの『小説十八史略』の装幀を依頼されたのは、昭和52年の夏頃だと思うので、私が38歳の時である。

 私と毎日新聞との繋がりは、私がまだ版画を生業にしていないデザイナーだった時代に、サンデー毎日の星野さんという編集長から、誌面のデザインを頼まれたのが、始まりだ。その後「月刊エコノミスト」の表紙や、その内部のデザインを担当したりしていた。

 その折、まだ学生だった沢木耕太郎さんが「月刊エコノミスト」に、初めての連載を書かれる事に成って、沢木さんから、「原田さん、自由業で食べて行かれるでしょうか。どうしたら良いでしょう」などと、竹橋の地下の喫茶店で、質問をされ、生意気にも、大変さをお話しした憶えがあるが、その後、アッ!という間にスターに成られて、ビックリした。しかし、そのお蔭で、沢木耕太郎さんの最初の新聞連載の「深夜特急」の挿絵をと、ご指名いただいたのは、うれしかった。

 そんな毎日新聞社・出版局との関係もあって、陳舜臣さんの『小説十八史略』の装幀のご依頼があったのだと思う。

 しかも、この頃デザイン以外に版画も始め出していて、この『小説十八史略』の装幀に、版画を使う事が出来た。何かその版画が『小説十八史略』という作品に、うまくマッチした様な気がしている。

 まだこの時、陳舜臣さんご本人にお会いした事はなく、その後、芥川賞・直木賞の受賞パァティーで、編集の方に陳舜臣さんを紹介していただき、「『小説十八史略』の装幀をやらせていただいた、原田維夫です」とご挨拶をすると、「あァ、あなたが、原田維夫君ですか」と言っていただき、ご存じでいて下さったのだと、うれしかった思い出がある。どこか、ゆったりと落着かれた、中国の大人という雰囲気をお持ちで、ふわっと暖かく包まれた気がした。

 図々しく、私が「古代中国の資料が無く苦戦をしています」とお話しすると、「神田にある○○書房に行くと良いですョ」とやさしく言って下さり、そこを訪ねて行って資料を探した。その後、陳舜臣さん翻訳監修の『孫子の兵法』の中国劇画全八巻を買わせていただき、参考にさせてもらった。

 陳舜臣さんの『小説十八史略』が発売されると、ものすごい勢いで売れて、大ヒット。1巻、2巻、3巻と次々と出る巻もベストセラーで、社会的にも評判に成り、私の友人達もそれを知っていて、私までその印税の恩恵を受けていると思って、「大金入ったのだろ、オゴレ」と何度も言われたが、日本では児童書以外装幀の印税システムは無いので、無理だョと断っていた。

 今回、陳舜臣さんの事を、書かせていただくに当り、もう一度『小説十八史略』の一巻を見て驚いた。昭和52年11月30日第一刷で、その五年後の昭和57年3月20日で、何と第37刷とある。いかに、すごい売れ行きだったかがわかる。確か、文庫に成っても売れたと聞いている。

 しかし、この大ヒットのお蔭で、その後に伴野朗さん、そして、宮城谷昌光さん等々の素晴らしい作家の古代中国物の小説の挿絵を描かせていただける様に成った。

 その時の印税よりもっと良いお宝をいただいた訳である。

「小説現代特別編集二〇一九年五月号」より

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