大坂冬の陣 完全ガイド⑤

文字数 1,675文字

日本の歴史に残る有名な合戦を活写&深堀りして大好評の矢野隆さんの「戦百景」シリーズ

第7弾は、戦国時代の終焉を飾る大合戦を描いた『戦百景 大坂冬の陣』です!


「戦百景」シリーズとは…

第1弾『戦百景 長篠の戦い』は「細谷正充賞」を受賞!

第2弾『戦百景 桶狭間の戦い』

第3弾『関ヶ原の戦い』

第4弾『川中島の戦い』

第5弾『本能寺の変』

第6弾『山崎の戦い』


と、有名な合戦を深堀りしてリアルタイムで描く矢野隆さんの人気シリーズ!


第7弾はついに大坂冬の陣!

大坂冬の陣トリビアコラムの第2回は、大坂冬の陣が起こった「本当の理由」に迫ります!


これから読む方にも、読んだ方にもおすすめの、物語をより楽しむための作品ガイドです!

《本当の原因は秀吉の遺産?》


1600年の関ケ原の戦いで、敗れた西軍の大名のほとんどが改易か大幅減封に処された。


中立を装った豊臣家も処分は免れず、222万石から摂津・河内・和泉3ヵ国、65万石に減らされた。仕置後の石高ランキングでは、1位=徳川家康・400万石、2位=前田利長・120万石に次ぐ3位。その下に60万石前後の伊達政宗、結城秀康、島津義弘らが名を連ねる。


つまり支配者である徳川を除けば、断トツの前田の半分強といったところ。1石は5~7.5万円くらいなので仮に6万円とすると、豊臣にはざっと390億円の年収があったことになる。


他方、戦国時代の兵力は1万石につき250人雇えたとされる。とすれば、豊臣の健全な兵力は16000人強。とてもではないが徳川方と雌雄を決する戦ができるはずがない。にもかかわらず実際には大坂城に10万人の牢人が入城している。


真田丸で配られた黄金の枚数から推定すると、当面の人件費で1800億円ほどが必要になる。豊臣秀吉の貯えがなければ到底賄えなかっただろうし、2兆円と言われる「豊臣埋蔵金」の伝説にもつながる。また、豊臣の資金力を削ごうとして徳川方が奨励した方広寺の大仏・大仏殿の再建によって起きた「鍾銘事件」にも、秀吉の遺産は大きく関わる。

とにかく戦争はお金を必要とするのだ。

戦国時代の終焉を飾る大合戦。

徳川vs豊臣、そして真田信繁、伊達政宗、上杉景勝、松平忠直らの戦場内外での陰謀や思惑を深掘り!

慶長16年(1611年)。関ヶ原の戦いから11年が経っていた。徳川家康は、後水尾天皇即位を口実に孫婿でもある豊臣秀頼を上洛させ二条城での会見を果たす。70歳になった家康は、19歳の秀頼に我が身の老いを思い知らされ、また世継ぎで二代将軍の秀忠との器を比較して心の闇に囚われてしまう。なんとしても豊臣家を滅ぼさねば。このときすでに、真の意味での大坂の陣ははじまっていたのだ。そして3年後の慶長19年(1614年)、豊臣家が家康を呪ったとされる「方広寺鍾銘事件」が起こる。なんとか東西の手切れを食い止めようとした、秀頼の傅役・片桐且元の奔走も空しく、徳川と豊臣の両勢力は戦への道を突き進んでいった。豊臣恩顧の武将たちも代替わりし、浅野や蜂須賀など豊臣のもとに参じる武将は皆無。他方、大坂城内は関ヶ原で敗れた西軍くずれの牢人たちで溢れていた。その中には真田信繁や後藤又兵衛の顔もあった。かくして天下の決着をつける大戦の火蓋は切られた……。


矢野隆(やの・たかし)

1976年福岡県生まれ。2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞。その後、『無頼無頼!』『兇』『勝負!』など、ニューウェーブ時代小説と呼ばれる作品を手がける。また、『戦国BASARA3 伊達政宗の章』『NARUTO-ナルト‐シカマル新伝』といった、ゲームやコミックのノベライズ作品も執筆して注目される。また2021年から始まった「戦百景」シリーズ(本書を含む)は、第4回細谷正充賞を受賞するなど高い評価を得ている。他の著書に『清正を破った男』『生きる故』『我が名は秀秋』『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』『大ぼら吹きの城』『朝嵐』『至誠の残滓』『源匣記 獲生伝』『とんちき 耕書堂青春譜』『さみだれ』『戦神の裔』『琉球建国記』などがある。

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