『歴史とは靴である』/磯田道史

文字数 4,055文字

「日本」は着ぐるみが作った国? 元号はこうして決まる、など。テレビでお馴染みのイソダ先生が、女子高生を前に行った特別講義を書籍化。「歴史は好きか嫌いかの嗜好品ではなく、安全に世のなかを歩くためのむしろ実用品である」という目からウロコな歴史の見方が反響を呼び、「ビリギャル」こと小林さやかさんをはじめとする二対談を追加収録して文庫になりました。

磯田道史さんの『歴史とは靴である』、目次&試し読みです。

目次


歴史と人間

植木鉢の破片じゃなくて 14

空間や時間を飛び越せる動物 17

記号、シンボル、抽象化 19

針とビーズ 22

実験精神旺盛な磯田少年 25

カミ・クニ・カネの「3K」 28

ブタやトイレに歴史はあるか 30

いずれオールド・スタイルも変わる 35

なぜ慶應に入りなおしたのか 36

歴史は実験できない 40

ただし、ある程度の法則性はある 44

歴史とは靴である 46

矛盾が大事 49

教科書は「平均値」にすぎない 54

磯田家の「明治維新」 56



休憩中の会話

「これが好きだ」というものを、真剣に追いつづけられたら幸せです 62



歴史の「現場」

ニセモノはなぜ生まれるか 66

一次史料と二次史料 70

「いまだから言える」ということ 73

すべてが史料になりうる 77

文字をもつ人、もたない人 82

「日本」は着ぐるみがつくった? 88

練供養からくまモンまで 92

時代小説が描くもの 100

元号はこうして決まる 106

おめでたいときも、災害のときも 111

「革命」思想と日本 115

難陳というディベート 120

AIの時代に 123

これからは「発想結合」 127

比較・解釈・仮説 132

あまり傲慢であってはいけない 134

教養とはムダの別名である 136



一冊の本がさらなる対話を生む

◎ビリギャルもう一回勉強するよ小林さやか×磯田道史

図書館を使いたかったから大学に 145

間違いをできるだけ少なくできる 148

なにが起きてもどんな話になっても楽しめる。ただし…… 151

題材はなんでもいい 153

戦国武将は合戦ばかりしていたわけじゃない 155

歴史とは他者理解 158


◎教科書に載らない歴史に食らいつく!外山莉佳子×磯田道史

二千年以上前の生活との出会い 161

知るためならどんな行動にも出る 163

地下から、空へ向かった興味 164

教科書に載らない歴史 166

「歴史」は「実用品」である 167

伊達政宗のパフォーマンス 168

京都に比べて、名古屋は合理的? 170

答えではなく問いが見つかる史跡探訪 171

墓と焼き鳥 173


図版出典一覧 177


撮影/浜村達也

歴史と人間


植木鉢の破片じゃなくて


磯田 こんにちは。


生徒一同 こんにちは!


磯田 磯田道史と申します。

 自己紹介がてら、子どものころの話からさせてください。


 私の母親のほうは女子校の英語の先生で、その息子として岡山に生まれました。(「えー」の声あり)

 学校の先生の子どもとして生まれたのですが、学校の先生の子どもだから学校にうまく溶けこめるのかといえばそうでもありませんでした(笑)。


 学校にはいちおう行くのですが、まぁ、自分の興味のある勉強ばかりする子どもでした。なかんずく興味をもったのは歴史や理科で、そういう本は自分で読みますが、九九を覚えないとか、学校へは行きますが、あまりいい生徒でないものですから、家のまわりをぶらぶらして、お寺や石仏、お城や神社を見て歩いていました。


 そんなことをしているうちに、ある近所に住むおじさんに出会います。夜間高校の先生だったと思います。

 あまり学校になじめない男の子と夜間高校の先生が出会った。このおじさんがすごい人でした。

 場所は田んぼの畦道。いまでも忘れられません。


「磯田くん、そこの畦道を見たら植木鉢の破片のようなものがあるかもしれない。どうだい、あるだろう」というのです。

「あ、ある、ある、ある」

「拾ってみい。じっと見てみい」

「赤い。きれい」

「それ、植木鉢の破片じゃあなくて、二千年前の弥生式の土器だよ」


 そう言われて、びっくりしたのです。(「えーっ」の声あり)

 だって家の近所でしょう。そんな古いものがほんとうに、あるのかと思いました。さらに、私の家の庭の、家庭菜園しているところをじっと見ると、同じように弥生式の土器が落ちています。


 そのとき、ぼくは九歳でした。小学校三年です。

 小三の人間が──かけ算はなんとか習ったから二千年を九歳で割ってみるとどんな数字になるかわかります──、どうやら、人間の歴史というのは、ぼくの命よりもずっと長いものらしいと気がついたのです。


 それと、私の通っていた小学校は、岡山にある御野小学校という学校だったのですが、巨大な古墳を削ってつくられていました。校舎よりも人間がモッコでつくった土盛りのほうが、山が高いのです。


 それで、なんか感動したのです。自分はいま、大人に学校に閉じこめられているけれども、その学校より大きい永遠なるものが、歴史なるものがあると感じとったのかもしれません。


 古いものに感動する気持ちが、こんなにある生きものは、人間の他にないような気がします。

撮影/浜村達也

空間や時間を飛び越せる動物


磯田 犬とか猫が、歴史を認識しているかといえば、人間のようではなく、むずかしいと思います。ただし本人、いや本犬、本猫か(笑)の経験はあるでしょうね。


 たとえば、ぼくがすごく悪い子で、犬の前を通るたびに石をぶつけようとしている悪ガキとしましょう。

 その場合、犬はイソダミチフミとかいうやつが来たら、なにか悪いことされるかもしれんから、とりあえず逃げておこう……。こういう行動はできます。でも、これは個体の経験にもとづく行動であって、その個体一匹だけの体験と記憶にもとづく行動にすぎません。


 兄弟犬がいたとして、兄犬が弟犬に、

「おい、弟よ。イソダミチフミってやつが通りかかったら、あいつは石をぶつけるかもしれないから、逃げたほうがいいよ」

 そう言葉で伝えるでしょうか。ひょっとすると、それぐらいはあるかもしれません。しかし、ふつうの動物では、まあ、ないでしょう。


 自分は全然体験していないのに磯田道史が通りかかるだけで逃げるなんていう行動をふつうはとれないでしょ?

 しかも、この兄犬も弟犬も死んだ後に、

「イソダミチフミというやつがやってきたら石をぶつけることがあるから、わが子孫はイソダを見たら逃げるべし」

 と犬が書き残していて(笑)、その影響を受けた行動をこの兄弟犬の孫犬たちがとれるか? それはできませんね。


 このように、多くは、個体の体験や記憶だけで行動するのが通常の動物であるのにたいして、人類は、他の個体が経験したものを、なんと空間や時間を飛び越して、人類共有の財産にして、次の行動が学習されていって、もうちょっとましに生きられる、もしくは愚かな考えをも伝えて、差別や偏見を後代に残したりしています。


 これが「歴史をもつ」ということであり、その意味でぼくら現生人類=ホモ・サピエンスとはきわめて不思議な生きものだということを歴史学習の前提にまず考えておいてください。


記号、シンボル、抽象化


磯田 人類はいつからこんな行動──ちょっとむずかしく言うと、記号やシンボルの操作、抽象化──ができるようになったのか。これについては、いまだに学問的にはっきりした答えが出ていません。


 言葉はただの音声であり、空気の波にすぎません。文字は石や粘土板のひっかき傷だったり紙の上のシミだったりするにすぎません。そこになにかの意味があると理解するのはたいへんなことです。


 聞こえてきた「イソダミチフミ」という音や紙の上のシミ「磯田道史」にたいして、これは石をぶつけるやつだというイメージが重なるのです。そういう脳神経になっていないといけません。いつからそうなったかといわれるとむずかしいのですが、いまのところ、五万年ぐらい前からじゃないかなとの説が有力です。


 なんでわかるのでしょうか。

 ぼくらが作ったものは、土に埋もれるとたいていは簡単に溶けてなくなってしまう。しかし、石器は長いあいだ、形が残る。


 そうするとこんなものが見つかる。

 石器を使ってモノを切ったり刻んだり刺したりするだけならば、別にどんな形だって全然かまわないわけです。


 ところが、これ、わかります? 左右対称になっている。これでもか、というほど、こだわって時間をかけ、左右対称な石器を作りはじめます(次ページ板書参照)。


 考古学者たちは──人類学者たちも──これを〝凝り〟と呼びます。見てください、両方が同じになるまで……。もう絶対に両方同じじゃないと気がすまない、石器作りに「凝る」オタク原始人がいたんですよ(笑)。


 このころに生きるのはつらかったはずです。なぜかといえば寒いんです。なにせ、この鎌倉あたりが札幌ぐらいの気候でした。そのなかでこんなちっぽけな人類がナウマン象とかマンモスとかと戦うわけです。


 そんな状況下で、石をサッと割っただけ、よく切れたらそれでいいはずなのに、どうしても美しい形にこだわる連中があらわれています。やっぱりこの時代あたりから、人類はなにやら不思議なことを考えているらしいことがわかるのです。

※この続きは『歴史とは靴である』(講談社文庫)でお読みください!

磯田 道史(イソダ・ミチフミ)

1970年、岡山市生まれ。歴史家。国際日本文化研究センター教授。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。『武士の家計簿』(新潮新書)で新潮ドキュメント賞、『天災から日本史を読みなおす』(中公新書)で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。『殿様の通信簿』(新潮文庫)、『近世大名家臣団の社会構造』(文春学藝ライブラリー)、『無私の日本人』(文春文庫)、『感染症の日本史』(文春新書)、『日本史の内幕』(中公新書)ほか著書多数。該博な知識と親しみやすい語り口で、テレビでも多くの視聴者に歴史の意味と愉しさを伝えている。

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