三月◎日

文字数 5,146文字

1日1冊、3年で1,000冊の本を読み、月産25万字を執筆し続ける小説家・斜線堂有紀。


謎めいた日常はどのようなものなのか――

その一端が今ここに明かされる。


毎月第一・第三月曜日、夕方17時に更新!

夕暮れどきを彩る漆黒の光・”オールナイト”読書日記が、本日も始まる。

前回の日記はこちら

三月◎日

 春になったので、やや動きやすくなった。だが、三月はとんでもないスケジュール進行を要求されたが故のデスマーチに悩まされており、依然として余裕は無い。余裕が出来たらしたいことのリストだけが長くなっていく。けれど、そんな中でも本は読む


 アリスが語らないことは』は、『そしてミランダを殺す』『ケイトが恐れるすべて』でミステリー界を賑わせた人気作家、ピーター・スワンソンの最新作である。今までの二作も人を喰ったような展開でとても面白かったのだが、私は本作が一番好きだ。というのも、本作のキーパーソンであるアリスが魅力的だからである。先二作のミランダとケイトも一癖ある人物だったが、今作のアリスはそれとはまた違った癖のある女である


 時系列を前後して語られるアリスの物語は、早々に「ああ、こういう過去を持った人物なんだな」と納得させられるような、ある種オーソドックスなものだ。それを分かっているからこそ、作者も勿体ぶることなくさっさとアリスのバックボーンを開示しているような節がある。だが、その過去があってのアリスの造形が見事なのである。「こういう感じなのね」を「こういう感じなのに」に変える手腕が、この小説の一番面白いところである。ネタバレにならないよう表現するなら、アリスはとことん一貫している。最初から最後まで、彼女は彼女のままなのだ。そうして辿り着く最終章が、なんだかたまらなく愛おしいのである。


 魅惑的なサスペンスの中で多種多様な女を描き続けてきたピーター・スワンソンが今回生み出したのがアリスだと思うと、こういう引き出しもあるんだな……としみじみ思わざるを得ない。もしこの日記を読んでいる読者の方が『アリスが語らないことは』を読んだら、私の言っていることの意味が分かるだろう。今度はこういうタイプの女……!


 前回の『匿名作家は二人もいらない』に続き、アクの強い登場人物のサスペンスばかり読んでいるな、と思う。だが、そちらの方がサスペンスは面白いのだ



三月☆日

 Mephisto Readers Clubにて、黒猫掌編『Buried with my CAAAAAT.』が掲載された。「黒猫を飼い始めた。」という共通の書き出しを使って好きなように遊んでいいという、いかにも私が好きそうな催しだったので、嬉々として書いたものだ。そうして出来上がったものは、奇想という言葉で片付けていいものかわからないような謎の物語になったのだが、とても気に入っている。三月はとにかく奇想というかSFの月であって、SFマガジン用の短篇やら某アンソロジーへの短篇やらで、不可解な小説を大量に書いている。

『Buried with my CAAAAAT.』はその流れを作った一本なのかもな、とも思った。今年は斜線堂SFの年


 そんなことを考えながら、チョン・セラン『屋上で会いましょう』を読む。これは前に読書日記で取り上げた『声をあげます』の作者の短篇集である。今、奇想という面において韓国文学界ほど熱いところもないような気がしている。(ちなみに中国SFは古典的かつスケールの大きいSFを描くのが得意な印象がある)


 この短篇集はどれもこれも「どうしてその発想に?」と思うような面白いアイデアが満ち溢れている。中東から来た「僕」ことスマイルがソウルに暮らすケヒョンと恋に落ちる様を、耳がお菓子になる奇病を通して描く『ハッピー・クッキー・イヤー』や、運命の相手を呼び出すおまじないを屋上でやった結果、何故か滅亡の使徒(らしきもの)を呼び出してしまい、玄関に浮いているそいつと共同生活を送ることになる『屋上で会いましょう』など、発想に嫉妬してしまうような短篇がぎゅっと詰まっているのだ。それでいて、このアイデアは荒唐無稽にポンと投げられているわけではなく、二国間の男女のわかりあえなさともどかしさを表すものになっていたり、結婚でしか今の現状から抜け出して幸せになる方法がない女性の生きづらさを描くものになっていたりするのである。奇想とテーマがマッチしているのは、理想の奇想だよなと思う。


 私が特にお気に入りなのは、大好きな姉が突然死してしまったことから、突然死してしまった人だけを集めた地図「突然死ドットネット」を作る『ボニ』だ。何の理由も無く人が死ぬことを受け容れられなかったが故に、こうした形で受容をはかるというのは、なるほどこういうお別れの仕方もあるなとひしひしと感じた。最後の決断も含めて、これはある種のお葬式のやり直しなのかもしれない、と思う。


 あとは「あんた」に向かって女性が語り続ける『ヒョジン』もいい。語り手は逃げ癖を持った女性で、彼女が歩んできた今までの人生が軽妙な語り口で綴られていく。彼女に逃げ癖がついた理由が、特に印象的だ。小学二年生の彼女は教師にアルコールランプを取って来てほしいと頼まれ、その通りにした。すると、教師は彼女の目の前でアルコールランプを開け、中のエタノールを飲み干したのだった。(メタノールではないので失明などはしないが、そこそこ危険な行為である。アル中はエタノールすら飲むという都市伝説もある)


 それを見た瞬間、彼女は逃げ続けなければ、自分もああなる、アルコールランプよりも酷いものを飲むことになるのかもしれない、という暗示にかけられてしまったのだった。この傷の負わせ方は、頭を殴られたような衝撃だった。でも、大人が子供に不幸な姿を見せることの恐怖は至る所にあるよな、とも思う。それをわかっていて、不幸な姿を見せようという大人も、沢山いる


 こうしてまとめていると『屋上で会いましょう』は多種多様な傷との関わり方の物語なのかもしれない。ただ、そのどれもが後味が悪くなく、一筋の希望も合わせて描いてくれている感じが、チョン・セラン作品のいいところなのかもしれない。



三月Δ日

 中村航先生との対談が文芸・本のニュースサイトであるナニヨモさんにて『恋愛小説家たちの恋愛論!? 斜線堂有紀×中村航対談』として連載記事になることになった。全三回で、対談で話したことが完全掲載されている。文字通りの完全掲載、ノーカットでのお届けである。まさかこんなことになるとは思わず、どうせ後に残らないことだから赤裸々に語るか……と思って話したことが全部残ってしまうことになった。読まれたくない相手が両手の指以上いる記事である。とはいえ、とてもいい対談なので、面識の無い人間には読んでほしい。(ちなみに、今回の対談に際して近影を新しく撮ってもらった)


 肩書に恋愛小説家というものが加わったことは、なんだか感慨深い。去年はよくミステリ作家として紹介されていたし、来月にあるとあるイベントではSF作家の肩書になっていた。なんというか、これでどこにでもいけるかもな、と思えたのだ


 そうして恋愛小説のイメージがついたからか、担当さんが私の好きそうな恋愛小説をおすすめしてくれるようになった。その中でも刺さったのが綿矢りさ『かわいそうだね?』と角田光代の『愛がなんだ』の二作である。どちらもとても有名な恋愛小説なのだが、読む機会を逸していたものだ。


 『かわいそうだね?』は彼氏から「住むところを無くした元カノと一緒に暮らしていいか」というとんでもない提案を受けた女の悲喜劇を描いた小説である。一見すると荒唐無稽なあらすじなのに、読んでみると「こ、こういう思考回路の男……!」と、おぞましいほどの共感を覚える小説なのだ。「自分は元カノとよりを戻さない自信があるから」「本当に好きなのは君だけだから」と、こっちの気持ちが完全に抜けている主張ばかりをしてくる男……! 欲しいものはそれじゃないのにどうして分かってくれないの? という不理解がたまらなかった。こういうことは、ままある。


 『愛がなんだ』は、片思い相手のマモルの為に身をすり減らすテルコの日々を描いた小説だ。テルコはマモルの為に自分の全てを捧げるが、マモルには他に好きな相手がいて、テルコの片思いは絶対に叶わない。頑張ったところで報われない片思いと恋愛のどうしようもなさ、そうしてテルコが選ぶ究極の選択肢は、そうするしかないよ……とエールを送りたくなった。だって、恋愛だからね


 こうして見ると、私が好きそうな恋愛小説はどれも凶暴で烈しい。でも、それでこそ、とも思う。人間のままならない感情が、この世で一番美味しいのだ



三月/日

 願いの始まり 神神化身』の発売を記念して『少女☆歌劇 レヴュー・スタァライト』の古川知宏監督と神神化身に関する対談をさせて頂いた。私は今丁度、古川監督と新作アニメを作るべく脚本担当として頑張っているところなのだが、そのご縁で実現したのだ。古川監督は神神化身をしっかり読み込んでくださっており、最もその世界観を理解してくださっている一人だからこそ、コンテンツ界のロデオマシーンの評には笑わざるを得ない。


 個人的に、メディアミックスプロジェクトという性質上、一番私の読者が手に取っていないのがこの神神化身というコンテンツだと思っている。正直「これって楽しみ方が分かりづらいだろうな……」と自分でも思っている。けれど、そんな貴方も『願いの始まり 神神化身』から入れば安心だ。読もう、和風伝奇ミステリ


 それはさておいてT・J・ニューマン『フォーリング─墜落─』を読む。これは飛行機のパイロットであるベンが家族を人質に取られ「彼らの命が惜しければ飛行機を墜落させろ」という恐ろしい要求を受ける話だ


 家族の命を人質に取られ、乗っている飛行機を墜落させるよう命じられる……という筋立ての小説には他にもセバスチャン・フィツェック『座席ナンバー7Aの恐怖』がある。こちらは主人公が精神科医・クリューガーであり、彼がどうやってパイロットに干渉して飛行機を墜落させるのか? という点が読みどころである。『座席ナンバー7Aの恐怖』は最初から最後まで容赦の無い地獄が描かれている、まさに飛行機の閉鎖性を強調するかのようなダークサスペンスだ。クライマックスにかけては殆ど目を覆いたくなるような展開が続き、クリューガーの運命に溜息を吐かざるを得ない。(ちなみに、この小説の面白いところはひりつくタイムリミットサスペンスの要素だけではなく、犯人が何故飛行機を墜落させたがっているのか? というワイダニットの部分も物凄く面白い)


 一方で今回の『フォーリング─墜落─』は、絶望の中から一筋の希望を繋いでいく物語である。パイロットから客室乗務員、そしてFBIに至るまでのプロフェッショナルが最適な行動を取り続けながら未曾有のハイジャック事件に立ち向かっていくのは興奮する面白さだ。ディティールがしっかりしている為、「ああ、飛行機で危機が起こったらこんな風に対処するようになっているんだな」というある種のお仕事小説としても楽しめる。そして、ハイジャック犯の動機にも、胸を打たれた。ハイジャック犯が「〝とあること〟を出来たら、すぐに人質を解放する」という発言をするのだが、この条件が──確かに出来ない、と思わせることだった。非人道的なことでも、痛いことでもない。だが、読者も作中の人物も大半の人間が出来ないことだ。そして、みんなこれが出来ないから、犯人は事件を起こさざるを得ないんだよな……と思わせられる


 まるで映画を観ているかのようなドキドキの展開は、まさにページターナーの名にふさわしい。上記の二作は是非とも合わせて読んでほしいと思う。


相沢沙呼・青崎有吾・乾くるみ・織守きょうや・斜線堂有紀・武田綾乃・円居挽『彼女。 百合小説アンソロジー 』(実業之日本社)は3月17日発売です!


次回の更新は4月4日(月)17時です。

Written by 斜線堂有紀 

小説家。2016年、第23回電撃小説大賞にて“メディアワークス文庫賞”を受賞。受賞作『キネマ探偵カレイドミステリー』でデビュー。著作に『詐欺師は天使の顔をして』(講談社)、『恋に至る病』(メディアワークス文庫)、『ゴールデンタイムの消費期限』(祥伝社)などがある。2021年、『楽園とは探偵の不在なり』(早川書房)が本格ミステリ大賞にノミネートされ、注目を集める気鋭の書き手。

斜線堂有紀氏のTwiterアカウントはこちら

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色