第14回/綺麗な自然の風景コンプレックス

文字数 1,523文字

こちらはインターネットに生息するふしぎないきもの・にゃるらがインターネットと独り暮らしとそれ以外について深夜に執筆している画像付きエッセイです。→@nyalra


第1回はこちらから

  夜中の散歩中、ふと空を見上げてみたら、夜空に輝く星が綺麗だった。
 東京でも、こんなにたくさんの星が見れるのか。ふだん、まったく星なんか探したことがなかったのでビックリしました。しかし、まあそれだけだなぁとも同時に思った。そもそも、自然の風景で感動する感覚が自分には薄いのです。

 建物は好きです。最近は、お寺や教会を回ったりするのも趣味で、あとはちょっぴりレトロな街並みを探したりするのも日々の楽しみ。人間の手で作られた人工物が好きなんですよね。特に、宗教建築なんかは、人間が少しでも神に近づくために、荘厳で大きく建造されたものですから、その神への祈りに近い建築作業に想いを馳せます。でも、自然単体で感動したことは殆どない。


 沖縄出身だからですかね? 海は青くて、少し歩けばどこにでも森林があるような環境ですから、そういった自然の暖かみは一生分堪能していたのかもしれません。山に登っても、滝に入っても、体験自体への面白味は理解できるものの、そこで風景を楽しみたい気持ちにはならない。三ツ峠なる、そこそこの山を早朝から数時間かけて登りきったことがありますが、あの時ですら山頂の景色はどうでも良くて、とにかく「難易度の高い山を自分でもクリアできた達成感」だけが気持ちよかった。たとえ山頂の景色を写真に残したとして、インターネットに流れてくる綺麗な景色って、基本は「 ( ´_ゝ`)フーン 」くらいの感じですから、他人が見たとしても「 ( ´_ゝ`)フーン 」で終わりじゃありません? ググれば無限に美麗な風景は転がっているのだし、わざわざ素人が投稿する意味あるのか? と考えてしまう。


 対して、建造物の写真は、「こんなものもあるんだ!」って見応えがあるし、撮影者の撮り方での拘りや違いも楽しめる。「この角度で撮るか!」みたいな。「この人は、この建造物を"みんなに見せたいもの"として認識しているんだな」って見方もできる。対して、風景はどれも似たようなものに感じて、なんだか教科書を無理やり読まされて、「教育にいいでしょ? 感動するでしょ?」と強制されているような錯覚すら覚えます。言い過ぎた。だいたいは「 ( ´_ゝ`)フーン 」の範疇です。中野ブロードウェイを散歩して回っているのも、中野ブロードウェイの構造や商業施設としての長めが、いい塩梅で脳を刺激するかです。

 要は、教科書的というか、学校で提示されそうな正しい感じが嫌いなだけかもですけどね。「こういうものを見せるとお子さんの感性と教養が培われますよ!」と大人が出してくるようなご立派な精神性を感じる。ここまでくると、なにかのコンプレックスでしょうか? でも、絶対、インターネットのひねくれ者たちの一部は同意してくれると思うんですけどね。「綺麗で正しいものアレルギー」あるでしょ。ふと見上げた先に広がる星空の写真を見せられて、その光に苛つきを感じる人間だって存在するのだ。僕含めたそんなやつらに配慮する必要は1ミリもありませんけどね。

【「ちくしょう目医者ばかりではないか」の絵(つげ義春のサイン入り)】


『ねじ式』の印象的なシーン、「ちくしょう目医者ばかりではないか」のコマが大きく印刷された素晴らしい絵画。額縁がピンクであることが、サイケデリックさを演出してくれてグッド。部屋に置いていると「目」がたくさん増えて、つねに誰かに見られている感覚がしてしまう。

来週も月曜深夜に更新予定です。それでは、おやすみなさい。

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色