〈十五少女〉白鳥アリスの場合/小説:望月拓海

文字数 10,151文字

街と歌、現実と虚構、セカイとあなたーー


15人の仮想少女が【物語る】ジュブナイル。


エイベックス / 講談社 / 大日本印刷による


音楽×仮想世界プロジェクト『十五少女』の開幕前夜。


これは、6人目の少女の物語ーー

 


 目の前にはカッターナイフを持った少女が立っていた。

 この病室には、彼女と気絶している男性医師とわたししかいない。

 わたしが止めないと、彼女は確実に男性医師を傷つける。

 目を見ればわかる。

 瞳の奥から、「目的を必ず遂行する」という執念が見えた。

「なんで……そこまでするの?」

 わたしは自然と口にしていた。

 こんなことがバレたら逮捕されてしまう。

 それなのに、彼女からは少しも迷いが見えない。

 彼女を突き動かしているものを知りたかった。

「生きるため」

 彼女は力強く言った。

 その瞬間、希望が見えた。

 彼女からは尋常じゃないほどの生への執着を感じる。

 彼女の原動力を知ることは、わたしの生きるヒントに繋がる。

 そう直感した。

 彼女はなぜここまで生きたいのか?

 その答えを探るため、わたしは一週間前から記憶をさかのぼった。


 


「アリスは、あと一年しか生きられないんだ」

 病室でお父さんから説明された。

 数日前、いつもの発作で倒れた。

 今回の検査の結果、余命がはっきりしたそうだ。

「アリス、これからどうしたい? やりたいこととかある?」

 お母さんに聞かれる。

「ないよ。お父さんとお母さんの望むことをしたい」

 笑顔で答えると、お父さんとお母さんは泣いていた。

 わたしに余命を告げることについて何度も相談したのだろう。

 二人の涙を見ていたら胸が痛くなり、「売店に行く」と言って病室を出た。

 両親の涙を見るのは何度目だろう。また悲しませてしまった。

 わたしは親不孝ものだ。


 廊下を歩いていると、窓から女子校のグラウンドが見えた。

 陸上部らしき女の子たちが走っている。五階からだから小さいけど、彼女たちの躍動する姿から瑞々しい生命力を感じた。

 わたしはあの子たちとは違うーー。

 物心ついた頃から原因不明の心臓病を患っていた。

 突然襲ってくる発作のせいで何度も生死をさまよった。「今度発作が起きたら危ない」と言われ続け、十五年の人生のほとんどを病院で過ごしてきた。 

 この病気のせいで、普通の子がしてきたことはできなかった。

 発作が起きるから走れないし、学校に行けないから友達もいないし、情熱をかけられるものもない。

 まるでカゴの中の鳥だ。この病気のせいで病院から出られなかった。

 その上、長く生きられてもあと一年。

 これ以上生きて、なんの意味があるのだろうーー。

 そのとき、窓の外にキラキラとした光が見えた。

 蝶だ。

 その光る蝶は窓から廊下に入ってきて、わたしの周りを飛ぶ。

 綺麗に輝く蝶を見ていたら、あたたかい気持ちになった。

 思わず手を伸ばすと、蝶が逃げた。

 わたしは廊下の先に向かう蝶を追いかける。

 そして手を伸ばして捕まえかけたときーー

「危ない!」

 後ろから声がした。

 我に返ると、目の前には青空が広がっていた。

 わたしは胸ほどの高さのフェンスの先に手を伸ばしている。

 下を見て怖くなった。

 ここは屋上だ。

 上半身はフェンスを越えている。

 なんで? さっきまで廊下にいたはずなのに。

 バランスを崩し、落下しかける。

 間一髪、看護師さんに腕を掴まれ、フェンスの内側に引き戻された。

 わたしは尻餅をつく。

「なに考えてるの!」

 看護師さんに怒鳴られたわたしは小さく「ごめんなさい」と言って、逃げるように屋上をあとにした。

 ーーまただ。

 しばらく前から何度も同じことを体験している。

 一回目は線路、二回目は大通り、三回目は歩道橋、今日が四回目。

 キラキラと光る蝶を追いかけ、捕まえようとした瞬間にどこかに飛び出そうとしていたり、飛び降りようとしていた。

 今までは運良く親切な人に助けてもらってきたけど、いずれも命を失いかけた。

 不思議な蝶が見える原因はわかってる。

 わたしは死にたがっているんだ。

 実際、何度も死にたいと思ったことはある。病気のせいで苦しむ人生からずっと逃げたかった。

 ただ、そう思うたびに両親の顔が浮かんだ。

 わたしが死んだら二人は悲しむ。両親のために頑張って生きてきた。

 だけど、本心では死にたがってる。

 その願望が、あの蝶を見せている。

 今日の余命宣告で、死の願望がますます強まった。

 これからも病室から窓の外を眺める毎日が続く。病状が悪化し、どんどん苦しくなる。しかもあと一年で死ぬのなら、なんのために生きるのか。

 生への執着心がさらに薄れている。

 今度あの蝶が見えたら無事じゃ済まないかもしれない。

 けれど、両親のために自分で命を絶つなんていけない。

 わたしは一体、どうすればいいのだろう。


 


 病室に戻る途中、待合室の前で「すいません」と声をかけられた。

 振り返ると、女の子が立っている。

 歳はわたしと同じか少し下くらい。左目の下に三つのほくろがあった。

 クリッとした大きな瞳が可愛い。

「落としましたよ」

 女の子はわたしの財布を差し出した。

 ついさっき、ポケットからスマホを出して時間を確認した。そのときに一緒に入っていた財布が落ちたみたいだ。

「ありがとうございます」

 わたしが言うと、彼女は口角を上げた。

「いえ。よかったです」

 その笑顔があまりに可愛くて、同性なのにドキッとする。

 明るくて人懐っこい表情で、声も弾んでいてすごく親しみを持てた。

 ひと言しか言葉を交わしてないのに、不思議ともっと話したくなった。

「エミさんー、秋子エミさんー」

 看護師さんに呼ばれ、彼女が「はい」と返事をする。

「じゃあ」と会釈し、彼女は診察室に入った。

 診察室には若い男性医師が座っていた。

「先生、今日はたくさん話したいことがあるの」

 彼女が嬉しそうに言うと、男性医師が笑顔をこぼした。

「へえ。楽しみだな」

 看護師さんがドアを閉める。

 人を惹きつける、不思議な魅力のある子だった。

 まるで天使みたいだった。


 


 その一週間後、病院の廊下でエミさんとあの男性医師を見かけた。

 二人は廊下の突き当たりにある病室の前に立っていた。

 わたしはつい立ち止まり、二人を見つめる。

「どうぞ」と、男性医師がドアをスライドさせた。

「わあ……高級ホテルみたい」

 エミさんがスマホを見せた。

「うちの病院で一番良い部屋だからね。お婆さま、検査入院だっけ?」

「人間ドック。HPの写真だけじゃわかりにくいみたいで、動画を撮ってきてほしいって頼まれたの」

 エミさんはスマホを見せた。

「気にいるといいけど。中を案内するよ」

 男性医師が部屋に入った。

 エミさんも入り、ドアを閉める。

 検査入院するお婆さんのために病室を撮影するようだ。

 わたしも入院している四階の病室は高級な個室しかない。その中でもこの病室は最高ランクで、政治家や企業の社長などしか泊まらない。彼女はかなり良い家柄の子かもしれない。

 そんなことを考えながら廊下を進もうとすると、二人の入った病室からバチバチバチッという音がした。

 わたしの足が止まる。

 日常生活では聞かない音。映画で見るマシンガンの射撃音みたいだった。

 気になって病室の前まで歩く。

 部屋の中からは話し声が聞こえない。その静けさが逆に気になった。

 ドアを少しスライドさせて中をのぞく。

 男性医師が目を閉じて横たわっていた。

 エミさんが彼の口にハンカチを当てている。

 男性医師を助けているわけじゃない。

 口にハンカチを当てる応急処置なんて聞いたことがないし、なによりエミさんが落ち着き払って平然としすぎている。

 エミさんがなにか異常なことをしているとわかった。

 固まっていると、エミさんがわたしに気づいた。

 無表情でこっちへ歩いてくる。

 わたしは怖くて動けない。

 目の前まで来たとき、手に握っていたものに気づく。

 スタンガンだ。

 彼女の顔を間近で見てある可能性がよぎった。

 顔は同じだけど、表情や佇まいが違う。

 エミさんは感情豊かだったけど、目の前の彼女は無表情だ。

「あなた、エミさんじゃ……」

「エミさん?」

 眉を寄せ、敵意のある目を向けてくる。

 怖い顔だった。

 この前のエミさんが天使だとしたら、目の前の彼女は悪魔だ。

 彼女はスタンガンをわたしの胸に当てた。

「声を出したら撃つ」

 その温度のない声を聞いて、別人だと確信した。

 

 


 エミさんにそっくりな女の子が、床に倒れている男性医師の両手首を結束バンドで縛っている。

 わたしもさっき同じことをされた。椅子に座らされ、両手を後ろで縛られている。

 男性医師はまだ目覚めていない。さっきの状況を見ると、スタンガンを撃たれたあと、睡眠薬品を染み込ませたハンカチを口に当てられていたのかも……。

 こんな光景は映画でしか見たことがない。しかもそれをしているのは、わたしと同い年くらいの小さな女の子だ。

 この子は何者なの?

 彼女は床に置いていたリュックからカッターナイフを出した。

 そして彼のもとへ歩きながら、刃物をカチカチカチと出していく。

「殺すの?」 

 わたしの言葉で、彼女が立ち止まった。

 理由はわからないけど、もしそうする気なら止めたい。目の前で人が殺されるのも嫌だし、彼女に人を殺してほしくもない。

「殺さない。こらしめる」

「こらしめる?」

「もうエミに近づかせない」

 どういうこと?

 とにかく……やっぱりエミさんじゃない。でも瓜二つだ。

 もしかして……

「あなた、エミさんと双子なの?」

「さっきも『エミさん』と言ってたな。エミを知ってるのか?」

「知ってるっていうか……」

 そう答えたとき、彼女の敵意のある目に気づいた。

 さっきもこんな怖い顔でにらまれた。

 どうして……?

 否定しないということは、彼女とエミさんは双子の姉妹だ。

 男性医師はエミさんと仲が良さそうだった。わたしもエミさんと仲が良いと勘違いしているから敵意を向けられた……そうだとしたら。

「エミさんが誰かと仲良くなるのが嫌なの? だからその先生も襲ったの?」

「……」

 そうなんだ。だったら、この可能性もある。

「いつも、こんなことしてるの?」

「必要なときだけだ」

 シスコンとか嫉妬なんて域を越えている。誰かにエミさんを取られたくないとしても、ここまでするなんて……。

 わたしが止めないと、彼女は確実に男性医師を傷つける。

 目を見ればわかる。

 瞳の奥から、「目的を必ず遂行する」という執念が見えた。

「なんで……そこまでするの?」

「生きるため」

 彼女は力強く言った。

 その瞬間、希望が見えた。

 彼女からは尋常じゃないほどの生への執着を感じる。

 彼女の原動力を知ることは、わたしの生きるヒントに繋がる。

 そう直感した。


 


 今までのことを思い出して改めてわかった。

 彼女はエミさんがいないと生きられない。だからこんな危険なことをしている。

 言い方を変えると、それほど生きたいんだ。

 だったら、なぜそんなに生きたいのか?

 彼女を突き動かしているものはなんなのか?

 その正体を知りたい。

 彼女みたいに生に執着できたら、もう蝶が見えなくなるかも。

「どうして、そんなに生きたいの?」

「……しゃべりすぎた。お前の相手をしている時間はない」

 彼女が男性医師に歩み寄る。

「答えを教えて」

「教える義務がない」

「大声を出す」

 彼女が止まった。

 高級病室には入院患者が少ないからこの近くは滅多に人も通らない。

 彼女もそれがわかってこの病室に男性医師を連れてきたのだろう。

 けど、大声を出せば誰かに気づかれるかもしれない。

 本気ではないけれど、交渉の材料にはなるーー。

 そう考えたのだけど、簡単にはいかなかった。

 彼女はリュックからタオルを出し、わたしの口に巻きつけた。

「少し黙ってろ」

 そう言ってタオルを縛ろうとする。

 抵抗したわたしは口をタオルからずらし、彼女の指に噛み付いた。

 彼女が強引に手を引くと、人差し指が切れてツーッと血が流れた。

 彼女ににらまれる。

 申し訳ないと思いながらも、自分の意志を伝える。

「わたしにも時間がないの。あなたの生きる目的を教えてほしい」

「なんでそんなことを知りたい?」

「わたしはこのままだと自分で命を絶ってしまう。でも、あなたの生きる目的を知れば、わたしも生きられる気がしてる」

 もちろん、それを知っても意味がないかも。ただ、今はこの可能性にかけるしかない。また蝶が見える前に自分を変えないといけない。

 しばらくわたしを見つめた彼女は、静かに口を開いた。

「……わからない。そんなこと考えたこともない」

 その答えに落胆した。

 生きる目的がない?

 生への執着は……生まれつき?

 彼女にはもともと生きたい欲求があって、わたしにはない。それだけの違いってこと?

 彼女はまた男性医師のもとへと歩んでいく。

 でも、わたしは諦めなかった。

「わたしはエミさんと仲が良いの。その先生よりずっと」

 彼女が振り返る。

 すごく怖い顔をしている彼女に、わたしは続けた。

「知り合ったのは最近だけど、毎日連絡を取ってて、親友になれそうだねってよく話してるの。だけど、わたしに協力してくれたら、もうエミさんには近づかない」

「……協力?」

「あなたが生きたい理由を考えてほしい。その答えを一緒に探らせて」

 彼女は「わからない」と言ってたけど、なんらかの理由で嘘をついているかも。または自覚していない場合もある。

 どちらにせよ、諦めずに対話するしかない。

 エミさんと仲が良いなんて嘘だけど、こうでも言わないと協力してくれない。

 少し考えた彼女は、わたしのもとに戻ってきた。

 そして今度はリュックから黒い布を出してわたしに目隠しをする。

「お前の交換条件なんてどうでもいい。エミと親しいのなら、わたしのすることは一つだけだ」

 ターゲットが男性医師からわたしになった。

 彼女は対話する気なんて全くない。

「今からお前の顔にビニール袋をかぶせて縛る。窒息して死ぬかもしれないが、挑発したお前が悪い」

 彼女はわたしの顔にビニール袋をかぶせた。

 


 どれくらい時間が経っただろうーー。

 彼女はわたしの顔にビニール袋をかぶせ、わたしが窒息しかけて手足をバタつかさせるたびに袋を取った。

 それを延々と繰り返し、何十回目かで今まで一番長く袋をかぶせた。

 地獄のような苦しみが続き、死の恐怖に覆われる。

 もうこんなことをされたくない。ここから逃げ出したい。

 意識がブラックアウトしかける。

 朦朧とする中、彼女に顔を平手打ちされて目が覚めた。

 ビニール袋が顔から取られている。

「もうエミに近づかないか?」

 もう何十回もこう言われていた。

「……わたしに協力して」

 わたしもまた同じことを言う。

 エミさんと仲が良いと嘘をついたとき、こうなることも覚悟していた。

 これは我慢比べだ。彼女が根を上げるのが先か、わたしが死ぬのが先か。

 カチカチカチというカッターナイフの刃を出す音が聞こえた。

「これからお前の体中を切り刻む。全身から血が出て出血多量で死ぬかもしれない。もうエミに近づかないか?」

 今度は切られるのか。

 もし助かったとしても、体は傷だらけだ。

 お父さんとお母さんはまた泣くだろうな。

 体中を切られるなんて痛いだろうな。

 全身がべったり血で染まるなんてどんな感覚なんだろう。

 そんなことを考えると、すごく怖い。

 でも、自分で命を絶つよりはいい。

 生きるためには、この賭けを続けるしかないんだ。

「エミさんから一生離れない」

 彼女はわたしの背後に回った。

 腕? 背中? 首?

 どこを切られてもいい。

 死んでも負けない。

 そう覚悟したとき、結束バンドを切られた。

 すぐに目隠しも外される。

 わけがわからない中、彼女はボソッ言った。

「復讐だ」

 わたしはまだ状況についていけない。

「私が生きている理由だ。聞きたくないのか?」

 そう言われ、ようやく理解した。

 わたしの出した交換条件をのんでくれたんだ。

「聞きたい」

 少し間を空けた彼女は、無表情で話し始めた。

「私もエミもクズな親に育てられた。だからこそ、幸せにならないといけない。それがあいつらへの復讐になる。エミと二人でそう誓った」

 親への復讐が原動力だったんだ。

「私に言えるのはこれだけだ。誰も殺さないとエミに約束しているから、これ以上お前になにもできない。もう、エミに近づかないでほしい」

 彼女は眉を下げ、不安そうに言った。

 複雑な生い立ちもあってエミさんしか拠り所がなかったんだ。だからエミさんに捨てられるのが怖い。こんな話も誰にもしたくなかっただろう。「わからない」なんて嘘をついたのも納得できる。

 彼女の気持ちを考えたら気の毒になった。

「わかった。エミさんには近づかない」

 わたしの胸は曇っていた。

 わたしも生い立ちには恵まれてるとは言えない。人生の大半を病院で過ごし、なにもできなかったんだから。

 ただ、両親には恵まれていた。

 二人はたしかな愛を与えてくれた。

 だからこそ、わたしには彼女のような生への執着はない。「復讐」という生きる目的をこれから作ることもできないだろう。

「本当に死にたいのか? お前は生きたがってるように見える」

 彼女に言われる。

 たしかに……こんなに生きようとしたのは初めてだ。もしかしたら、知らないあいだに自分の気持ちに変化が起きて、心から生きたがってるかもしれない。

「そうなれてたら、いいんだけど……」

 言ったとき、病室の窓からキラキラと輝く蝶が入ってきた。

 わたしの周りを飛ぶ蝶を見て、あたたかい気持ちになる。

 部屋の奥に飛んでいく蝶をわたしは追いかける。

 そして蝶を捕まえようとして手を伸ばしたときーー

「おい、なにをしてる?」

 後ろから声が聞こえた。

 気づいたら、病室の窓の外に手を伸ばしていた。

 外に落ちそうになる。

 彼女に腕を引っ張られて病室に引き戻された。

 床に座り込んだわたしは再確認する。

 わたしはやっぱり、死にたいんだ。


 


「本当に死にたいんだな。嘘だと思ってた」

 蝶の話を説明し終わると、彼女は言った。

 わたしたちは病室のソファーに座っていた。

「こんな嘘つかないよ。どうしたら、生きたくなるんだろう……」

 わたしはため息をつく。

 このままだと、また蝶が見える。

 でも、人生の目的も楽しみもないのに、どうしたら心から生きたくなるのか。

 なぞなぞを解いている気分だ。

「協力する」

 彼女が言った。

「もう、してもらったけど」

 彼女の生きる目的は教えてもらった。

「どうすれば生きたくなるか一緒に考える。それが交換条件だ」

 わたしの問題が解決するまで協力したいってこと?

 わたしは少し笑った。

「変なところで真面目だね」

 彼女はきょとんとした。

 わたしは小さく首を横に振る。

「あなた、名前は?」

「秋子ナミ」

「わたしは白鳥アリス」

 誰かが寄り添って支えてくれる。その事実があるだけで、心が軽くなった。

 友達ってこんな感覚なのかも。殺されかけたから複雑な心境ではあるけど。ただ、彼女がわたしを攻撃したのも生きるためだ。

「ナミちゃんはいくつ?」

「十五」

「同い年だ。高一?」

「中三」

「学年は一つ下か……すごいね。やり方はどうあれ、自分で幸せになろうとしてる。わたしとはぜんぜん違う」

「なにが違う?」

「わたしは両親に頼りっぱなし。ナミちゃんみたいな行動力はない」

 もしもナミちゃんみたいな生きる目的があっても、ここまで強くは生きられない気がする。もともとの性格の違いもあるのかも。

「……エミがいたからだ。だから決断できた」

「決断?」

「人生は選択の連続だ。みんな重要な決断から逃げたがる。だが、自分の人生は自分で責任を持つべきだ。エミが支えてくれたから、私はいつも決断できた」

 尊敬に似たような感情を覚えた。

「強い人」というのは、「決断できる人」ということかもしれない。

「わたしは……ぜんぶ病気のせいにして、自分の人生に責任を持たなかった」

 つい自分が情けなくなる。

 わたしはなにもしてこなかった。

 病気を患ったことで無気力になっていたけど、たとえそんな状況でも、自分にやれることがあったんじゃないのか。

 余命もはっきりした今さら、後悔の気持ちが出てきた。

 けれどナミちゃんは、

「そうは見えない」

 と力強く言った。

「お前は今日、いろんな決断をした」

 追い詰められていたから決断するしかなかった。

 それでも、ここまで意思を貫いたのは初めてだ。

 今日のことを振り返り、自分を少しだけ誇らしく思えた。

「ありがと……ねえ、相談なんだけど、あの先生をこらしめるの、一旦止めない?」

「なんでだ?」

「このままだと誰かに見つかる恐れがあるし、ナミちゃんが捕まったら協力してもらえなくなる。それは困るの」

「……」

「わたしを助けてくれる?」

「……わかった」

「ありがと」

 良かった。

 ここまで意志を貫いてきたんだから、自分の正義も最後まで貫きたい。

「先生の結束バンドを切って逃げよう。カッター貸して」

 とりあえず場所を変えてナミちゃんと話を続けよう。そのあとのことは移動してから考える。

 ナミちゃんにカッターナイフを手渡されたわたしは、男性医師の倒れている場所に移動する。

 けど、そこには誰もいなかった。

 後ろからうめき声がした。

 振り返ったとき、ソファーに座っていたナミちゃんの首に腕が回っていた。

 目を覚ました男性医師だった。

 手首には結束バンドが巻かれていたけど、両腕で強引にナミちゃんの首を絞めている。

 ナミちゃんはうめき声を出して暴れるけど逃げられない。

「君、ナースコールを押してくれ!」

 男性医師に言われた。

 わたしは固まる。

 ナミちゃんと一緒に生き残る方法を考えないといけないのに。

 その迷いを察したのか、

「蝶の話は聞いていたよ」

 と男性医師はこわばった笑顔をつくる。

「君のことは僕が助ける。この子は危険だ。早くナースコールを押すんだ」

 ナミちゃんはこどもだし、男性医師とわたしに危険なことをした。

 男性医師は大人で専門家。

 どっちを信ればいいかなんて一目瞭然だ。

 わたしは棚の上の花瓶を手に取り、男性医師の頭に殴りつける。

 花瓶は粉々に砕け、男性医師は床に倒れて気を失った。

「ごめんなさい……でも、もう自分で決めたいの」

 わたしは直感を信じた。

 この選択が間違っていてもいい。

 他人にゆだねず、自分で決断したかった。

 それが、人生に責任を持つということだ。

「逃げよう」

 ナミちゃんを連れて出口の扉を開ける。

 すると、看護師さんが立っていた。

「あなたたち……今の音は?」

 ナミちゃんが看護師さんに体当たりする。

 看護師さんは廊下に尻餅をついた。

「行くぞ」とナミちゃんに言われる。

 走らないと逃げ切れない。

 発作が出るかもしれない。

 だけど、ここで捕まったらもうナミちゃんと話せない。

 わたしは決断した。

 どうせ死ぬのなら、納得して死にたい。

 ナミちゃんと一緒に走り出した。


 


 病院の廊下を走った。

 階段を走った。

 ロビーを走った。

 外の道を走った。

 生まれて初めて、全力で走った。

 走っている最中、変な感覚になった。

 周りの音も、自分の息遣いも、自分の思考も、苦しみも、恐怖すらも消え去り、音のない世界に包まれた。

 その世界は、ただただ気持ちよかった。

 グラウンドを走っていた女の子たちを思い出した。

 わたしは今、あの子たちと同じ感覚なんだ。

 生きるって、こういうことなんだーー。

 ナミちゃんと小さな公園に入って足を止める。

 汗がたくさん出て、呼吸が苦しい。けど発作は起きていない。

「走るって、楽しい」

 体をくの字に曲げながら、頬を上げる。

「走ったこと、ないの?」

 ナミちゃんも息切れしていた。

「初めて」

 少なくとも、覚えている範囲では。

「お前の生きる理由は、それじゃないのか?」

 ナミちゃんはわたしの顔を見つめていた。

 病院の中にいたわたしは、カゴの中の鳥のようになにもしてこなかった。

 決断するのが怖かったからだ。

 でも、今日初めて、自分で決断してカゴの外に出た。

 だからこそ、生きる実感を得られた。

 こんなわたしでも、これだけのことができたんだ。

 心臓を患っているからもう走ることはできない。けれど、この世界にはわたしの知らないことがまだまだある。

 今日みたいな楽しいことが、あるかもしれないんだ。

 知らない世界を見てみたいーー。

 胸を弾ませたとき、蝶が見えた。

 キラキラと輝く蝶が公園を舞っていた。

 わたしの周りを飛ぶ蝶を見て、あたたかい気持ちになる。

 蝶が公園の外に飛んでいく。

 わたしはもう、蝶を追わなかった。

 わたしにはそんなことをしている暇はないのだ。

 自分の胸に手を当てる。

「わたし、生きてみる」

 心臓は、激しく動いていた。


【白鳥アリスの場合】了

十五少女の『物語』の欠片はここから。


Twitter:@15shoujo


Youtube:十五少女


offiicial web-site:https://15sj.xyz/

【この『物語』と合わせて聴きたい『音楽』はこちら】

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