失敗した王様 ~王様ゲームはやめられない、殺されるまで~

文字数 2,798文字

国王という職業はもっとも人々から羨望され、かつ、もっとも憎まれる職業です。


莫大な富や権力を手中にでき、多くの人々の敬愛や尊敬を受ける一方で、それと同じくらい多くの批判や憎悪を浴びます。神に近い万能性を求められ、常人には耐えられないほどのストレスやプレッシャーがかかったことでしょう。


だからこそ将来を担う子弟には「帝王学」という特殊な訓練が必要だったわけです。

国を統治することを「家業」とする王家からは、幼いころから受けた教育を開花させ見事に国を発展させる人物がいた一方で、まったくその才能や資質がなかった人物もいました。 

王様に向いてない。「15で暗君と呼ばれたよ!」

統治者に向いていなかった人物は歴史上数多くいますが、中でも君主としての評判が悪い一方で、芸術分野では高い評価を得る人物がいます。北宋最後の皇帝である徽宗(きそう)です。


徽宗はパトロンとして宋の時代の中国の芸術を支えたのみならず、自らも一流の芸術家でありました。彼自身が描いた『桃鳩図』はこの時代の宮廷画の傑作のひとつと言われています。


宮廷では華やかな文化が花開く一方で、国の統治は完全に破綻していました。徽宗は国を立て直そうとする意志に欠け、方臘の乱などの農民反乱が相次ぎ、1125年には北方の女真族による王国である金の侵入を受け、1127年には都の開封を攻められて捕らえられ、連行先で殺されました


もっとひどかった人物もいます。例えば明の正徳帝。彼は15歳で皇帝に就いたのですが、一切の公務を放棄し遊びと放蕩にふけり、明帝国の体制を揺るがした人物です。


彼の放蕩エピソードはいくつもあります。宮中で商店をひらき屋台の店主になり商店ごっこをする、大軍を率いてモンゴルに遠征し村々を襲って美女を連行し夜の相手をさせる、宮中にいかがわしい寺院を建設し美女を集めて仲間たちと淫楽にふける、などなど。


正徳帝は若い頃は学問を好み武芸に秀で将来を嘱望されていました。国の統治者というプレッシャーに耐えながらも努力する人物と、それに押しつぶされてしまう人物。名君と暗君は紙一重である一例に思えます。

王様の評価は変わる。「ネロのイイトコ、わたしは知ってるよ!」

新の王莽は前漢の皇帝の座を乗っ取って新王朝を建てたことで悪名高い人物です。


平家物語の冒頭では、「秦の趙高、漢の王莽、梁の朱忌、唐の禄山」と四大悪人の一人として名前が挙げられ、天下をとったものの思い上がり欲にふけって身を滅ぼした人物とされています。王莽は現実にそぐわない経済政策を強行したことで社会に混乱を招き、加えて大規模な飢饉から民衆を救えなかったことで、赤眉の乱をはじめとした農民反乱が発生。わずか15年で新は滅びました。


悪逆の限りを尽くしたかのように誤解されがちですが、現在では王莽は儒家経典に依拠しながらも旧い制度を改め、後世の中国王朝の国制の基本となる制度を整備したとして評価されています。復活した後漢でも王莽の国政改革は継続され、明帝の時代に完成した儒家的祭祀・礼楽制度・官僚制は、20世紀前半の清の時代まで継承されることになります。


暴君」の名で知られるネロも誤解の多い人物です。ネロは西暦64年に発生したローマ大火の責任を、当時は非合法だったキリスト教徒になすりつけて大弾圧しました。そのため後世のキリスト教徒に特に悪名高いです。新約聖書の「ヨハネの黙示録」第15章には、世紀末に獣が現れて人々に「666」という数字を刻み、この世を悪が支配すると預言されているのですが、この数字は「皇帝ネロ」を意味しています。


実際にネロは当時の人々にも評判が悪かったようです。芸術を愛し、自ら偉大な芸術家であろうとして、楽器の演奏や独奏をし観客に称賛するように強制したというのだからたまりません。


一方でネロはローマ大火で焼け出された人々の救済や復興は迅速に対応しており、市民の称賛を集めています。また長らく続いたパルティアとの国境紛争を停戦に導き、ネロの死後パルティア王は「ネロ帝は我々にとって大恩ある人」と絶賛されており、以降50年の間オリエントでは平和が続きました。


後世の人が過去の人物を評価する時、現代において価値のある分野や軸で評価してしまいがちです。かつては忠君愛国が重要だったので王莽のような裏切り者は評価できなかったし、キリスト教的価値観が至高とされた時代ネロは史上最悪の人物でした。しかし統治者の政策や制度設計、意思決定プロセスを評価しようとするとまったく異なる見方ができるわけです。

暗君か、名君か⁉ ナポレオン三世の謎
19世紀のフランス第二帝政を率いたナポレオン三世も誤解の多い人物です。


一般的なナポレオン三世の評価は、ヴィクトル・ユゴーが批判したように「誇大妄想狂」「無能の独裁者」「稀代の漁食家」といったもの。いずれも間違った批判ではありません。彼は自分を偉大な人物であると信じ、フランス帝国に君臨し人々を導かなくてはいけないと固く信じていました。


また異常な無口で、演説も下手だったので無能な印象を人々に与えました。さらに無類の女好きで、病気で体が言うことを聞かなくなっても女性を部屋に引っ張りこんでいました。


一方でナポレオン三世の第二帝政は革命で疲弊したフランスが再発展を遂げた時代でもありました。パリ大改造や鉄道整備などのインフラ構築が進み、並行して銀行制度や金融制度が近代化され、フランス資本主義の基礎が築かれました。


またフランスの影響力拡大のため、イタリアやスペイン、メキシコといった地域に干渉したり、アジアやアフリカをはじめ各地に出兵し植民地を広げたりなど、対外的な拡大が推進された時代でもありました。


講談社学術文庫『怪帝ナポレオン3世』は、ミステリアスで何を考えていたかよく分からないナポレオン三世という人物の内面やその行動原理を丹念に追った本です。彼は尊大なキャラクターでありつつ、実際はフランス社会の実利的な発展を推進しましたが、その信念がすべては「社会福祉」であり「民衆の成長のため」であるというのは、新たなナポレオン三世像の提示であります。


我々自身も自分のキャラクターを一言で言い表せないように、「暗君」というのも何をもってそう言うのか論拠をはっきりしないと、この人はああだこうだと本人の名誉に関わる事柄を簡単に言ってしまうのも問題であるように思います。

『怪帝ナポレオン三世 第二帝政全史』鹿島茂/著 (講談社学術文庫) 

尾登雄平(おと・ゆうへい)

1984年福岡県生まれ。世界史ブロガー、ライター。

世界史専門ブログ「歴ログ」にて、古代から現代までのあらゆるジャンルと国のおもしろい歴史を収集。

著書『あなたの教養レベルを上げる驚きの世界史』(KADOKAWA)

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