〈８月２４日〉　天野純希

王(おう)さまと魔(ま)物(もの)


　僕(ぼく)たちの国(くに)は、恐(おそ)ろしい魔(ま)物(もの)に侵(しん)略(りゃく)されつつあるらしい。
　「らしい」というのは、誰(だれ)もその姿(すがた)を見(み)た人(ひと)はいないし、王(おう)さまはそれを認(みと)めていないからだ。噂(うわさ)では、辺(へん)境(きょう)の村(むら)がいくつも壊(かい)滅(めつ)したとか、たくさんの人(ひと)が犠(ぎ)牲(せい)になったとか言(い)うけれど、王(おう)さまは「我(われ)々(われ)はうまくやっている。脅(きょう)威(い)はすぐに去(さ)る」と繰(く)り返(かえ)すばかりで、本(ほん)当(とう)のところはさっぱりわからない。都(みやこ)で本(ほん)屋(や)を営(いとな)む父(とう)さんは、「お金(かね)が大(だい)好(す)きな王(おう)さまのことだから、みんなが仕(し)事(ごと)をやめたら税(ぜい)金(きん)が取(と)れなくなって困(こま)るんだろう」なんて言(い)うけれど、都(みやこ)では多(おお)くのお店(みせ)が閉(し)まっていて、出(で)歩(ある)く人(ひと)はほとんどいない。魔(ま)物(もの)は、口(くち)や鼻(はな)から人(ひと)の体(からだ)に入(はい)り込(こ)んでくるからだ。
　賑(にぎ)やかだった都(みやこ)はすっかり静(しず)かになったけど、僕(ぼく)としては、学(がっ)校(こう)が休(やす)みになったおかげで売(う)り物(もの)の本(ほん)を読(よ)む時(じ)間(かん)が増(ふ)えてありがたかった。
　でも、大人(おとな)たちの間(あいだ)には疑(ぎ)心(しん)暗(あん)鬼(き)が拡(ひろ)がっていた。「あいつは魔(ま)物(もの)に取(と)り憑(つ)かれた」「あそこは店(みせ)を開(あ)けている。魔(ま)物(もの)の手(て)先(さき)に違(ちが)いない」。一(いち)度(ど)疑(うたが)われたら、もう手(て)遅(おく)れだ。誰(だれ)も近(ちか)づいてこないし、出(で)歩(ある)けば石(いし)を投(な)げられる。
　都(みやこ)でひどい騒(さわ)ぎが起(お)こったのは、魔(ま)物(もの)が現(あらわ)れて数(すう)ヶ(か)月(げつ)が過(す)ぎた頃(ころ)のことだった。王(おう)さまお抱(かか)えの大(だい)商(しょう)人(にん)が売(う)り出(だ)した「魔(ま)物(もの)除(よ)けの聖(せい)水(すい)」に、まったく効(こう)果(か)が無(な)いことがわかったのだ。聖(せい)水(すい)はとんでもなく高(こう)価(か)で、無(む)理(り)をして買(か)った人(ひと)たちもいたけれど、それでも魔(ま)物(もの)に取(と)り憑(つ)かれる人(ひと)は後(あと)を断(た)たなかった。
「聖(せい)水(すい)は偽(にせ)物(もの)だ！」「本(ほん)物(もの)は貴(き)族(ぞく)どもが隠(かく)し持(も)ってるに違(ちが)いない！」。噂(うわさ)が都(みやこ)を駆(か)け巡(めぐ)り、人(ひと)々(びと)は貴(き)族(ぞく)の屋(や)敷(しき)を襲(おそ)いはじめる。家(か)族(ぞく)を魔(ま)物(もの)に奪(うば)われた人(ひと)もいれば、ただ暴(あば)れたいだけの連(れん)中(ちゅう)もいた。貧(まず)しくても王(おう)さまや貴(き)族(ぞく)を支(し)持(じ)する人(ひと)もたくさんいて、民(みん)衆(しゅう)同(どう)士(し)のぶつかり合(あ)いも起(お)きた。
　略(りゃく)奪(だつ)者(しゃ)が、何(なん)の関(かん)係(けい)もない店(みせ)を襲(おそ)った。貴(き)族(ぞく)や大(だい)商(しょう)人(にん)の屋(や)敷(しき)に、火(ひ)が放(はな)たれた。軍(ぐん)隊(たい)が出(しゅつ)動(どう)したが、貧(まず)しい兵(へい)士(し)たちは命(めい)令(れい)に従(したが)わず、将(しょう)軍(ぐん)たちは我(われ)先(さき)に逃(に)げ出(だ)した。勢(いきお)いづいた民(みん)衆(しゅう)は王(おう)さまの宮(きゅう)殿(でん)へ押(お)しかけ、門(もん)を打(う)ち破(やぶ)る。
　けれども、そこに王(おう)さまの姿(すがた)はない。代(か)わりに彼(かれ)らが目(め)にしたのは、炎(ほのお)に包(つつ)まれた王(おう)立(りつ)図(と)書(しょ)館(かん)だった。王(おう)さまはこの国(くに)のすべての記(き)録(ろく)を燃(も)やして、どこかへ消(き)えてしまった。
　僕(ぼく)は思(おも)った。本(ほん)を書(か)こう。この目(め)で見(み)た光(こう)景(けい)を文(も)字(じ)にして、書(しょ)物(もつ)に書(か)き記(しる)そう。この国(くに)で起(お)きたことを、自(じ)分(ぶん)たちのしたことを、後(あと)からちゃんと振(ふ)り返(かえ)ることができるように。
　だって、こんな馬(ば)鹿(か)げた騒(そう)動(どう)、もう二(に)度(ど)とゴメンだろ？


天野純希（あまの・すみき）
１９７９年(ねん)生(う)まれ、愛(あい)知(ち)県(けん)名(な)古(ご)屋(や)市(し)出(しゅっ)身(しん)。愛(あい)知(ち)大(だい)学(がく)文(ぶん)学(がく)部(ぶ)史(し)学(がっ)科(か)卒(そつ)業(ぎょう)後(ご)、２００７年(ねん)に「桃(もも)山(やま)ビート・トライブ」で第(だい)２０回(かい)小(しょう)説(せつ)すばる新(しん)人(じん)賞(しょう)を受(じゅ)賞(しょう)しデビュー。２０１３年(ねん)『破(は)天(てん)の剣(けん)』で第(だい)１９回(かい)中(なか)山(やま)義(ぎ)秀(しゅう)文(ぶん)学(がく)賞(しょう)を受(じゅ)賞(しょう)。近(きん)著(ちょ)に『紅(ぐ)蓮(れん)浄(じょう)土(ど) 石(いし)山(やま)合(かっ)戦(せん)記(き)』がある。

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