留萌線哀歌ってどうなのよ

文字数 1,354文字

 本書刊行の翌月、二〇二三年三月をもって、留萌線はほとんど全線廃止される。本書はあたかも、フィナーレに添えられる愛らしい花束である。時期に関するこれほど見事な一致は、光文社の英断によると言うほかない。
 私はさして鉄道少年ではなかった。本書で留萌線をフィーチャーした理由ははっきりしている。「留萌」という響きがあまりにも可愛いかったからだ。るもい。誰でも一度はつぶやいたことがあろう。地名しりとりでも絶大な効果を発揮する。「小樽」と言われたら「留萌」と返せるのだ。いや、「()()(しべ)」もある。北海道は地名しりとりの宝庫なのだ。
 本書は私が初めて北海道を舞台にした作ではないだろうか、と思いあたる。本当は私の地元は函館だが、初めてとあって遠慮があった。函館では、全国の読者に言葉が通じないと思って、おずおずと札幌を選んでみたのだ。そのうち全国の読者より、自分のほうが大事だと思って函館を平気で描くようになった私である。
 そうこうするうちに、プロット上の理由から札幌をすこし離れた鉄道路線を取り入れる必要があり、私は迷わず留萌線を使うことにした。留萌線は当時(二〇〇六年)全線が走っていて、今ではもっぱらゾウモウと読まれる哀しい増毛(ましけ)駅までちゃんと到達していた。使う以上は実際に乗ってみようと、私は深川から荷物を背負ったおばあさんたちと一緒に乗車した。一両の電車が石狩平野をとぼとぼ走り、駅舎もなく短いプラットホームも板張りの無人駅に停まってはまた出発した光景を今でもよく覚えている。
 トラベル・ミステリーといえば西村京太郎氏だが、あちらは大御所だけあってやはり新幹線やブルートレインなど、メジャーな列車が颯爽と走っている。たとえば『消えた巨人軍』などと派手に脅かされると、つい読んでしまうことは避けがたい。
 そこへいくと留萌線はマイナーな私にふさわしい。これはいじけて言っているのではない。マイナーは短調の意味でもある。やがて失われていくものへの哀歌をかなでることは、昔から小説の役目の一つである。かくして本書は、小さな留萌線への小さな哀歌となる運命をさずかった。
 この激動の時代、いろんなものが失われるのにいちいち哀歌を贈ってどうするの、という若者たちの声がはやくも耳にこだまする。だが、こだまは新幹線だから放っておこう。留萌線の鈍行の生活感も、きっといつまでも残るのではないか(哀歌と韻をふんでいる)。



平石貴樹(ひらいし・たかき)
1948年北海道生まれ。東京大学文学部教授などを歴任し、現在は同大学名誉教授。’83年に「虹のカマクーラ」ですばる文学賞を受賞後、推理小説を中心に発表。2016年『松谷警部と三ノ輪の鏡』で本格ミステリ大賞最終候補に。ロジックを重視した作品に定評がある。その他の著書に『だれもがポオを愛していた』『フィリップ・マーロウよりも孤独』『サロメの夢は血の夢』『潮首岬に郭公の鳴く』『立待岬の鷗が見ていた』『葛登志岬の雁よ、雁たちよ』など。

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