〈7月15日〉 まさきとしか
文字数 1,939文字
ボクは犬
ボクは犬 () 。人間 () のおかあさんと暮 () らしている。一人 () と一匹 () 暮 () らしだ。
おかあさんは小 () 説 () 家 () だ。机 () の上 () の四 () 角 () いものをカタカタたたく仕 () 事 () らしい。ボクはソファにねそべって、おかあさんの背 () 中 () を見 () ながらその音 () を聞 () くのがすきだ。カタカタカタ。おかあさんの指 () が鳴 () らす音 () 。おかあさんがそばにいる音 () 。だから、安心 () して眠 () くなる。
でも、このごろ、おかあさんはカタカタをしない。一 () 日 () 中 () 、ボクをなでている。カタカタもすきだけど、おかあさんになでてもらうのはもっとすきだ。
いま、ボクをなでながらおかあさんは泣 () いている。さっき、おかあさんのだっこで外 () に行 () ったとき、知 () らないおばさんがボクを見 () て、「かわいそう」と言 () ったせいかもしれない。ボクの目 () が見 () えなくて、ボクが立 () てないからだろう。
ボクは「かわいそう」の意味 () を知 () らない。
「たのしい」は、草 () の上 () を走 () るときの気持 () ち。「うれしい」は、おやつをもらうときの気持 () ち。「だいすき」は、おかあさんを思 () う気持 () ち。ぜんぶまとめて、しあわせな気持 () ち。世 () 界 () がかがやいて、しぜんとシッポがパタパタ動 () く。でも、「かわいそう」は意味 () がわからないのに、しぜんとシッポがさがるんだ。
かわいそう――。その言 () 葉 () はずっと昔 () 、おかあさんと暮 () らす前 () にも聞 () いたことがあった。
ボクは、最 () 初 () の家 () 族 () に捨 () てられた。そのときはもう目 () が見 () えなくて、ゲリがとまらなくて、よごれていて、くさかった。そんなボクのことを、みんなは「かわいそう」って言 () ったけど、おかあさんだけは「かわいい」って笑 () ってくれた。
あれからどのくらいたつのだろう。もうすぐボクはモフモフの体 () を脱 () いで、キラキラしたひかりになっておかあさんを照 () らす。ときどき、風 () になる。空 () になる。スズメになる。花 () のにおいになる。そうして、おかあさんに話 () しかけるよ。
人間 () って、しあわせよりも、つらいことに目 () を向 () けるいきものらしいから、きっとおかあさんは泣 () くだろう。でも、ボクがいなくなったことじゃなくて、ボクがいたことを見 () て。よごれたボクを「かわいい」って言 () ってくれたあのときのように、くらいところじゃなくて、あかるいところを見 () て。そうじゃないと、ボクの声 () を聞 () きのがしてしまうから。
ボクはいつかまた生 () まれて、おかあさんに合 () 図 () を送 () る。だから、見 () のがさないようにしあわせをちゃんと見 () て。そこにボクはいるから。
ボクはしあわせ。その証 () 拠 () に、シッポをゆらすから見 () ていてね。そうしたら、ちょっとだけバイバイね。
まさきとしか
1965年 () 生 () まれ。札幌市 () 在住 () 。2007年 () 「散 () る咲 () く巡 () る」で第 () 41回 () 北海道 () 新聞 () 文学 () 賞 () (創作 () ・評 () 論 () 部 () 門 () )を受 () 賞 () 。2008年 () 『夜 () の空 () の星 () の』で作家 () としてデビュー。著書 () に『熊金 () 家 () のひとり娘 () 』『完璧 () な母親 () 』『ある女 () の証明 () 』『大人 () になれない』『いちばん悲 () しい』『玉瀬 () 家 () 、休 () 業 () 中 () 。』『ゆりかごに聞 () く』『屑 () の結晶 () 』がある。
【近刊 () 】
ボクは
おかあさんは
でも、このごろ、おかあさんはカタカタをしない。
いま、ボクをなでながらおかあさんは
ボクは「かわいそう」の
「たのしい」は、
かわいそう――。その
ボクは、
あれからどのくらいたつのだろう。もうすぐボクはモフモフの
ボクはいつかまた
ボクはしあわせ。その
まさきとしか
1965
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