諦めと後悔の先で見えたかすかな希望の光/『俠』

文字数 1,315文字

どんな本を読もうかな――。

そんな悩みにお答えすべく、「ミステリー」「青春・恋愛小説」「時代小説」「エッセイ・ノンフィクション」のジャンル別に、月替わりで8名の選者が「今読むべきこの1冊」をオススメ!


今回は柳亭小痴楽さんがとっておきの時代小説をご紹介!

柳亭小痴楽さんが今回おススメする時代小説は――

松下隆一『俠』

です!

「俠」。我が子の名前にもこの字を使いたいと思うほど好きな言葉だが、本作は、私がその名の通りに育ってもらいたいと思うような、義俠心溢れる男が主人公だった。


 ずば抜けた博才や度胸を持ちながら、極道の世界から足を洗い、さびれた蕎麦屋でカタギとして生きる老体の銀平は、不治の病から残された時間の中で自分の過去を悔い、清算しようと気力を振り絞る。そんな彼の姿には悲しい虚しさが漂う。そしてそれは、さびれた蕎麦屋で出会う常連たち一人一人からも、銀平の目を通して感じられるものだった。だから、そんなお客へ対しての銀平の優しさもどこか虚しく感じられてしまう。実際に、客として現れた者たちの中には、彼を裏切る者も現れてくる。


 それらを許すのは銀平の優しさにも感じられるが、それとはまた少し違う人生や人間への諦めのような感情も読み取れて、側から見ていて悲しくなってしまう。そして銀平は店に転がり込んだ青年・清太にだけは自分のようにならないように、最後まで力添えをする。


 物語の世界に入るにつれて、なぜ銀平はここまで自分という人間を許せないのか? という気持ちになる。幼いころに父が亡くなり、本所の忠兵衛親分に拾われ、育った銀平。親分の死からその息子・丑吉が跡目となるも、彼の男としての見込みの無さを悟った銀平が足を洗った後は、いつしか忠兵衛の頃のような義俠心もない一家に落ち込んでいく。そんな中でも、丈太郎という子分だけは立派な極道として育っていた。


 そんな丈太郎と清太を供に連れ、銀平は過去の清算として自分の生きた意味を見出すため、足を洗った博奕を打ちに八州博奕へと向かう。その過程で、カタギとなり更生したものの、どんなに後悔や反省をしても償いきれない罪を負っていた銀平の姿が明らかになる。


 自分がどこで人生の道を踏み外してしまったのか。飢饉から父と逃れ、父のそばにいた幼少期。自分の力ではどうにもならず、なるべくして「そう」なってしまったのか。それは悔やんでも悔やみきれない。そんな銀平の了見、全てを時世の一言で吞み込む貸し元の親分・長次郎の義俠の極道。男の腹が見えたとても印象深い一幕でした。最後の最後まで銀平は、自分の行動を許せずにいたが、忠兵衛親分から教わった銀平の俠気は、丈太郎や清太にもちゃんと伝わっていて、ハナという幼な子の心にも確かに芽生え、ひこばえとなって残り続けていってくれるのだろう。とても切なく、そしてとても心が温かくなる任俠の物語だった。

この書評は「小説現代」2023年4月号に掲載されました。

柳亭小痴楽(りゅうてい・こちらく)

落語家。1988年東京都生まれ。2005年入門。09年、二ツ目昇進を機に「三代目柳亭小痴楽」を襲名。19年9月下席より真打昇進。切れ味のある古典落語を中心に落語ブームを牽引する。

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