Day to Day〈5月31日〉〜〈6月9日〉#まとめ読み

文字数 12,761文字

2020年の春、ここtreeで、100人のクリエーターによる100日連続更新の掌編企画『Day to Day』がスタートし大きな注目を集めました。この2021年3月25日、その書籍版が発売されます。


>通常版

>豪華版


treeでは、それを記念し、『Day to Day』の原稿を10本分ごと(10日分ごと)にまとめて、一挙に読みやすくお送りいたします。それでは……珠玉の掌編をお楽しみください!

〈5月31日〉



 コロナで外出せず、一日中本を読み、TVを見て、原稿を直す。充実しているがつまらぬ。
 今日はダービーである。売れない頃、一年間、府中の東京競馬場で警備員のアルバイトをしていた。昔々の話である。日当五百円。G1の日は百円、ダービーの日は二百円のボーナスが出た。
 私の記憶にある名馬といえば、誰が何といおうとハイセイコーである。地方競馬(大井だったと思う)出身で、血統もよくわからぬ。何処の馬の骨ともわからぬが、大柄な馬体で、中央競馬に出てくるや連戦連勝、それもハナとか1/2馬身というケチな勝ち方ではなく、何馬身も引き離しての圧勝に、たちまち地方出身の若者たちや不遇を嘆く連中がハイセイコーのファンになった。
 そしてダービーに登場。予想はガチガチの本命。誰もが、いならぶ名馬を蹴散らしての圧勝――しなかった。コロリと負けてしまったのである。しかし、
(バカヤロウ! 肝心の時に負けやがって!)
 とは、ならなかった。それどころかコロリと負けたハイセイコーを、みんな一層好きになった。毎日一所懸命がんばってるのに、肝心の時ヘマをしてしまう連中も、ただの怠け者も、不遇な連中は、みんな自分をハイセイコーに投影したのだ。売れない作家の私も。
 結局、われらがハイセイコーは、連戦連勝とG1コロリを繰り返して終ったような気がするが、だからこそ、みんなハイセイコーを愛したともいえる。
 引退したあと、ハイセイコーの騎手が、『さらばハイセイコー』というレコードを出した。素人歌手だから、声がふるえる。それがまた哀切を帯びてたまらなかった。競馬の歌で、ベストセラーになった例を他に知らない。
 私も歌った。途中の歌詞を忘れても、最後に「さらばハイセイコー!」と叫ぶと、何故か涙が出た。不覚である。
 今年のダービーは、ピカピカの血統馬が予想どおり圧勝した。こういう競馬も悪くはないが、私としては、第二のハイセイコーが出て来て欲しい。これは本気である。
西村京太郎(にしむら・きょうたろう)
1930年、東京生まれ。1963年に『歪んだ朝』でオール讀物推理小説新人賞、1965年に『天使の傷痕』で江戸川乱歩賞を受賞。1981年に『終着駅ターミナル殺人事件』で日本推理作家協会賞長編部門を受賞。鉄道推理に新境地をひらき、トラベルミステリー隆盛の先駆者となった。人気・実力ともに他の追随を許さない超流行作家である。2004年に第8回日本ミステリー文学大賞、2019年に「十津川警部」シリーズで第4回吉川英治文庫賞を受賞。
〈6月1日〉ぼくは泣いた


「公園に行ってくるわ」
 冷凍食品のチャーハンを平らげた後、孝史はそう言って遊びに出ようとした。小学校はいつまで経っても休みのままだから、昼食の後は何もすることがない。
 いつもならスマホから顔も上げずに「気ぃつけてな」と言うだけの母が、その日は違った。
「行ってもええけど、裕太くんがおったらすぐに帰ってきいや」
「なんでや。ぼく、裕太くんと遊ぶの好きやねん」
 驚いて聞き返す。裕太は孝史と同じ三年生で、一番の仲良しだった。
「裕太くんのママの勤めとる病院で感染者が出たんやて。今LINEで回ってきたんや」
「そんなん関係あらへんやん」
「アホかあんたは。関係あるから言うとんねやがな。あんたにまで病気が移ったらどないする気や」
 孝史は混乱した。
「裕太くんや裕太くんのママが病気になったん?」
「そうやないけど」
「そやったらええやんか」
「ようないて。まだ発病しとらへんかってもな、病院に勤めとる人も病気持っとる可能性があるんや」
 束の間考えてから、孝史は尋ねた。
「お医者さんとか看護師さんとか、みんな病気になるかもしれへんゆうこと?」
「そうや」
「そやったら、誰が病気治すのん?」
 母は詰まったようだった。
「いつも言うてたやん、裕太くんのママは病院でよう働いて、一人で裕太くん育てとってえらいなあて。あれ嘘やったん?」
「嘘やないけど」
「ぼくらかて風邪引いて裕太くんのママに診てもろたことあるやん」
「なんやこの子は、しょうもない理屈ばっかり言うて。ええか、もう裕太くんに近寄ったらあかんで。一緒に遊んだりしたら二度と家へ入れへんからな。よう覚えとき」
 今まで見たこともないような形相で母は怒鳴った。とても嫌な顔だった。
 三年生になって初めて、孝史は声を上げて泣いた。
月村了衛(つきむら・りょうえ)
1963年大阪府生まれ。早稲田大学卒業。2010年『機龍警察』で小説家デビュー。2012年に『機龍警察 自爆条項』で第33回日本SF大賞、2013年に『機龍警察 暗黒市場』で第34回吉川英治文学新人賞、2015年に『コルトM1851残月』で第17回大藪春彦賞、『土漠の花』で第68回日本推理作家協会賞、2019年に『欺す衆生』で第10回山田風太郎賞を受賞。他の著書に『東京輪舞』『悪の五輪』などがある。
〈6月2日〉不要不急


 とある事情でアパートが全焼して丸裸で焼け出されたため、しかたなく実家に舞い戻った。三食昼寝付きの実家はなんとなく居心地がよくて、新居選びをグズグズしているうちにコロナ騒動で大阪に戻れなくなった。愛車は県外ナンバーなので、閉鎖的な近隣住民から投石されたり「出て行け!」と油性ペンで落書きされたりと散々だった。大阪が恋しくなり、事務所に泊めてもらえないかとメルカトル鮎に打診したところ、コンプライアンスに反するから越境するなと冷たく拒絶された。
 ようやく五月末になって緊急事態宣言が解除されたので、久しぶりにメルカトルの事務所に遊びに行った。泊めてもらうにこしたことはないが、今ならホテルも底値で選び放題なので不安はない。
「このご時世に、むしろ血色がよくなっているな。美袋君」
 挨拶もそこそこにメルカトルが揶揄う。探偵事務所のテーブルには、巨大な法隆寺五重塔の木造模型が置かれていた。八十センチ近い高さで、最上部の屋根がまだ未完成だった。私の視線に気がついたのか、
「暇だったからな。上手くできているだろう」
 手先が器用なことより、メルが真面目にステイホームしていたことに驚いた。
「呑気そうだけど、この春は殺人犯も自粛していたのか?」
 田舎ではコロナのニュースばかりだったので、大阪の事情にすっかり疎くなっていた。するとメルは「まさか」と笑った。
「逆だよ。謀殺は激増している。夜道に人が少なければ被害者宅に忍び込むのも、被害者を待ちぶせするのも目撃されにくい。しかもマスクで顔を隠しても怪しまれない。むしろ今がチャンスと不要不急の殺人すら起こっている始末だ」
「犯人はコロナが気にならないのか」
「人目を避けて犯行に及ぶから、必然的に三密は避けられる。それに犯罪者にとって一番重要なのは、世間の名探偵たちが不要不急の捜査をしなくなることだ」
「不要不急の捜査?」
 そう、としたり顔でメルは頷いた。
「能力の優れた探偵ほど貯蓄がある。つまりこの時期慌てて依頼を受ける必要もない。聞き込み一つにも嫌な顔されるしな。ましてや君でも知っているような高名で高齢な名探偵は、命に関わるから蓑虫のごとく蟄居している。今どき現場にいるのは金回りの悪いザコ探偵ばかりだよ」
「でも君はまだ若いだろ。かき入れ時だったんじゃないのか?」
「のこのこ出張って、木っ端探偵なんかと同一視されるのも気分が悪い。なに、慌てる必要はないさ。これ幸いと、どさくさに紛れて事を起こす犯罪者など、いくら初動が遅れようが充分間に合う。今はまず五重塔を完成させるのが先だ。こちらのほうが並の難事件よりはるかに手間暇がかかる。……それに不要不急な依頼を翌月に先送りするだけで、不要不急の金が入ってくるしね」
 途端に悪い顔になった。

麻耶雄嵩(まや・ゆたか)
1969年生まれ。京都大学工学部卒業。大学では推理小説研究会に所属。‘91年に『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』でデビュー。2011年『隻眼の少女』で第64回日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門、第11回本格ミステリ大賞を受賞。‘15年『さよなら神様』で第15回本格ミステリ大賞を受賞。
〈6月3日〉数多の英雄たち


 映画が好きだった。特にヒーローが世界の危機を救うようなハリウッド映画が。
 幼い頃はよく、大人になった自分がヒーローになり、戦場を駆け巡って、宇宙の彼方、海の底、はては時空のひずみからやって来た侵略者と戦うという夢想に耽っていた。
「いつから、夢を忘れていたんだろうな……」
 顔を上げる。正面にある鏡の中で、若草色の手術着を着た、痩せた男が皮肉っぽく唇の端を上げていた。まだ三十代半ばだが、目立つ頬骨、目の下の濃いくま、そして力のない表情のせいか、十歳以上老けて見える。
 年を重ねていくとともに、自分が特別な人間ではないことを呑み込んでいった。この世界にはヒーローなんて必要ない。なぜなら、戦うべき『敵』など存在しないのだから。そんな常識にいつしか漬かっていた。
 けれど、それは間違っていた。『敵』は姿も見せることなく、ゆっくりと日常を侵食していった。
 睡眠不足と連日の激務で重い頭を振った男は、手にしていたN95マスクで口元を覆うと、防護服、サージカルキャップ、フェイスガード、そして手袋を身につける。
「……行くか」
 マスクの中で呟いた男は、重い足取りで更衣室を出て白い廊下を進んでいく。正面に巨大な金属製の扉が見えた。扉の数メートル手前に緑のテープで引かれたラインの前で、男は足を止める。
 これは『日常』と『戦場』の境界線。ここから先は『敵』の領域だ。
 男はラインを踏み越えると、フットスイッチに足を差し込む。重い音を立てて扉がスライドしていった。幾重にも重なった心電図モニターの電子音と、人工呼吸器の駆動音が鼓膜を揺らす。
 十数人床のICU。そこに並んだベッドに横たわる重症患者たちを冒しているものこそ、いま全人類を脅かしている『敵』だった。
 ここは戦場だ。気を抜けば、自分も『敵』に襲われる。
「俺はヒーロー……」
 マスクの中で男は小さくつぶやく。
 そう、自分はヒーロー。人類の『敵』と戦うヒーロー。
 自分だけじゃない。医師、看護師、検査技師、救急隊員、研究者……。世界中で、数多のヒーローがいま、命を賭して『敵』と戦っている。
 一人一人の力は小さなものだ。けれど、力を合わせれば必ずこの強大な『敵』を倒すことができる。
 映画の中でヒーローたちが、世界を救ってきたように。
 だから、いまは前を見よう。先の見えないこの昏いトンネルに、光が差し込む日を待ちながら。
 男は胸を張ると、戦場へと大きく一歩、踏みだした。
知念実希人(ちねん・みきと)
1978年生まれ。東京慈恵会医科大学卒業、内科医。
2011年、ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞し、『誰がための刃 レゾンデートル』(『レゾンデートル』と改題し文庫化)でデビュー。
医療ミステリー「天久鷹央の推理カルテ」シリーズなどが評判を呼ぶ。2014年刊行の『仮面病棟75万部超のベストセラーになり、2017年『崩れる脳を抱きしめて』、2018年『ひとつむぎの手』、2019年『ムゲンのi』と本屋大賞三年連続ノミネートを果たす。
〈6月4日〉虫の日


 六月四日が「虫の日」であるとは知らなかった。
 ただの語呂合わせだろうが、休日に制定されていないので大方は知らないに違いない。どうせ語呂合わせなら、自分の楽しみや欲を捨てて他に尽くす「無私の日」とか、自分や家族の喜びのためだけを優先する「無視の日」、あるいは医療の向上や交通事故、暴力の根絶を願う「無死の日」などの方が多くにアピールしやすそうに思えるが、「虫の日」とはなんだか洒落ている。
 これは日本語の語呂合わせなので他の国には通用しない。いや、私が知らないだけで、世界にも「虫を愛でる記念日」があるのだろうか。虫と言っても気が遠くなるくらいの種類が存在し、その大方は嫌われている。害虫に対する益虫の比率はたぶん5パーセントにも満たない。
そもそも虫という呼び名はどこから生まれたものだろう。語源を探って見たが、よく分からない。漢字については「まむし」から生まれた象形文字と分かった。「ま」とは「真」だろうから、古代には「まむし」が虫の代表であったと分かる。蛇のことを長虫と呼んでいたことでも明白だ。
 けれど蛇は爬虫類で、我々の頭に描く虫とはだいぶ異なる。咄嗟に思い浮かべるのはゴキブリやら蠅、てんとう虫などなど。それらは昆虫で、本来漢字では「蟲」の字が当てられ「虫」とは別物として明確に区分けされていた。小さな生物が群生しているところから生まれたものだろう。ところが虫偏の漢字が増えるに従って両者の区分けが曖昧となった。とされているのだが、相変わらず「むし」と呼び始めた語源は不明のままだ。
 いろいろと辞典や文献を当たり、たぶんこれだろうと思われる仮説に辿り着いた。「胸」の語源からの推測である。胸はすべての動物にとって一番大事な部位だ。心臓や大事な臓器がびっしりと詰まっている。すなわち動物の体の根源。今でこそ「むね」と発音しているが、古代では「みね」と言っていたのではないかという考察がある。「みね」すなわち「身根」であって、身体の中心、ということだ。それが時代を経るに従って「むね」に変化した。これには大きく頷ける。
 となると虫の「む」も胸を意味している可能性が高い。いやいや「し」だとて「足」の「し」に繋がる。昆虫の一番の特徴は胸部に足が生えていることである。新たな発見をした気分になって嬉しかった。
 今日が「虫の日」でなければ生涯考えようともしなかった問題である。

高橋克彦(たかはし・かつひこ)
1947年、岩手県生まれ。早稲田大学卒。’83年、『写楽殺人事件』で江戸川乱歩賞、’86年、『総門谷』で吉川英治文学新人賞、’87年、『北斎殺人事件』で日本推理作家協会賞、’92年、『緋い記憶』で直木賞を受賞。
『風の陣』『火怨』(吉川英治文学賞受賞作)『炎立つ』『天を衝く』『水壁』の蝦夷五部作が代表作に。その他、『竜の柩』『火城』『時宗』、「完四郎広目手控」「だましゑ」シリーズなど、著書多数。
〈6月5日〉40分の1


 生まれて初めてギャルメイクをした。
 初めて使ったZoomというビデオチャットアプリは、思ったよりも使いやすかった。画面の向こうで鏡に夢中になっている由紀に話しかける。
「メイクって、すごいね」
「ね」
 笑いあうと、中学生の頃に戻ったみたいだった。友達と笑いあうのが、久しぶりに思える。
 明日Zoomしよう、と由紀が言ってきたのは昨日のことだった。じゃあ一緒に動画を見ながらギャルメイクをしたいと私は言った。絶対楽しい、やろう。修学旅行で金木犀の練り香水をおいで買ったときみたいに、ふたりではしゃいだ。
 くちびるのつやが足りない気がして、リップグロスを塗り重ねる。グロスのを閉めたとき、由紀の声がした。
日奈子、高校行ってないんでしょ?」
 かち。完全に閉まった音がして、私は画面を見た。由紀は、画面の中の私の顔をじっと見ている気がした。
っていう英語の先生が、2月から産休に入ったでしょ。私のお姉ちゃんが、臨時講師として、日奈子の学校に赴任したの。3月からは、休校になっちゃったけど」
 こと。グロスが落っこちて、足の親指に当たる。拾わないと。
「でも、坂下日奈子って名前が書いてある席に、日奈子は座ってなかった。代わりに、さんっていうギャルっぽい子が、いませんって笑ったんだって」
 からから。床は平らなはずなのに、グロスが転がっていく。鶴見さんのった声が、頭のやわらかいところに突き刺さる。
「ずっと、心配してた」
 お布団みたいにふわふわと、尖った言葉を包み込むのは、由紀の声。転がっていったグロスを眺めて、拾わないと、と思った。
「メイクおーわり」
 由紀は軽やかに笑って、プリントスクリーン機能を使って一緒に写真を撮ろうと言ってきた。リモート撮影なんて蜷川実花みたい、と笑いながら、何枚も写真を撮る。
 学校に行っていたころのことを思い出す。もう、4ヵ月以上も前。
 3学期になってすぐの席替えで、私は鶴見さんと隣の席になった。教科書を忘れたから見せてもらおうとしたら、鶴見さんも持っていなくて二人で怒られた。それから悪口を言われるようになって、教科書に落書きをされたり、机を隠されたりした。
 1月の終わりくらいから、私は学校に行けなくなった。
 あの頃の私は、40分の1のスペースを割り当てられていたのに、周りから押しつぶされているみたいに縮まっていた。
 でも――。私は自分の顔を画面で確認する。別人みたいな、私がいる。画面の向こうの由紀に話しかける。
「私、変われると思う?」
「変われるし、変わらなくてもいいって、私は思う」
 ありがとう、と小さくつぶやくと、私の顔の周りが黄色く光って、額縁みたいに見えた。
 うちの学校にオンライン授業が導入されるという連絡が来たのは、Zoomを切った後だった。教室に行かなくてもいい。画面に映るだけで、クラスに入れる。
 オンライン授業なら、画面は均等に分けられる。私も鶴見さんも、40分の1。誰も私の机を蹴らないし、椅子を隠さない。私は、学校に行ける。
 受験まで、あと2年ある。こんなところで、負けられない。
 本棚を眺めると、毎日ひとりで読み進めてきた教科書の背表紙が、なんだか光って見えた。
真下みこと(ました・みこと)
1997年埼玉県生まれ。早稲田大学在学中。2019年『#とかくれんぼ』で第61回メフィスト賞を受賞し、2020年デビュー。
〈6月6日〉リターン


 今こそ、こんな時だからこそ、クラウドファンディングだ。今じゃもう、みんながやってる。大切なものを守る為にクラウドファンディングを立ち上げ、それを支援してもらってる。断捨離なんて古い。新しい時代が、分け合う時代が、すぐそこまで来てる。クラウドファンディングはちゃんと目に見える。怖くなった時、不安になった時、クラウドファンディングはちゃんとそばにいてくれる。部屋に一人、クラウドファンディングを開けば、PCの液晶画面から漏れる光が私の顔を暗闇に浮かべる。現在集まってる金額。目標金額。達成に向けた残りのパーセンテージ。それらの数字が、私をちゃんと照らしてくれてる。数値化された人の気持ちを眺めているだけで、心が強くなっていくのがわかる。初めてクラウドファンディングをして以来、私は数え切れないほどのクラウドファンディングに挑戦し、達成してきた。
 始めた直後に一気に跳ね上がり、そこからしばらくのあいだ動きが鈍る。そして、いよいよ終了まで残り3日。さぁ、ここからが勝負だ。クラウドファンディングで支援を待つ間は、とても生きてるって感じがする。それからの団結と爆発。支援者に背中を押され、見えない敵に立ち向かい、倒す。そして、達成。それがクラウドファンディングだ。そんな起承転結を、クラウドファンディングというストーリーを生きてる。お金が欲しいわけじゃないし、お金が惜しいわけじゃない。クラウドファンディングは、人と人、気持ちと気持ちの繋がりだ。
 いつも孤独で居場所がない。そんな私を救ってくれたのがクラウドファンディングで、そんな私を悩ませるのもまたクラウドファンディングだ。何度も達成を繰り返すことですっかり強くなった私の心は、もうクラウドファンディングを必要としなくなったはずだった。それなのに今、猛烈にクラウドファンディングがしたい。クラウドファンディングをしていない日々は、どうしようもなく退屈だった。
 そんなある日、近所に住む西岡さんが、庭で転倒して腰の骨を折った。それを聞いて、私の中のクラウドファンディング心が疼いた。
〈高齢者は生きる図書館。我が町の宝、西岡さんを助けたい〉
 早速立ち上げたクラウドファンディングは無事に目標金額を達成し、私はお見舞いがてら、西岡さんにそのお金を届けた。それなのに、西岡さんの表情は冴えない。せっかくの支援なのに。私は気を悪くした。ここまではまだ我慢できたものの、続けて西岡さんは「こんな出所のわからない金なんて要らない」と怒りを滲ませ言い放ったのだ。私は呆然としながら、ただ西岡さんの口の端に溜まった泡を眺めるしかなかった。
「余計なお世話なんだよ。あんたはあんたで自分のことをやってくれ。俺は、自分が生きる為の金は自分で払うと決めてるんだ」
 西岡さんは、なおも止まらない。リターン用のブロマイド撮影や動画撮影、さらには高額支援者用に計画していた西岡さんとお昼寝、西岡さんとキャンプ、西岡さんと聖地巡礼、それらもすべて断られてしまった。こちらで勝手に決めてしまったことは反省しているけれど、それも西岡さんの為を思ってのことだ。
 私は途方にくれた。そして、心の中で怒りの火が燃えるのを感じた。家に帰った私は、すぐにPCを起動させた。まだ、心が熱くてしょうがなかった。暗闇の中、怒りに歪んだ顔が浮かぶ。私は西岡さんに復讐する為、また新たなクラウドファンディングを立ち上げた。
尾崎世界観(おざきせかいかん)
1984年、東京生まれ。ロックバンド「クリープハイプ」のボーカル・ギター。2012年、アルバム『死ぬまで一生愛されてると思ってたよ』でメジャーデビュー。16年に刊行された半自伝的初小説『祐介』(現在は、書き下ろし小説を追加し、『祐介・字慰』として文春文庫より刊行)は大きな話題となった。近著に日記エッセイ『苦汁100% 濃縮還元』(文藝春秋)、対談集『身のある話と、歯に詰まるワタシ』(朝日新聞出版)がある。
〈6月7日〉雨のソーメン


 梅雨を控えたこの時期は、毎年のように蒸し暑い。
 こんな日には、夏に先駆けてソーメンでも。
 そんなことを考えて、おれはスーパーを訪れた。マスク姿の人たちとの距離を意識しつつ、ソーメンの棚へと足を運ぶ。
 妙なものと出会ったのは、そのときだった。ソーメンのラインナップに、こんなものを見つけたのだ。
『雨のソーメン』
 雨粒をあしらったオシャレなラベルにもなんだか惹かれ、おれは手に取ってみた。見た目は、普通のソーメンと変わらなかった。商品を裏返すと、製造所の欄には鎌倉の住所が書かれている。
 まあ、これでいいか……。
 そんな軽い気持ちで、おれはその品を買ってみることにした。
 異変が起こったのは、帰宅してお湯に麺を投入したあとだった。それはとろけるようにお湯の中に消えていき、見えなくなったのだ。焦って菜箸ですくってみると、透明な麺が引っかかった。
 それを見て、おれは雨みたいだなぁと不思議と思った。雨の残像が描く線──目の前のものは、あれを切り取って集めてきたもののように映ったのだった。
 そうこうしている間にも麺は茹であがり、おれは早速つゆにつけてそれを食した。
 味は、まさしくソーメンだった。が、どんどん食べてみるうちに、雨の匂いがしはじめた。それと同時に、頭の中に鮮明なイメージも浮かんできた。
 しとしとと雨が降りしきる中、おれは石畳の道に立っていた。
 周囲には、青、青、青。
 咲き乱れていたのはあじさいだった。この場所には来たことがある、と、おれは思った。あじさいの名所、鎌倉の明月院だ。
 たくさんの人々が、そのあじさいに見入っていた。無数の傘が揺れ動く。ぽたぽたと垂れ落ちるしずく。濡れた石段。その先に静かにたたずむ山門──。
 気がつくと、ソーメンは最後のひと口になっていた。雨はいつしか止んでいる。
 そのとき、おれはある変化に気がついた。目に映る部屋の中のあらゆるものが、まるで雨上がりのように鮮明に輝いているように見えたのだ。
 おれは自然とこう納得していた。
 なるほど、雨がいろんなものを洗い流して、視界がクリアになったのか──。
 一拍置いて、おれは思う。
 そう考えると、これからはじまる梅雨も、なんだか少し楽しみになるな、と。
 もちろん、世にはびこる病が簡単に去ってくれるだなどとは思わない。が、もしかすると、降りそそぐ恵みの雨が、たちこめるいろいろなものを洗い流す。そんなことがあってもいいんじゃないか──。
 おれは最後の麺をズズッとすすり、そうなったときの光景を想像してみる。
 心はおのずと躍りだす。
 雨が上がったあとの世界は、きっといっそう美しい。
田丸雅智(たまる・まさとも)
1987年、愛媛県生まれ。東京大学工学部、同大学院工学系研究科卒。現代ショートショートの旗手として執筆活動に加え、「坊っちゃん文学賞」などにおいて審査員長を務める。また、全国各地で創作講座を開催するなど幅広く活動している。著書に『海色の壜』『おとぎカンパニー』『マタタビ町は猫びより』など多数。メディア出演に情熱大陸、SWITCHインタビュー達人達など多数。
田丸雅智 公式サイト:http://masatomotamaru.com/
〈6月8日〉ステイホームが終わったら


 コロナ禍で結婚するカップルが増えたらしい。恥ずかしながらその流れに乗ることにした。言葉はもう決めてある。
「今日までどんな自粛にも耐えてきたけど、君を自粛することだけはできそうにないよ。宣言させてくれ。これは僕の緊急事態なんだ」    
 まさに名台詞だ。時世を踏まえつつ、ウィットに富んでいる。
 この言葉で、僕は君を幸せにするよ。

 僕らが出逢ったのは駅前のカフェ。最初は店員と客。でも会えば会話が止まらない。君は口数こそ少ないけれど、いつも楽しそうに笑ってくれていたね。そんな僕らが恋人同士になったのは、君の“ある言葉”がきっかけだった。

「わたしパグのこと大好きなんですよね〜」

 不意の愛の告白。
 店長さんとの会話を盗み聞きして驚いたよ。
 小中高校と『パグ』って呼ばれていたことを店長さんには話していたけど、まさか君が親しみを込めて僕を『パグ』と呼んでいたなんて。      
 正直、恋人同士になれるか不安だった。根気よく探した君のTwitterには『1年くらいウザい客に絡まれててマジで辛い!』ってあったから、恋愛恐怖症なのかもって思っていたんだ。
 てか、ストーカーに悩んでいるなら相談してよ。僕らも出逢ってちょうど1年なんだから。僕ってそんなに頼りないかなぁ? 
 でも君は「大好き」って言ってくれた。だから僕も「好き」って伝えた。隣の席の若造のくしゃみと被っちゃったけど、ちゃんと届いていたよね? 僕を見て、ニコッと笑ってくれていたから……。
 その矢先のステイホーム。僕らは時代に引き裂かれた。でも気持ちは変わらなかったね。君もそうだろ。昨日のTwitterに『やっぱパグ大好き』って書いてあったもん。僕の名前を書いたらストーカーにバレちゃうからね。所謂“匂わせ”ってやつなんだろ?
 指輪も買ったよ。国がくれた10万円で。
 さて、明日はカフェの営業再開。君に会ったらまず指輪を──
「ちょっとまーくん! あんたバイトの面接行きなさいよ!」
「うるせぇババア! 行くわけねぇだろ! 濃厚接触したらどうすんだ!」
 ああ、そうさ。僕が濃厚接触したいのは、世界で一人、君だけなんだ──あれ? Twitterが更新されたぞ。

『結婚しま〜す! コロナ婚で〜す!』

 こ、このツーショット写真の男……くしゃみの若造じゃねぇか!! あの笑顔は僕じゃなくて隣のこいつに送ったものなん!? パグが好きってマジもんのパグのことなん? んんんんざけんな! 気を持たせる真似しやがって! 指輪買っちまっただろうが! どうすんのさコレ!! 
 あ、今日は6月8日か……。お母さんの誕生日だ。
 やれやれだ。親子のソーシャル・ディスタンス、たまには縮めてやりますかね。
宇山 佳佑(うやま・けいすけ)
神奈川県出身。脚本家・小説家。著書には『ガールズ・ステップ』『桜のような僕の恋人』『君にささやかな奇蹟を』などが、脚本作品には『今夜、ロマンス劇場で』『信長協奏曲』などがある。
〈6月9日〉正しい町


 そんなつもりはなかったのに、あなたは反対方向の電車に乗り込んでしまう。いくつかの駅で乗り換え、さらにバスに揺られること数時間、気がつくとあなたは〈正しい町〉にいる。バス停に降り立った瞬間、少年時代の夏の匂いを含んだそよ風が吹き過ぎ、あなたの古い思い出のを払っていく。降り注ぐ蝉の声の中に、何か重要なメッセージを聞き取る。初めて訪れるその町を、あなたは自身の故郷以上に懐かしく思う。
 当てもなく歩き、交差点に差しかかる。そこであなたは一目惚れというものが実在することを身をもって知る。彼女は朝顔の柄の浴衣を着ている。歩みに合わせて、赤い鼻緒の下駄が涼しげな音を立てる。左手の薬指に光るそれは、何もかもが遅すぎたことを密やかに、しかしきっぱりと告げている。
 彼女のらには当然、指輪の贈り主である彼がいる。彼女を目にしたときと同等かそれ以上の衝撃を、彼はあなたに与える。なぜなら彼はあなたと瓜二つの魂を持っているからだ。外見はそれほど似ていない。話し方だってまるで違う。それでもあなたは、自分という人間の取り得た可能性の形の一つが彼なのだと、一目見たときから確信している。
 正しい町に属するあなたと、間違った町に属するあなたの目が合う。こんにちは、と向こうが挨拶する。それから何気ない調子で言う。「あなたは間違ってしまったんですね」。あなたはき、同じように返す。「あなたは間違わずに済んだんですね」。それ以上の言葉は必要ない。二人の人生はそこで交差し、以後二度と交わることはない。別れ際に、彼女が振り向いて小さな微笑みを分け与えてくれる。その笑みがもたらした温かい痛みを、あなたは後生大事に抱えて生きていくことになる。
 来た道を引き返し、あなたは〈間違った町〉に帰り着く。昨日まではそんな名前ではなかったのに。間違った町には色も香りも音楽もない。古い雑誌の一ページのような物悲しい倦怠が、土壌の奥深くまで染み込んでいる。季節の変わり目や何かの記念日、あなたは折に触れて正しい町に、そこにいた正しい自分に思いを馳せる。不思議と、嫉妬の念は湧き起こらない。あの町の本当の美しさを見ることができるのは、あの町を思ってこれほど心を痛めることができるのは、〈正しい町〉の正しさをわかっているのは、自分だけだと知っているからだ。
 明かりを消して、あなたは眠りにつく。せめて正しい夢が見られますように、と祈りながら。
イラスト:紺野真弓
三秋縋(みあき・すがる)
1990年生まれ。岩手県出身。2013年『スターティング・オーヴァー』でデビュー。主な著作に『三日間の幸福』『いたいのいたいの、とんでゆけ』『君が電話をかけていた場所』『僕が電話をかけていた場所』『恋する寄生虫』(いずれもKADOKAWA/メディアワークス文庫)、『君の話』(早川書房)などがある。
漫画版Day to Dayはこちら

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