体重計が測るもの/久保友香

文字数 2,324文字



 ある夏の晴れた日、午前中の研究ミーティングを終え、家の最寄駅に戻ったのは、いつもより早い昼下がりだった。駅前にめずらしく献血バスが止まっているのを見て、私はふと高校時代のことを思い出した。

 通っていた女子校では、年に2回の健康診断があった。私たちはその日にある一つの測定のために万全の準備を行った。何に向けての準備かといえば、体重測定である。誰かが「朝食をぬいてきた」と言えば、「私は昨日の夕食もぬいた」、さらには「昨日髪を切ってきた」と言う人もいた。そしてついに「昨日献血をしてきた」という人まで現れた。今でも健康診断の日のおなかがすいてふらふらしていた感覚を思い出す。そしてその放課後には皆でケーキの食べ放題に行くのだが、一口目のケーキの胃に染みわたる感覚を思い出す。

 高校を卒業して大学の工学部に進んでからは、定期的な健康診断も無くなり、体重は家の体重計で測るようになった。かつてのなごりで、体重を測るのは最も空腹になる、朝食の前と決めていた。十年くらい継続していたが、ある日、尊敬する先輩に「正しい値を得るためには、一日に複数回、例えば朝と夜に体重を測って平均値をとるべきだ」と言われた。その通りである。

 私は大学の実験の授業で「ものを計測する時は、複数回計測し、その平均をとる」という基本を習っていた。朝食前の計測結果だけで体重を定めることは、科学的には「噓」である。ましてや、高校時代の友人のように、献血後という特殊な状況の計測結果で体重を定めることは、計測データの捏造という「大噓」である。私は、大学での実験ではそれを守っていたのに、体重を測る時にはすっかり忘れていた。これから研究者の道を生きていこうとする、論理的であるはずの自分の中に、非論理的な要素を見つけてしまったことが悔しくて、体重計を捨てた。

 それから5年ほど経ち、私は大学で研究員として働きながら、日本の女の子たちの「盛り」という行動の研究を始めた。彼女たちがプリクラの画像加工で作る「デカ目」の顔写真や、スマホカメラで作りこむ非現実的な「インスタ映え」写真などは、大人たちにとって不可解で、「噓だ」「詐欺だ」と批判されることも多い。確かに「写真」という字のごとく、写真が「真実を写す」ためのものならば、それは「噓」になる。しかし、多くの女の子たちにインタビューし、集めた声を分析していくと、「噓」と言われる行動にも、彼女たちなりの論理があり、必ずしも「噓」とも言えないことがわかってきた。それを『「盛り」の誕生 女の子とテクノロジーが生んだ日本の美意識』(太田出版)という書籍にまとめた。

 女の子たちにインタビューしてわかったことの一つに、彼女たちが、自身のビジュアルを評価するとき、客観的かつ定量的に評価する「ものさし」を求めていることがある。例えば彼女たちは、ブログやSNSに、自身が写った写真を積極的に投稿し、それに対するアクセス数や、「いいね」の数、写真の保存数などの数値を気にしている。

 そのようなインターネット上のサービスが登場するはるか前から使われていたのが「体重計」である。本来、理想的なビジュアルであるかどうかの評価を、「体重の少なさ」だけでするというのは最適でない。しかし、どの家庭にも普及し、そこに乗るだけで測れるというほど利便性の高い計測技術は「体重計」しかなかったから、それが「ものさし」として使われるようになった。

 女の子たちにインタビューしてわかったもう一つのことに、彼女たちは、ありのままのビジュアルよりも、ビジュアルを作るための「努力」に対する評価を求めていることがある。例えば彼女たちはよく、動画投稿サイトに、自身の化粧のプロセスを撮影した動画を投稿する。出だしで、あえて映りの悪いすっぴんの顔を見せることが多いのは、化粧のプロセスの効果を強調するためである。私がインタビューした女の子の一人は「すっぴんを褒められてもうれしくない、努力を褒められたい」とはっきり答えた。

 高校時代の私たちが「体重計」で知りたかったのも、ありのままの絶対的な体重ではなく、食事をぬいたり、髪を切ったり、献血をしたりなど、「努力」で得られた相対的な体重だったと思う。「努力」のプロセスを記録する方法はなかったので、友人たちと口頭で報告し、評価し合った。私たちにとって体重計は、「体重を測る」ための装置というより、「努力を測る」ための装置だったのだ。そう考えれば、体重測定前に、食事を抜く、血液を抜くという行動も、「噓」ではない、論理的な行動である。それがわかり、私はかつて自分自身を咎めた非論理性の罪から、解放された。

 ここまで書いてきてなんだが、私たちの「努力」とは、それほど真剣なものではない。私たちにとって「体重計」は、「ステージ」のようなものでもあった。芸能人も「ステージ」の上では、ある意味「噓」をついてでも、実際よりも良い姿を見せようとするだろう。私たちは「体重計」の上で、それを真似したのだ。芸能人には「観客」がいるが、一般の女の子たちに「観客」などいない。だから、体重計の「目盛り≪《》≫」の反応を、「観客」の反応の代わりにしていたのだ。体重測定後のケーキ食べ放題は、終演後の打ち上げである。「体重計」は、結局、私たちの「ステージ」ごっこに使われるおもちゃとして、愛されていたように思う。

【久保友香(くぼ・ゆか)】
78年生まれ。著書に『「盛り」の誕生 女の子とテクノロジーが生んだ日本の美意識』。

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