法廷外の「にらみ」

文字数 1,098文字

 取り調べの段階では罪を認めていた被疑者が、裁判が始まったとたん、一転して無罪を主張することがままある。検察側にしてみれば、こういう事態は避けたい。そこでどうするか。一策として、取り調べを担当した刑事を法廷の傍聴席に呼ぶのだ。そこから被告人に向かって、「裁判でも素直に認めろよ」と「にらみ」をきかせてもらう、というわけだ。
 街中には、あちらこちらに防犯用の監視カメラが設置されている。ポールの上から丸いレンズが、通行人に向かって無言の圧力をかけてくる。「悪いことはするなよ。ちゃんと見ているからな」。こうしてみると現代は、法廷内にとどまらず、いたるところで誰もが「にらみ」を受けている時代と言えるかもしれない。
 子供のころ、わたしにはWくんという友だちがいた。Wくんの家には腰の曲がったお婆さんがいて、彼女は孫を溺愛していた。わたしたちがWくんの家の前で遊んでいると、そのお婆さんは、いつも仏頂面で窓際に立ち、ガラスの向こうからじっとこちらに厳しい視線を向けてくるのだった。「うちの大事な孫に怪我でも負わせたら、あんた、承知しないよ」。幼少時のわたしにとって、それは恐ろしい「にらみ」であり、いつの間にかWくんとは距離を置くようになってしまった。
『にらみ』を上梓したあと、ふと次のような考えが頭に浮かんだ。本のカバーに著者近影を載せる機会があったら、その写真を思いっきりコワモテの風貌にしてはどうだろう。つまり、そこから読者に「にらみ」をきかせるのだ。「最後までちゃんと読めよ。途中で放り出すな。読み終えたら、いろんなところで褒めちぎれ。『この本は絶対に買いだ』ってな。間違っても貶すんじゃねえぞ」といった具合に。
 こんな作家と付き合いたい読者はごく少数だろうから、次回作はまず手に取ってもらえなくなるはず。したがって、これをやるなら人生最後の作品で、ということになりそうだ。



長岡弘樹(ながおか・ひろき)
1969年山形県生まれ。筑波大学第一学群社会学類卒業。2003年「真夏の車輪」で第25回小説推理新人賞を受賞し、’05年『陽だまりの偽り』でデビュー。’08年「傍聞き」で第61回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。’13年『教場』が「週刊文春ミステリーベスト10」国内部門1位、「このミステリーがすごい! 2014年度版」第2位となり、2014年本屋大賞にもノミネートされた。他の著書に『道具箱はささやく』『救済SAVE』『119』『風間教場』『緋色の残響』『つながりません』などがある。

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