『子宮なんかいらない』 溝口智子 

文字数 3,356文字

2021年上半期、「tree」で主催したエッセイ&ノンフィクションコンテスト

なんと1000作を超える作品のご応募がありました!

本当にありがとうございました!

どの作品も、日常の一コマや個人的な体験など、書き手の内面や人生の一端が垣間見える、まさに十人十色という言葉が相応しい独自性の高い力作ばかりでした。

その中から栄えある受賞を勝ち取った一作を特別掲載いたします。

ぜひご一読下さい!

【「tree」主催 エッセイ&ノンフィクションコンテスト 受賞作】


子宮なんかいらない

(章題:「おぎゃあ おぎゃあ おぎゃあ」)


著・溝口智子

おぎゃあ おぎゃあ おぎゃあ
 人生は不公平だな、とずっと思っていたことがあります。
 生理です。

 男性に生理がないというのはどこかの神様が決めたことなんだろうから仕方ない。
 女性みんなの悩みのタネ、ガマンしかない、耐えるしかないと思っていた10代初め。
 初潮から、私の生理は重かった。

 PMSと今は言うのか、腹痛、頭痛、吐き気は当たり前。
 精神的に不安定になるし、普通の生理用品だとせき止められない大量の血。
 生理中は必ず学校を休んでいました。

 ところが、女性みんなが悩んでいるわけではないと知った二十代。
 なんと、生理痛など一度も味わったことがないという人に出会いました。
 血の量も少なくて、夜用スーパーなんていうドでかいナプキンの存在意義がわからないという。
 腹立ちましたね。
 私の痛みの3分の1でもわけてあげたい。血なんか全部あげたい。
 そう思いました。


 あまりに生理痛がつらくて、婦人科を受診したのは、学校を休んでばかりいた十代前半のこと。
 知ってます?
 婦人科の診察台ってすごいんです。イス型なんですけど。

 まず、座面が浅い。座るところは、お尻が乗るギリギリ幅。
 次に、足を置く台が左右別々。右足用の台と左足用の台がある。
 そこに座ると診察台が動くんですね。仰向けで寝るような体勢になって、両足が、ガバーと開く。
 で、医師の見やすい高さ、角度になって診察が始まるわけです。
 患者と医師の間にはカーテンがあって顔は見えない。
 しかし、恥ずかしさと、なんだろう、何かわからないものに対する悔しさがあるんです。 自分の大切な部分を好き勝手にされてるということへの怒り。

 そんな屈辱的な診察を受けて、医師から告げられた言葉は

「悪いところは ないですねえ。まあ、出産したら軽くなったりしますから」

 怒りで頭がクラクラしましたよ。

「出産したら軽くなる!? それが、十代前半の子どもに言うことか!」

 と、今なら思います。
 ですが、子どもだった私は、すごく嫌な思いをしたとしか思えなかった。
 感情というのも、成長と共に変わるものらしいです。

 そんなこんなで生理をガマンでやり過ごしつつ二十歳を越えると、血の量が格段に増えたのです。
 仕方なく、また婦人科へ。その時は診断名が付きました。「子宮筋腫」。
 病名があるというだけで、気持ちは落ち着くものです。
 なんだ、子宮筋腫か。じゃあ仕方ないや。

 病名があるので、対処方法も示されました。
 ピルを飲むこと。
 避妊薬として使われるピルですが、なんと生理の不調を整えるのにも役立つと。
 1も2もなく飲み初めました。
 まあ、これが効果バツグン。
 生理期間も「天国か!?」と思うくらい楽になってバンザイでした。


 ある日突然、道で倒れました。
 息を吸っても体の中に入っていかない。
 呼吸困難で起き上がれず、目が見えなくなっていく。 通りすがりの方が救急車を呼んでくれて、病院へ。
 CT検査後、ICUへ。
 肺に血の塊が詰まる肺塞栓(心筋梗塞の肺版みたいなこと)になってました。
 絶対安静、酸素マスク、血栓を溶かすための薬剤点滴。

「あと少しで即死だったよ」

と医師に脅されました。


 ピルには血栓ができやすくなるかもしれないという危険性があります。しかしそんなことが起きるのはごくごくマレなこと。
 私はそのごくごくマレなやつに大当たりしてしまったのです。
 どうせ当たるなら宝くじにでも当たればいいのに。
 そんなこんなで、ピルは飲めなくなりました。

 ピルを飲まなくなると、生理はまたひどくなりました。
 最初に診察されたときの「子どもを産んだら楽になる」という言葉を信じて出産したら良さそうなものですが、結婚願望がなく、子どもが好きということもなく、子どもを育てるお金の余裕もない。
 そんなこんなで早く閉経がこないかと祈りつつ、生理と戦っていました。

 そして、負けました。出血量が恐ろしく増え、布団にビニールシートを敷かないと眠れないほど。
 一週間様子を見ましたが止まらない。その一週間で血が足りなくなったのか、立ち上がれなくなりました。
 病院へ行くと「機能性出血」という病名。 どこも悪くないのに、ただ出血してるだけということでした。
 普通なら、ホルモン剤でなんとかなるらしいのですが、ピルの副作用が出た私には使えない。
 血を止めるには子宮を摘出するしかないと。


 結婚願望も出産願望もなく出血多量で輸血を受けつつ、手術をうけてみたいという好奇心があり、即決で子宮を摘出することにしました。
 手術はうまくいき、私の中から子宮が取り出されました。
 術後の診察で「摘出した子宮の写真、見ますか?」と医師。
 もちろん見せてもらいました。

 白っぽいピンク色のぶにぶにした塊。私の中身、私の過去、私の苦労。
 嫌な思いばかりさせられたのに、自分の子宮を見るのはショックでした。
 私にはもうこれを取り戻せない。決して選べない。もう何があっても子どもを産めない。

 産めないんだ。


 子どもを産まないのと、産めないのとの間にはチョモランマくらい大きな壁があります。
 その壁を眺めつつ、少子化対策に変な提案ばかりする政府や、女性の働きやすさ推進のためにピルを勧める政治家に、激しい嫌悪感を持ちます。

 友人には子宮を摘出したことは、話していません。 子持ちの友人に気を使わせるかも知れないから。
  子宮がなくても、子どもが産めなくても、私は大丈夫だけど、世間はどう思うかわからない。
 そもそも内臓をどうこうしたという内容を人に話す必要など、どこにもないし、普通は話す機会も少ないでしょう。
  なのに子宮まわりは「出産」という問題のために表沙汰になる可能性が高い。

 これもずいぶんと不公平なことだと思う。 なんだか日本の、というか私の中では、未だに女性は子どもを産むのが当たり前と思っているところがある。
 平凡な結婚、平凡な子育て、平凡に年を取り、平凡に人生を振り返り、満足して死んでいく。
 そんな「平凡」なんてどこにもないし、だれも手に入れることなんかないんだけどね。

 それでも平凡を目指す女性は私のまわりには多かった。
 バリバリと轟音を立てて仕事をしようという人は少数派だった。
 多数派の女性は健康な子宮を持ち、その子宮の役目を有効に使っているらしい。
 多数派の女性は、子宮を使った幸せを知っているから、こう言う。

「早く結婚しなよ。いや、結婚しなくてもいいから、子どもは産みなよ」

 多数派の女性は、チョモランマの向こう側にいる。だから、知らないのだ。
 子どもを産まないことと、産めないこととは大きく違っているのだということを。
 私はチョモランマのこちら側に来てしまった。これはとても大切なことだ。

 子宮がなくなった空っぽの下腹部を見つめた私は、私の中の多数派を直視した。その穢れのない、その聖母のような笑顔が孕む暴力性を知ってしまった。

 私の子宮に詰まっていたのは、薄っぺらい世界観と、同情と見せかけた暴力的なおせっかい。
 外側はうっすら白いピンクだけど内側は、べっとりとタールのように粘つき、私をその中に引きずり込もうとする、悪臭だらけの径血にまみれた固定観念。
 それを腹の中に抱えたままだったなら、私は一生知ることもなかっただろう。
 誰もが身のうちに、触れられたくないものがあるということを。
 天使のように美しく、亡者のように醜い、みんなの内臓のことを。


 だから私は

 子宮なんかいらない。



<終わり>

受賞作以外にも、注目作品は目白押し!

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