メフィスト評論賞 法月綸太郎×円堂都司昭 選考対談【後編】

■第二次選考

応募作の充実ぶりに、急遽「法月賞」「円堂賞」も選定!

編集部 「ガウス平面の殺人」「神は天にいまし」「異なるセカイのつなぎ方」「誰がめたにルビを振る」「蘇部健一は何を隠しているのか?」の5作が一次選考を通過しました。第二次選考は、お二人の間で評価が分かれた〝問題作〟「神は天にいまし」から始めたいと思います。

法月 「存在しないキャラクター」についての考察を最初から放棄しているという指摘が、言い方はある種逆説なんですけど、これはけっこうクリティカルな言葉だと思っています。 あとラストに近いところで「そして読者とは、作者の失敗を作者の代わりにそうと認めてやる者のことだ。この小説も例外ではない。この謙虚な作者さえ」という文章があるんです。ここを読んで「この小説」は「この評論」の意味で、一瞬、「作者の失敗」というのが応募者自身のことであるかのような錯覚を覚えたんですよね。全否定で構成されているんだけれども、この文章で何かやむにやまれぬ切実なものを感じたということです。実際はそうじゃないと思いますけど(笑)。僕にはそういうことで胸に迫ったんです。

円堂 私は、一次選考でもいいましたけれど、読んでいてまったくノレなかったです。

法月 そっかあ。僕はこれがいちばんノレたんだけど(笑)。

円堂 読むのが辛かった。私の感性が保守的なのかもしれませんが、謎が提示されて、手がかりを集めて、そこから推理して結論を導き出す。小説と同様に評論もそういうわかりやすい構成のほうが、当たり前ですけど、すっと頭に入ってくる。でも、これは冒頭からズバッと否定して、否定の否定に移行するのでもない。なんか停滞感を覚えてしまうんですよね。

法月 確かに否定から入るせいで、せっかくポジティブな論点を出しているのに、全部相殺されてしまったようなところはありますね。日本の評論の作法と違うのかな。どちらかといえば英米の哲学系の論者がずばずば断言していくのに似ている。

円堂 法月さんがこの応募作にそれほど思い入れるとは思っていませんでした(笑)。いま話を聞いていて思い出したのが『密閉教室』(法月綸太郎/1988年刊)のラスト。あれに近い感覚なのかなあって。

法月 ああ、なるほど。やっぱりけんもほろろな文体のせいかな。本当にこれがいちばん読んでいてリズムが合ったというか(笑)。だから、読んでいるかどうかはわからないけど、舞城王太郎(2001年第19回メフィスト賞受賞)とかの評論をこの人で読んでみたい気がするんですよね。

円堂 今回は、キャラクターの真実性に言及した評論が複数あって、それぞれ発展性がありました。でもこの評論は袋小路にはまって、身もふたもないことを徹底的にいってみたっていう印象でした。

法月 袋小路は袋小路なんですよね。倫理は空回りするものだっていう点には、必ずしも承服できないところがあって、たとえば、一度接触があってそれが切断されて自分勝手に回るものが倫理だっていうんですけど、だからといって、夢オチにすれば切断できるっていうのはナイーブすぎるんじゃないか。断言の根拠がどこからきているのか、もう一つわからないところはありました。

円堂 この賞を立ち上げるとき法月さんが、いずれは受賞者たちが書き手になってこれまでのメフィスト賞のガイドブックが作れたらいいなあって話をしていたじゃないですか。この書き手にはその種のスキルや体質が感じられないんです。

法月 ただ僕にはすごく響くものがあった。でも評論としての将来性を感じるかっていうとそれも違うんですよね。グズグズいいましたが、今回は落選としましょう。でも賞とは関係なしに、何か思うところがあればまた書いて送ってきてほしい。個人的に読んでみたい(笑)。

編集部 ではお二人ともに評価が高かった「ガウス平面の殺人」はいかがでしょう。

円堂 分量を支える筆力と扱っているテーマの重さで評価するならこれがダントツだと思います。 琳さんは応募時の略歴欄に、日本推理作家協会の書評・評論コンクールへの入選歴はあるけれど、「未だ商業出版物への執筆は果たしておりません」って書いてあるんですよね。書く力はすでに評価されているけれど、まだ依頼してくれるメディアがない。難しい書き手だと思われているのかもしれない。ただ、今回の一次選考でバランスの悪さを指摘されましたけど、こういう方向で書いてくれって注文したら、書ける人だと思いますよ。

法月 僕もそう思いました。各パートにまったくブレがないし、これだけ面倒くさい話を、ちゃんと破綻せずに書き切っている。前半は確かに重いんだけど、これを書かないと真意が伝わらないという目算があって百枚書いてるわけです。それは大したものです。 また、キャラクターの世界観が最終的な決定権を持つという見立ては、日常ものとか学園ものの高度化した作品にも応用がきくと思いました。

円堂 虚構本格ミステリにおけるリアリズムについてけっこう面白い視点があるんですよね。クイーンの〝読者への挑戦状〟は「リアリズムへの恭順を言明する宣誓状」であるとか。こういう考え方をする人ってあまりいないじゃないですか。感心しました。

法月 あそこは、早坂吝(『○○○○○○○○殺人事件』/2014年第50回受賞作)の社会派への目配せに通じる倒錯感がありました。僕が印象に残ったところは、クイーンのライツヴィルものに関する考察ですかね。『災厄の町』(1942年刊)は、やっとリアリズム小説、自然主義小説的な書き方ができるようになったと言われた作品です。でもここでは、実はこれが虚構本格の世界に踏み出す契機になったんだとされていて、なるほどな、ライツヴィルといったら確かにそうだよな、と。リアリズムの文体と実在論的世界の問題が、真逆になっているという指摘もすごく面白かった。

円堂 参考文献に大塚英志の『キャラクター小説の作り方』(2003年刊)を挙げています。日本の文学史をさかのぼって最終的に田山花袋の「私」がキャラクター小説の始まりだった、みたいなことを大塚が書いていたけど、それに近い意外な着眼を感じました。

法月 あと『ジョーカー』の考察にしても、現時点で真正面からきちんと取り組んでいますね。そうしたところも、ほかと比較して抜きんでていました。

編集部 それでは琳さんの「ガウス平面の殺人」がメフィスト評論賞ということでよろしいでしょうか。

法月 いいと思います。

円堂 私も「ガウス平面の殺人」がいいと思います。

法月 ここで一つ提案があるんですが。というのも、残りの評論もこのまま埋もれさせてしまうのは惜しい気がするのです。正賞は「ガウス平面の殺人」ですが、このほかに円堂賞と法月賞を選びませんか。

円堂 いいですね。私も文庫の解説をコンスタントに書いていけるような書き手として「蘇部健一は何を隠しているのか?」を書いた古川欧州さんがすごく期待できると思っていたんです。

法月 「メフィスト」に載せたいですよね。蘇部さんも喜ぶと思うし(笑)。円堂さんも蘇部さんの作品を読み返したくなったといってましたけど、いろんな広告を打って販促かけるより、こういう評論を読んでもらったほうが効いてくるんじゃないか。それでは円堂賞は「蘇部健一は何を隠しているのか?」でよろしいですか。

円堂 はい、それでお願いします。法月賞はどれにしますか。

法月 「誰がめたにルビを振る」ですね。ルビに焦点を当てた意外性が秀逸でした。

円堂 今回の選からはもれた「異なるセカイのつなぎ方」を書いた竹内さん。この方はいずれ別の経路を使ってでも出てくる力があると思う。まだ30歳だし、書き続けてほしい。今後に期待します。

編集部 さて急遽、法月賞と円堂賞も決まりました。今回の選考会を振り返って総評をお願いします。

法月 法月賞と円堂賞については、ルビと図版という本文のテキストからはみ出たところに注目した評論で、それが二つも面白いのがあった。これは、平成を通じて一貫してオリジナリティあふれる作品を産みだしてきたメフィスト賞の独特な性格の表れだと思います。 それと、清涼院流水の圧倒的な存在感をあらためて実感しました。

円堂 清涼院がいなかったらその後のメフィスト賞は全然違うものになっていたでしょうね。西尾維新も出てこなかったかもしれない。 私にはメフィスト賞の歴史やミステリ評論の流れを振り返るいい機会になりました。 本当に楽しかった。ありがとうございました。                         

(2019年5月29日 於 講談社)