非リア王第1話

連載〈第一回〉

「非リア王に俺はなる!」

カレー沢薫

〝悲劇の中の悲劇〟とも讃えられる、シェイクスピアの「リア王」──
とは特に関係なく、「非リア充」と「リア充」の境界から放つコラムが話題の、カレー沢薫がおくる新連載がスタート。
「非リア充」は悲劇なのか、喜劇なのか? どうなんでしょうか……カレー沢さん。

________________________________________

 このたび「非リア王」というタイトルのコラムを連載することとなった。


 こととなった、と言っても、担当にこのタイトルで連載してくれと言われただけなので、いまからタイトルにあった内容を考えなければいけないのだ。とりあえず子どもにキラキラネームをつけてから、名前の意味を考えるに等しい。だったらもう「碑莉亞緒鵜」ぐらいカッコ良くして欲しかった。


 これが漫画なら1ページ目で「非リア王に俺はなる!」と宣言して2ページ目に「完」と描けば、それだけで2ページ稼げるのだが、文章だと1行で終わってしまうので、もっと、それらしい事を冗長に言わなければならない。


 ちなみにタイトルは、シェイクスピアの「リア王」にかけているらしいが、私はリア王を読んだことも見たこともないので、完全に手がかりゼロである。


「非リア」とは、「非リア充」の略であり、その逆が「リア充」である。まず、それらが一体何なのかを考えてみたい。


 リア充とは「リアルの生活が充実している人」の事を指し、非リア充は「リアルの生活が充実していないため、ネットなどの世界で暴れる人」の事を指す。


 この定義でいくと、私などは典型的非リア充であり、リアルで話す人がいないから24時間中48時間Twitterをやり、延々独り言を言い続けているのである。


 しかし、私が非リア充を自称すると必ず「お前は非リア充ではない」と言ってくる人がいる。どうやら非リア充を名乗りたいなら、もっとクリアしなければいけない条件があるようだ。


 ちなみに私が非リア充ではないと言われる主な理由は「結婚している」「仕事がある」「家がある」というものだ。


 相当厳しい、ハードルが高いというか、低すぎて常人ではくぐれないといった感じだ。


 つまりこの連載は、離婚し、無職になり、家が全焼してはじめて「非リア王に俺はなった! 完!」となれるわけである。


 これでは連載以前に人生が「完」している。


 しかしこれは「非リア充」というものを「リア充」より下だと捉え、とにかくネガティブなものとした場合だ。


 それよりは、いっそポジティブなものとし「非リア充こそ最高の生き方であり、俺はその王である」みたいな話にしたい、何故なら家に火とかつけたくないからだ。


 ではまず、非リア充がどう最高なのかを説明しなければいけないのだが、これと言って利点が見当たらない。


 しかし、世の中には何かを持ちあげるために比較対象を貶めるという便利かつ下劣なやり方があるので、リア充が最低だということにすれば、非リア充が最高ということになるはずである。


 そもそもリア充というのはどういう生活をしている人間のことを言うのだろうか。すぐ思いつくのがFacebookやInstagramに自撮りや楽しげな写真を載せている連中だろうがそれこそ「リアルの生活が充実していないため、ネットなどの世界で暴れる人」の典型のようにも思える。リアルな世界でやったBBQが心底楽しかったなら、それはそこで完結しており、わざわざネットに写真を載せる必要はない。また自分の顔面がカワイイなら鏡を見た時点で満足できるか、彼氏にでもカワイイと言ってもらってそれで終われるはずであり、それをネットに載せて不特定多数の他者に可愛さを認めさせなくてもいいはずだ。


 真の非リア充を「家族も友人もおらず、無職で家もない人」とするなら、おそらくそういう人はネットすらできないだろう、つまり真の非リア充がネットにいないならホンモノのリア充もネットにはいない説が出てくる。


 ホンモノのリア充はネットにはいない、さらには家にすらいないだろう、家などというものはひきこもりが生息する場所であり、リア充ならそこに住んでんのか、というぐらい海やクラブにいるはずである、さらに一人にもならない、常に異性か気の合う仲間(ファミリー)と行動を共にしているはずであり、寝るときですら両隣に美男や美女がいなければならず、ネットなどやる暇はない。


 羨ましいだろうか、おそらく「疲れる」と思っただろう、つまりリア充というのは労力を要する、非効率的な生き方なのである。


 リア充は、精神的充足を得るのに、誰かと外で道具を揃えてBBQなどしなくてはいけないが、非リア充は一人で家から出ずパソコンやスマホ一台で、それを得ているのだ、どちらが「断捨離」とか「ミニマリスト」とかがもてはやされている昨今に相応しい生き方だろうか。


 またリア充は金銭的にも非効率だ、友達がいない非リア充だってソシャゲにはまってガチャを回しまくれば困窮するが、少なくともそれは100%自分のために使った金だ、それに引き替えリア充の「交際費」はそうではない、下手をすれば100%他人のための出費を余儀なくされ、それは友人が多いほど増える、しまいには金はないが誘いを断ってリア充グループから外されるのは嫌だ、というクソみたいな理由で金を出さなければいけなくなる。


 またリア充は気の合う仲間が困っていたら助けてあげなくてはいけない、何故ならファミリーだからだ。その点非リア充は困っていても誰も助けてくれないが、助けなくてはいけない時もない、時間も全部自分のために使える。


 つまり非リア充の方が、金と時間という有限資源を有効に使えるのだ。


 意識高い系がこれだけ「コスパ重視で」とか言っている世の中において、どっちがコスパがいいかは一目瞭然である。


 つまりコンパクトに生きることが良しとされる現代においては、圧倒的に非リア充の方が勝者なのである。


 思いがけず、思いっきり結論が出てしまった、次から何を書けばいいのだろう。

 

(※カレー沢薫『非リア王』より)

________________________________________

 

>『非リア王』第二回へ

>『非リア王』第三回へ

 

>TREE TOPへ