綾辻行人の「館」 デビュー30周年記念インタビュー!!

新本格ミステリの端緖となった『十角館の殺人』の登場から、今年で30年。多くの読者を本格ミステリの魅力に目ざめさせた〝あの1行〟の衝撃は、今なお広がりつづけています。デビュー30周年を迎えられた綾辻行人氏に、最新刊の『人間じゃない』、すでに9作を数える「館」シリーズおよび本格ミステリの魅力をあらためてうかがいました。

 

※本インタビューは2017年3月15日刊「IN☆POCKET」に掲載されたものを再録したものです。

綾辻行人氏

 

聞き手/円堂都司昭

撮影/大坪尚人

 

――まずはデビュー30周年おめでとうございます。『十角館の殺人』が講談社ノベルスで刊行されたのが1987年9月でした。


綾辻 あと半年でまる30年になるわけですね。ここまで何とか生き長らえてきたのはめでたいのですが、30年も経つのかと思うと呆然としてしまいます(笑)。

 

『十角館の殺人』/講談社


――そのタイミングで刊行された『人間じゃない 綾辻行人未収録作品集』についてのお話から入らせていただきます。未収録作品集ということなので、統一コンセプトがあるわけではないけれど、通して読むとやはり綾辻カラーというものがありますね。「赤いマント」が都市伝説ものだったり、「洗礼」が〝犯人当て〟でありながらも幻想的な要素があったり……と、一貫した綾辻さんの好みや美学が感じられます。


綾辻 ありがとうございます。短編を書く機会が本当に少なかったので、どの作品も発表間隔が5年くらい開いているんですね。そういう作品をこうしてまとめてみても、確かに変わらない芯みたいなものはあるな、と。一方で、作風や文体がだんだん変わってきているのがよく分かる面もあったり。


――同時期に『どんどん橋、落ちた〈新装改訂版〉』の刊行もありました。『人間じゃない』の収録作も同じように手直しされたんですか。


綾辻 全作品に細やかな手入れをしています。漢字やひらがなの表記については、つながりのあるシリーズに合わせて統一を。たとえば「洗礼」は『どんどん橋、落ちた』の系列なので、それに準じた表記に揃えたり、「人間じゃない―B〇四号室の患者―」は『フリークス』に合わせたりと、そんなところにも気を遣いながらの仕上げ作業でした。


――以前『黄昏の囁き』の文庫解説で、綾辻作品は音楽的であると書かせていただいたんですが、この作品集でも、読み上げたときの音の調子だけでなく、見たときの文字面まで音楽的だなと感じました。


綾辻 そうでしたか。円堂さんには『びっくり館の殺人』の文庫版でも解説をお願いしましたね。


――未収録作品を1冊にまとめる発案は綾辻さんが? それとも編集部から?

 

綾辻 どっちだったかなあ。「赤いマント」と「崩壊の前日」がぽつんぽつんとある状況で、2006年に「洗礼」を書いて。これがわりと枚数のある中編になったので、「洗礼」を真ん中に置いた作品集を作りたいな、と考えはじめたように思います。その後、掌編の「蒼白い女」を書いて、あと1本長めの短編を書いたら1冊にまとまるよね、という話になって。「遠すぎる風景」を入れるかどうかは迷ったんです。アンソロジー『0番目の事件簿』に提供した中編なんですが、あれはさすがに学生時代の習作だからやめておこうと。それで、昨年になって「人間じゃない」を書いてみて、これが予想外にうまく仕上がったので、何とかまとめられそうだなと。


――表題作となった「人間じゃない」がこのタイミングで読めるとは! 2002年に漫画のオリジナル原作として考案されたものですよね。児嶋都さんが漫画化して、僕も評論を書かせていただいたムック『綾辻行人 ミステリ作家徹底解剖』に掲載されました。その時は作家デビュー15周年でした。


綾辻 例によって、「漫画だからこそ効果的な仕掛け」を意識して考案したプロットだったんですね。あれはあれで成功したと思いつつ、いつか何とか小説にしたいなとも思いつづけていたんですよ。でも、むずかしくてね。やっと打開策を思いついて、『フリークス』の番外編という枠組みで書くことができた。おかげで、このタイミングでこの作品集を出せる運びになったわけです。

 

『人間じゃない』/講談社


「洗礼」を収録した本を、こうして講談社から上梓できて良かったです。発表誌は光文社の『ジャーロ』なんだけど、「新本格の仕掛人」である宇山秀雄(=日出臣)さんが急逝された直後、追悼の意味も込めて書いた作品でしたから。あれからもう11年なんですねえ。


――収録作でいちばん古いのが「赤いマント」で、93年発表ですね。各作の発表時期が離れているだけに、綾辻さんのキャリアを振り返る1冊にもなっています。


綾辻 何だか死後出版みたいな感じですが……まだ生きてますので(笑)。


――このところ綾辻さんだけでなく、法月綸太郎さんや麻耶雄嵩さんら京大の推理小説研究会出身の、新本格第一世代と呼ばれる作家さんたちの活躍がめざましいですね。同志社大の推理小説研究会にいた有栖川有栖さんもそうです。


綾辻 法月、我孫子(武丸)、麻耶……それぞれに長く頑張ってますよね。今年は何と麻耶さんの『貴族探偵』が連ドラになるという。去年は、有栖川さんの「火村」シリーズのドラマ化が話題になりましたっけ。みんな長いつきあいになるけど、今でも変わらず仲がいいんですよ。珍しいことですね。


――『どんどん橋、落ちた』のような〝犯人当て〟が綾辻さんの原点、と言われたりもしますが、京大ミステリ研にはそういう〝犯人当て〟の伝統があるんですよね。新本格30周年のこのタイミングで『どんどん橋』の新装改訂版が出たというのも、ある種の巡り合わせだと思います。


綾辻 京大ミス研の第一世代は、小野不由美も含めてみんな、あの時期の〝犯人当て〟の洗礼を受けています。その後、現在にいたるまで連綿と続いている、京大ミス研独自の風土ですね。


――デビューして、作家として長くやっていけそうだと思ったのはいつですか?


綾辻 91年に『時計館の殺人』を発表したころ、かな。その前の『霧越邸殺人事件』は、30歳になるまでに書いてしまいたかった。20代の総決算のようなつもりで。90年9月の刊行でした。これを満足のいく形で書き上げたらもう死んでもいい、というくらいの気持ちだったんですよ(笑)。


――ははあ。


綾辻 で、さてその次はどうしようか、と考えて書いたのが『時計館』だったんですね。『霧越邸』は学生時代に書いたプロトタイプの原稿があったんです。それを徹底的に練り直して膨らませていったんですが、『時計館』はまっさらの状態からだった。何もないところからあれを書けたのは、自信になりましたね。

 

『時計館の殺人』/講談社


――30年のあいだで変わってきたこともあると思います。改訂版も出しておられるわけですから。『最後の記憶』以降の作品の改訂版は出さない、と話されていたことがありました。


綾辻 『暗黒館の殺人』の執筆でさんざん苦労した結果、それなりのスキルアップがあったと思うんです。やっと自分なりの文章が書けるようになったかなと。並行して書いた『最後の記憶』の文章もなかなか良い感じだし、この辺で自分の文体ができてきたなという実感があって。だからまあ、改訂の必要もないだろうと思えるわけです。


――意識して文体を変えたのですか、それとも自然に変わっていったのでしょうか?


綾辻 変えたつもりはないんです。多分に技術的な問題だと思います。どっぷりと一人称で書いたのが良かったのかもしれない。『暗黒館』と『最後の記憶』を、あの時期に同時進行で。特に『暗黒館』では、重厚長大でなおかつあのように特殊な物語を書ききるため、一生懸命に文章や書き方を工夫しました。それまでの作品も、文章には、かなり気を遣って書いていたつもりなんですが、『暗黒館』とのあいだにはかなり段差があると思います。


――ある時期まではやはり、「新本格」を背負わされているというプレッシャーがありましたか?

 

綾辻 ああ、はい。そういう時期もありましたね。ちょっとしんどかった気もします。


――新本格ミステリの「新」はいつ取れたと思いますか?


綾辻 メフィスト賞が始まったあたりかな。その前に京極夏彦さんが出て、第1回メフィスト賞で森博嗣さんが出て、その辺でもう「新」は取れたのでは。京極さん、森さんの登場で読者の幅もぐっと広がりましたからね。もう「新本格」でもないだろう、という気はしていました。その後は全部ひっくるめて「現代本格」でいいだろうと。なのに、いまだに「新本格ミステリ界の巨匠」なんて書かれることがあるんですよ(笑)。ぜんぜん巨匠でもないので、そのたびに修正をお願いしています。今年の30周年については、「新本格ムーヴメントが起こってから30年」という意味だから、大いに「新本格」を使えばいいと思うんですけどね。


――本格ミステリ作家クラブの設立宣言に「1987年の綾辻行人のデビュー以降、未曾有のジャンル的繁栄を……」とあります。歴史として語られた時点で「新」ではなくなったと、僕は思っています。作家生活を振り返ると、いちばん苦しかったのは『暗黒館』のころですか?


綾辻 そうですね。苦労しましたから。連載期間は4年ほどでしたが、書きはじめたのはもっとずっと前で。その間にゲームの仕事もあったし……。


――『ナイトメア・プロジェクト〈YAKATA〉』ですね。


綾辻 そう。でも、いま振り返ると、あの仕事も無駄じゃなかったと思えるんです。あれで、キャラクターを立てることを少し学んだ気もするし。『暗黒館』の登場人物のキャラが立っているのはそのおかげかもしれないし、それがさらに『Another』にもつながっていったのかもしれない。


――長大な『暗黒館』があったから、『深泥丘奇談』が出てきたところもあるんじゃないですか。上手いこと肩の力を抜いて書けたという。


綾辻 そうですね。『Another』にも同じことが言えて、あれも一人称小説ではあるんだけど、『暗黒館』や『最後の記憶』に比べるとだいぶ肩の力が抜けていて、それが良い意味での軽みにつながっています。


――今や『Another』は綾辻さんの代表作として数えられるものになりましたよね。

 

『Another』/KADOKAWA


綾辻 あの時期(09年)に『Another』を発表できたのは大きいですね。世代を超えて、新規の若い読者がたくさん入ってきてくれた。そういう間口の広さがある作品なんですね。


――少し前にご自分で好きな作品は? という質問に『暗黒館』『Another』『深泥丘奇談』と答えられていましたね。初期の作品は出てこないのかと思いましたが。


綾辻 いや、初期の作品もそれぞれに好きですよ。『Another』は、デビューから20年以上たってあれを書き上げた自分は偉いなあ、という意味で。あ、そういえば『Another』はこのたび、パチンコ化もされたのです(笑)。本格ミステリ作家としては史上初かも。『深泥丘』は、私小説的でありながらリアルから離れていて、身体が少し宙に浮いている感じで……なかなか他にない味の連作だろうという。だからほんと、好きなんです。


『暗黒館』については、『暗黒館』それ自体に愛着があるのと同時に、あの大長編に包含されてしまう「館」シリーズの全作品が好き、というニュアンスも込めています。―─にしても、「館」シリーズというのは変わったシリーズですね。作品ごとに〝型〟が違っていて、名探偵も相対化されている。


――名探偵のシリーズではないですからね。
 

綾辻 そもそも『十角館』が変化球ですから。『水車館』は正統派の本格ミステリをめざして書いたんですが、『人形館』になるとまた異様な変化球だし……。「本格」という枠組みの中で毎作、いろんなアプローチを試みてきたつもりです。


――最近だと『十角館』の英訳版も評判いいようですね。


綾辻 英訳版―『The Decagon House Murders』の刊行はやはり感慨深かったです。小規模の出版だったにもかかわらず、ワシントンポストの書評に載ったり、『PW』誌の年間ベストミステリに選ばれたりと、けっこう注目されたみたいで。

 

『The Decagon House Murders』/Lightning Source Inc


――2015年のことですね。


綾辻 『そして誰もいなくなった』へのチャレンジとしてポジティヴに評価されたり、『EQMM』誌で〝Honkaku〟という言葉が紹介されたりもしました。もっと日本の「新本格」を読みたい、という英語圏のミステリファンもいるようです。新本格の台頭期にはしばしば、「海外では今どき、こんな謎解き小説など見向きもされていないのに……」と、訳知り顔で否定する人たちもいたんですよね。「だからどうなの?」ということが事実として確認されただけでも、なかなか愉快でした。


『十角館』を書いたとき、ミス研の学生たちのニックネームをどうするかでちょっと迷ったんです。オリジナルのペンネームを作るか、「エラリイ」や「アガサ」という欧米の有名作家の名前を使うか。結果として後者を選択したのは正解だったわけですが、英訳されて『The Decagon House Murders』になると、それがさらに効果的に働いたことになりますね。英米の読者にしてみれば、大学生が「エラリイ」とか「アガサ」とか呼び合っていても、日本人が読むほどには違和感がない。むしろ入りやすい、読みやすいでしょうから。


訳者のウォン・ホーリンさんはオランダの大学で日本学を専攻していて、大学院時代に京大に留学して、そのときミス研にも入会していたという人なんです。たまたま僕も遭遇したことがあって、そこで彼の修士論文のテーマが「初期新本格」だと聞いて、びっくりしたものでした。その後、幸運な巡り合わせがあって、帰国したホーリンさんが英訳を担当してくれることになった。彼の訳文がとてもいい、という評判も聞こえてきますね。


――今の本格ミステリや後輩ミステリ作家が書く作品をどう見ていますか? 『ジャーロ』では若手作家との対談シリーズをやられていますが。


綾辻 そんなに万遍なく読んでいるわけじゃないんですけれども、近年の若手はみんな上手だなあと思います。新しい才能がどんどん出てきて、とても頼もしい。『ジャーロ』の「京都対談」の連載は、そもそも詠坂雄二さんを京都に呼んで美味しいものでも食べて元気づけよう、というところから始まった企画だったの(笑)。才能あるのに、迷いが多いようだからと。


―そうなんですか。

 

綾辻 ひねくれてるように見えて、実はシャイで真面目な青年なんですよ、詠坂さん。目が離せない作家の一人です。『ジャーロ』で対談をした相手は皆さん、それぞれに楽しみな才能ですね。宮内悠介さんはSFでデビューした人だけど、そもそもは本格ミステリ志向だったそうです。ルーツは『十角館』や『霧越邸』なんだとか。初野晴、一肇……いちばん若いところだと白井智之、と多士済々ですね。道尾秀介さんや辻村深月さんも、今はミステリに限らず幅広いジャンルで大活躍だけれど、根っこの一つには本格ミステリがあって、そのことを彼らも自覚してくれている。なかなか良い感じでつながっていると思うんですが。


――昨年、鮎川哲也賞を受賞した市川憂人さんの『ジェリーフィッシュは凍らない』も、「館」シリーズの影響が感じられる作品でした。


綾辻 そういう新人作家が出てきてくれるのはもちろん、とても嬉しいことです。けっこう多いんですよね、『十角館』を読んで衝撃を受けて……という人。そのように聞くと、自分が30年やってきた意味もあったかな、と思えます。


――「館」の新作は? という話にどうしてもなりますが。

綾辻 いま書いているのは『Another 2001』という長編なんですが、とにかくこれが終わらないと次に進めないんですね。並行して書くエネルギーがもはや、ないので。終わったら、そろそろ「最後の館」となる10作目にとりかかるのかな、とは考えています。


――ホラーを書くときとミステリを書くときで創作の手順は違うのでしょうか?


綾辻 いや、僕の場合はほぼ同じですね。ホラーといっても、たとえば『Another エピソードS』なんかは完全にミステリの構造だし。ただ毎作、自分的に「初めてのこと」をしようとするので、そのたびに苦労している感じです。『Another 2001』も大変に苦労しています。どうなることやら……。


――次はどんな「館」にするというのは決めているんですか?


綾辻 公言するとそれに縛られてしまうので、ここでは言いません(笑)。いくつか候補はあるんですけど、内緒です。それから、これは何度も言ったり書いたりしていることですが、「最後の館」といっても、シリーズ全体の大きなオチがあるような物語にはなりませんので。何気なく十作目を書いて終わりにする、というイメージを持っています。


――この30年でいちばん変わったと自分で思うことは?


綾辻 加齢にともなう身体の衰え(笑)。


――それ以外でお願いします(笑)。


綾辻 若いころに比べて、ずいぶん人間が丸くなったというか。べつに戦闘的な若者だったわけじゃないんですが、デビュー当初はもっと生意気で、良くも悪くも尖っていた気がします。いやまあ、今でも密かに尖っている部分はあるんですけど(笑)。


本格ミステリを取り巻く状況は、30年前に比べるとやっぱりすごく変わりましたね。ミステリ界全体の風通しが良くなったというか、少なくとも三十年前よりも志向性や作風の多様性が認められ、確保されているように思います。このところ、現実の世界では「多様性の否定」という逆行的な流れがあちこちに見受けられますけれども、ミステリの世界はそうであってほしくないですね。

(注1)パブリッシャーズ・ウィークリー
(注2)エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン

 

Profile:綾辻行人
(あやつじ・ゆきと)

1960年京都府生まれ。京都大学教育学部卒業、同大学院修了。'87年に『十角館の殺人』で作家デビュー。〝新本格ムーヴメント〟の嚆矢となる。'92年、『時計館の殺人』で第45回日本推理作家協会賞を受賞。「館」シリーズと呼ばれる一連の長編は現代本格ミステリを牽引する人気シリーズとなった。ほかに『どんどん橋、落ちた』『緋色の囁き』『殺人鬼』『霧越邸殺人事件』『眼球綺譚』『最後の記憶』『深泥丘奇談』『Another』などがある。2004年には2600枚を超える大作『暗黒館の殺人』を発表。デビュー30周年を迎えた'17年には『人間じゃない 綾辻行人未収録作品集』が講談社より刊行された。