清田隆之「ジェンダーの呪縛に満ちたニッポンの食卓」

文字数 2,339文字

おいしさは恋で栄養は愛だ──。主人公の泉は夫の旺介に日々食事を用意しながらこんなことを思う。薄味で多品目、野菜と魚中心で脂は控え目という健康食の泉に対し、旺介は味の濃いものや脂っこいものを好み、いわゆる"ファミレス舌"を自認している。二人は食の志向がまるで正反対だ。恋人時代はそれでも旺介に喜んでもらおうと〈味付けが濃くてご飯が進むメニュー〉を作ったりもしていたが、結婚してからは相手の健康を考え、身体に優しい献立を意識している。しかもそれは、旺介の好みを踏まえた上でヘルシーに調理するという工夫の凝らしようだ。

生姜焼きに使った豚肉は熱湯で脂を抜き、タレに使う砂糖はカロリーゼロの甘味料に変えた。今、旺介が箸を伸ばしたポテトサラダはマヨネーズを豆乳で薄めて使っている。大きく味は変わっていないが、多少さっぱりした味になった。

しかし、旺介はその"愛"を段々と鬱陶しがるようになっていく。あっさりした食事に物足りなさを感じ、ご飯にソースやマヨネーズをかけたり、夜中にコンビニでホットスナックを買ったり、残業にかこつけて後輩とラーメンを食べに行ったりする。しまいには泉の手料理をこっそり捨てるという暴挙に出るのだが、それは脂っこいもので胃がもたれ、作り置いてもらった夕食を残すようになった結果だった。こうして食のすれ違いをきっかけに夫婦仲に亀裂が生じ、やがて埋めがたい溝にまで広がっていくのが物語のあらましだ。


なぜ泉はそこまでして旺介に料理を作るのか。なぜ食事を共にすることに強くこだわるのか。好みや志向が正反対なのだから無理に合わせることはなく、互いに食べたいものを食べればよいのではないか……。そんな風に感じてしまう部分も正直なくはない。実際に旺介もそう考え、泉に食ってかかるひと幕もある。私もファミレス舌なので気持ちは痛いほどわかる。


しかし、である。食というのは単に空腹や欲望を満たすだけのものではないはずだ。「We are what we eat.(私たちは私たちの食べたものでできている)」という慣用句があるように、食は生命の源であり、健康の土台だ。個々人の生育歴とも関わってくるし、コミュニケーションを積み重ねる場でもあるし、家族のあり方を左右する重要なファクターでもある。また、味覚や感性を育むという点で教育の問題でもあるし、エンゲル係数などに関わる経済の問題でもあるし、環境への負荷やサステナビリティなんかも視野に入れれば政治的なスタンスや思想信条といったものまで含まれてくる。まとめて言えば「価値観」となるのかもしれないが、食をめぐるすれ違いには無数の要素が関与しており、決してひと筋縄ではいかない問題だ。

家庭は食卓だ。成長の糧を食べ終えるまで中座は許されない。旺介はおそらく平穏で明るい食卓を囲んで育ってきただろう。泉は違う。父が君臨する食卓で姉と身を縮め、次は何を突きつけられるか絶えず緊張を強いられてきた。無視という苦味、八つ当たりという塩味、怒声という辛味。(中略)母はといえば暴力という激辛味にさえ「しつけ」「愛情」とそぐわない名をつけ、娘たちをさらに混乱させた。それらを飲み込みながら成長してきた。

泉の背景には育った家庭環境がある。だから食事を共にし、家族の結びつきと心身の健康を確かなものにしていこうと頑張る。しかし同時に、食を通じて相手に干渉し、相手に正義を押しつけ、相手を支配しようとする部分も少なからずある。努力は空転し、夫はますます遠ざかっていく。それらは表裏一体の問題だが、〝妻〟や〝嫁〟というジェンダー役割を愚直に引き受け、「こうあらねば」「こうしなくては」と規範意識にがんじがらめになっていく泉に対し、「考えすぎ」だの「こだわりすぎ」だのといったことをはたして言えるだろうか?


一方、旺介のつらさや息苦しさもよくわかる。好きなものを好きなときに好きなだけ食べられないのは確かにストレスだろうし、若く丈夫な身体で健康のことを案じられてもいまいちピンと来ないような気もする。さらに旺介は物語の途中、人生観が一変するような出来事も体験する。そういう中で、泉が支配する食卓から逃げ出したくなったのも無理はないようにも思える。


『二人がいた食卓』というタイトルが示しているように、結局ふたりの食卓は過去形のものになってしまう。それはある意味で仕方のないことだし、どちらが悪いとは言えない。でも「作る女」と「食べる男」にかけられた呪いの重さは絶対に違うと思う。


この小説を読んでいる間、私の脳内には竹内まりやの『家に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)』という歌がずっとリピートしていた。サビには「冷蔵庫の中で/凍りかけた愛を/温めなおしたいのに」というフレーズが登場する。昔から何度も聞いたことのある馴染みの歌詞だったが、〝冷蔵庫の中で凍りかけた愛〟って、そうか、実際こうやって凍っていくのか……と、本書を読みながら何度もゾッとするような気分になった。ジェンダーの呪縛に満ちたニッポンの食卓は、いつだって私たちのすぐ隣にあるのだ。

書き手:清田隆之(きよた・たかゆき)

文筆業、恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。一九八〇年東京都生まれ。「恋愛とジェンダー」の問題を中心にラジオやコラムなどで発信している。朝日新聞beの人生相談「悩みのるつぼ」では回答者を務める。著書に『よかれと思ってやったのに 男たちの「失敗学」入門』『さよなら、俺たち』など。

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