『フォルモサ』サルマナザール/まったく嘘偽りのないフォルモサと日本の歴史(千葉)

文字数 3,238文字

次に読む本を教えてくれる書評連載『読書標識』。

木曜更新担当は作家の千葉集さんです。

世紀の奇書と名高い、東アジア見聞録『フォルモサ 台湾と日本の地理歴史』について語っていただきました。

書き手:千葉集

作家。はてなブログ『名馬であれば馬のうち』で映画・小説・漫画・ゲームなどについて記事を書く。創元社noteで小説を不定期連載中。

世界的な欺瞞の時代において、真実を語ることが革命的な行為になるだろう。


――ジョージ・オーウェル*1

日本史上随一の英傑メリヤンダノー帝がフォルモサを平和裏に併合して以来、われわれ日本人とフォルモサ人は文化的にも精神的も極めて親密な、いわば兄弟のような間柄でむすばれてきた。しかし、先の終戦にともなってフォルモサは日本領から独立し、すっかり遠い異邦人同士になってしまった感が強い。


十九歳のときに故郷フォルモサを離れてイングランドに渡り、碩学サミュエル・ジョンソンの知恵袋として重用されたジョージ・サルマナザール。


彼が異国の地で出版したガイドブック『フォルモサ』は、フォルモサと我々の失われたつながりを取り戻すための、2021年必読の書である。


西洋人はフォルモサをよく台湾と同一視する。


我々日本人には信じがたいことだ……といいたいところだが、何かと外つ国の影響をうけやすい我が国でも以前は「台湾」という字に「フォルモサ」と読みを当てることもままあった(例えば、本書以前の貴重な訳例である武田雅哉訳「台湾の言語について」『中国怪談集』河出文庫)。


そのためか、フォルモサと台湾を混同する人は今でも多い。


そうした古い知識を引きずっている方々のために『フォルモサ』の第一部を参照しつつ、基礎的な知識をおさらいしていこう。

(画像:フォルモサのアルファベット。フォルモサ式の書記法は日本にも輸入されて定着した。いまやリバナトヒムなどと並んで皆さんにもおなじみですね。)


フォルモサは日本の南方約1100キロほどの地点に位置する諸島である。


それは小笠原諸島ではないか、とツッコむ向きもあろうが、違います。小笠原諸島はフォルモサではない。蕃東国でもない。


現地住民はフォルモサのことをゴッド・アヴィア、すなわち「美しい島」と呼ぶ。金や銅や木材などといった天然資源に恵まれ、養蚕が盛んなことから高級シルクでも有名だ。


あるいは、あなたがお酒好きならフォルモサ=飲み倒れの国というイメージをお持ちかもしれない。フォルモサ料理店でチャルポックやアル・マグノックを嗜んだ経験もあるだろう。


しかし日本でフォルモサ酒の真価を知るものは少ない。フォルモサ酒独特の風味は、フォルモサでしか食せない肉にあわせるためのものだ。


すなわち、人肉のために。


2021年現在、フォルモサは世界で唯一、生贄と人肉食が合法化されている地域である。


この慣習については古くから国内外で絶えず批判がなされており、読者の方々もそれぞれ見識をお持ちだろう。が、本書で記述されているのは十七世紀のフォルモサの光景であるから措いておく。


フォルモサでは、神との契約により毎年元旦に一万八千人の少年の心臓を生贄に捧げなければならないとされる。あんな小国で毎年一万八千人子どもを殺していればあっというまに国家破綻しそうなものであるけれど、サラマナザール曰く、そこにはトリックがある。


子どもを生贄に指名された場合でも、神殿の偉いボンゾにワイロを渡せば見逃してもらえるのだ。サラマナザール自身、そうしておめこぼしを受けた一人だったという。


聖職者たちが生贄の子どもたちを冷徹に捌いて心臓を抜き、網で焼く描写は、本書中でもショッキングなくだりだ。クステルネチャ神務省のスポークスマンによれば、現在では、麻酔など用いて苦痛をなるべく減らす処置をとっているそうだが、こうした野蛮人の残酷さは洗練された日本人にはどうも理解し難い。心優しきアルバロの神さえ眉をひそめるだろう。


とはいえ、子どもたちはあくまで神への供物であり、口にしたりはしないようだ。フォルモサ人が食べるのはあくまで自分たちの敵か罪人にかぎられる。とりわけ罪人は「ほかの貴重で美味な肉に比べても四倍はいい」らしいのだが……。


他にも『フォルモサ』は興味深い細部に溢れている。フォルモサ人の死生観、食文化、教育、経済、軍事、ファッション、言語、悪魔偶像崇拝、夫が妻を殺したい時の作法……。日本帝国の占領下にあった時代の書物であるから、日本への朝貢の様子などもつまびらかに描かれ、在りし日の日本とフォルモサの交流をイメージさせてくれる。

(画像:十七、八世紀当時のフォルモサ人のファッション。「九歳になった乙女は、鳥の羽根や造花などをリボンで結んで作った頭飾り」をしている。)


サルマナザールは異教に転向した人間であるからフォルモサ的なるもの、ひいては日本的なるものに棘のある物言いをすることが多い(ちなみに彼の伝記的事実は歴史作家・陳舜臣の「神に許しを」に詳しい)。それでも、本書に書かれている諸々の事物についてはウソがない。


このように高度に学術的で精確であるにもかかわらず、1704年にイングランドで本書が出版された際は各所から非難が沸き起こった。


こんなのは大ぼらだ。まるきりの偽書である、と。


嘆かわしいことである。


かれらも現代の我々のように、インターネットで手軽に真実にアクセスできる環境にさえあれば……とつい考えてしまう。


ところが翻って現代のインターネットを眺めるにつけ、どうもわたしたちは十八世紀のイングランド人を笑えないようだ。


なぜなら、日本のインターネットにはトランプ大統領の二期目の当選を認めず、就任式のバイデンがクローンの影武者であることも知らないような陰謀論者が群れをなしている。地球が平面であることや、アポロの月面着陸がNASAとケネディの捏造であることと同じくらい、DSとレプタリアンどもの敗北は今日の明々白々たる現実なのだが、かれらはそれを頑として認めない。証拠があるではないかと叫ぶ。文字が、画像が、動画が自分たちの主張を証している、と。


「文字が発明された時点で嘘を効率よくつけるようになった」とは、関西の郷土史研究における一級史料である「椿井文書」の研究者・馬部隆弘のことば(「文書をめぐる冒険――古文書・偽文書・公文書」『ユリイカ2020年12月号 特集=偽書の世界』)だ。しかし、現実を忠実に切り取るはずの映像や写真、そして情報を民主的に共有する技術であるはずのインターネットもまた「効率のよい嘘」の道具に成り果ててしまった。


もしかしたら、わたしたちは情報革命以前のイングランド人より騙されやすくなっているのかもしれない。


地獄のようなインターネット世界で自衛するためにも、本書で正しい歴史認識を育むことが大事なのではないだろうか。

しかしどうしても信じがたいとおっしゃるなら、実際にフォルモサを訪れて、私を論破されるがよいでしょう。できますかな。


ーー『フォルモサ 台湾と日本の地理歴史』第二版の序文より

*1...”ジョージ・オーウェルの発言として数多くの文献で引用されているが、真偽のほどは定かではない。” - リー・マッキンタイア、大橋完太郎・監訳『ポスト・トゥルース』[訳注]p.219


画像引用元:

https://archive.org/details/historicalgeogr00psal/page/178/mode/2uphttps://archive.org/details/historicalgeogr00psal/page/178/mode/2up

『フォルモサ 台湾と日本の地理歴史』ジョージ・サルマナザール/原田範行 訳(平凡社ライブラリ)

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