〈宇治十帖編〉第1話 薫と大君 厨二病対決

文字数 6,606文字

2024年の大河ドラマは紫式部が主役! それにさきがけて『源氏物語』を読んでみたいけれど、長大な物語はハードルが高そうだなんて嘆きの声が聞こえてきそう。

ご安心ください、平安ラブコメミステリー『探偵は御簾の中 白桃殿さまご乱心』を上梓した汀こるものさんが解決しましょう。

古典文学の名作を面白いところだけをツッコみながら解説するエッセイ、思わず本編が読みたくなる「宇治十帖」編のスタートです!

 ファスト源氏物語が帰ってきた! 探御簾の新刊が出るたび帰ってくるシステムになっていたらしい。ほんまかいな。機会があったら宇治十帖とは言ったものの。

 ということで宇治十帖は大体源氏物語本編が終わった20年くらい後の話です。


『総角』あらすじ

 出生の秘密に悩み、出家を志す薫は宇治の聖と呼ばれる八の宮に教えを乞いつつも、八の宮の娘の大君に恋をする。薫の甥・匂宮も八の宮の娘・中君を気にかけていたがなかなか宇治まで来られない。八の宮が病没した後、薫は大君に求愛するが大君は年かさで病弱だからと拒み、代わりに中君との結婚を勧める。噛み合わない2人。業を煮やした薫は中君と結婚する、と見せかけて匂宮を身代わりに中君のもとに送り込み、自分は大君の部屋に。しかし薫の恋は成就せず、むなしい夜を過ごしただけだった。匂宮と中君の結婚は成立したが、元々宇治は遠すぎるので匂宮は通いが遠のく。妹の結婚生活を不憫に思った大君は嘆きのあまり病に倒れてついに死んでしまった。悲しみに打ちひしがれた薫はいっそ姉妹2人とも自分の妻にしてしまえばよかったと悔やむ。


 さて、男が女の部屋に侵入成功したら相手の顔がわからなくても即やってしまうのが平安の恋愛です。平安の恋愛においてセックスは「ゴール」ではなく「プロセス」です。現代でもそうなんだけどさ。


 日本文学史には「薫型貴公子」という類型がいます。

 平安人なのにステルスアクション成功してステージクリアし女の部屋に入れても即ご成約ではなく、1回ためらって話を持ち帰るパターンです。


 昭和・平成の平安モチーフ恋愛小説では、いきなり来て即やってしまう平安チャラ男は読者に受け容れられないので、イケメンは皆「ニア薫型」に書かれる。夜這いに来ても途中でやめて、誰も彼も1回話を持ち帰る。昭和・平成作家が手を入れると光源氏でも在原業平でも1回帰る。

 

 だが。


例:「女の子が怯えてかわいそうだったから。わたしって優しいでしょ?」

 

 こう、イケメンアピールをされると。……冷静に考えて平安リアタイでは「女の顔を覗き見る」は「女風呂を覗く」のに等しく、ヤリモクで部屋に入るとかいつの時代も言語道断なのに格好つけられても、令和の読者はどう受け止めればいいんだ?


例:「楽勝で食えたのにあそこでやめてしまうとはオレ様は甘いな、クク……」

 

 こういうのは優しさではなく認知の歪みでは? 優しいなら最初から夜這いなんかすんなよ。


 イケメンと美女が和歌を送り合っていいとか悪いとか言っても話が盛り上がらんのでこうするしかないのはわかる。わかるが令和の読者がわざわざ忖度してイケメンの行動を全肯定してやらねばならないのはどうなんだ。どうせどっかで読者が妥協せねばならないなら「そういう時代だったから」で当時の習俗に忠実に即ヤリでいいんじゃないのか。モヤる。


 ということで第1回は「薫型」オリジンの宇治十帖の薫がどういうキャラクターだったか見ていきましょう。


 薫は源氏物語本編終盤に不義密通で誕生し、その後20数年、周囲から腫れ物に触るように扱われてきて本人も何かがおかしいと思っていた。


 父・光源氏は早々に他界、母は依存系の毒親・女三の宮。大体察している真面目な兄・夕霧が恐らくかなり義務的に薫を育てたのだろう。

 結果、幼少期に大人に甘えられず、自己評価が低い。親の愛が足りない。


 ついでに生まれつきフレグランスな体臭があって、香を焚かなくてもいい匂いがする。

 この変な設定のせいで、京都市内のどこにいてもバレる。


「これじゃ好きな姫君のもとに忍んでいったら一発で噂になる……平安貴族なのに夜這い一つできない、わたしは不完全な人間なんだ! 親にも愛されてないし! このままでは殺人者になってしまう!(※原文にこんなことは書いていない)


 こう一人で思い悩んだ末の口癖「出家したい」


 人目を気にして自意識過剰でプライドが山より高いのに自己評価は低い卑屈な平安イケメン。当時としてはものすごい逆張り厨二病キャラ。この時代の厨二病は「実は最強賢者のオレがチートで華麗にテロリストを倒し」とかではなく、「わたしは仏教を究めるので普通の男とは違う。女に興味がない。感情もない」となる。かなりのかなりやな。


 薫は京都市内では落ち着いて生きられないので、出家したい歴40年宇治八の宮という人に会いに行くことになった。

 

 こちらは「かつて帝位を狙って担ぎ出されたものの、コケて京都市内にいられなくなり、宇治に隠れ住むようになった」本格派の没落皇族。逆に何で出家してないの?


 薫は自己評価がどうあれ光源氏一派のチート貴族なのに宮中のパリピを避けて、わざわざ世捨て人と話しに行くのがサブカル厨二病趣味


 仏教マニア同士、仏教トークで盛り上がったわけだが。


 宇治八の宮には「皇子さまは1回はちゃんとした女と結婚しなければならない」という当時の福利厚生の結果、娘が2人いた。大君中君。美人姉妹で、薫は大君に一目惚れ


 平均寿命40歳の平安時代にもう還暦の宇治八の宮、自分の死期を悟る。


宇治八の宮「薫君、君を男と見込んで頼む。老い先短いわたしの亡き後、娘たちの衣食住を世話してくれ(本当は嫁にもらってほしいけどこういう人は政略結婚で忙しいだろうしうちは没落してるし、そこまで頼むのは悪いなあ。ちゃちゃっと気楽な愛人にして細く長くつき合ってくれるのがベストだがそれだけは口が裂けても言えない、皇族のプライドにかけて。真面目な薫君はきっと遊んで捨てたりしないだろう。祟ったりしないから君のいいようにしてくれ)

 

 千年前の京都人は死ぬ間際でも本音を言わなかった。


「わかりました、お任せください(本当は嫁にもらいたいけど出家したい歴20年です言うてこんなとこまで来た手前、娘さんをぼくにくださいとは言いづらい。仏僧になりたいって話だったのに結局お前も恋愛脳かよ、これだからスケベのことしか考えてない平安貴族はと突っ込まれたら恥ずかしい)

 

 薫も本音を言わない。世間体を気にする男、自分で作った厨二病設定に固執する。


宇治八の宮「娘たちよ、腐っても宮家の姫なのだからプライドを持って、その辺のチャラ男と結婚してはいけないよ(薫君はチャラ男ではないからいいよ)

 

 宇治八の宮は実の娘にもオブラートに包んだ遺言を残して出家して死んでいったが。


大君「わかりました、わたし一生結婚しません!」

 

 ここにただ1人カッコ書きの本音がない、行間の読めない女がいた。


大君「25歳にもなって男と恋愛したいなんて恥ずかしいわ! 病弱なわたしはきっと30までに死ぬし、このまま清く正しく宇治で人知れず朽ちていきます!」

 

 何と大君は薫以上に厨二病をこじらせた面倒くさい女だった。


大君「お父さまがはっきり言わなかったような結婚なんかしたくありません! でも赤の他人の身で薫さまに世話になるばっかりは心苦しいし、美しい妹、中君は幸せになってほしい。――中君、薫さまと結婚してさしあげなさい!」


 ――こうして平安こじらせ両片想い、絶対に自分からデレたくない面倒くさい男と女の厨二病対決が火蓋を切った!


 なお十代前半から平然と結婚する平安貴女の25歳は、再婚でも無理め。薫は23か4。実のところ大君が薫を拒む理由はこれだけだった。


大君「女は親に言われた相手と結婚するもの! お父さまが亡くなった以上、わたしは手遅れとして中君はわたしが親代わりになって誰と結婚するか決めてあげないと!」

 

 作中の大君の主張はこんな感じ。


「わたしが好きなのは大君! 手遅れじゃないし! 中君にはうちの甥っ子の匂宮から婚約リクエスト来てるから! 光源氏似でいい男だから!」


大君「そんな知らない人、嫌です。中君の夫はあなた。もうそれでいいじゃないですか」


「よくない!」

 

 御簾を隔てて会話していても埒が明かないので薫は策を弄して大君の寝所に入り込んで何もせずに帰ったりした。


 幼少期に親に愛されなかった薫は偉い大人に怒られたら即終了、何ごとも無難にやりすごす人生を送ってきた。


 光源氏のように「わたしは何をしても許されるので」と言えるような自信がなく1回コケたら社会的に死んでしまうので、女に迫っても「嫌」と言われたら本当に止まってしまうのだった。何せ保護者が自分も光源氏からネグレクトされて夜這いに失敗しまくった夕霧(ファスト1期5話参照)で、ちゃんとした平安チャラ男教育を受けていない。


 薫は親ガチャに恵まれず失敗と世間の悪評、炎上を極端に恐れる、平安なのにかなり令和の若者的価値観の持ち主だ。

 女から「仕方ないわねえ、あなたなら許してあげる」という答えが返ってくるまでその先に進めない。


 しかし平安貴女は黙ってやられて「ひどいわ、何て強引な人なの」とさめほろと泣き、徐々に打ち解けていくツンデレであれと教育されている。この時代に自分から男に好きです結婚してとか言ったの北条政子だけである。没落宮家で無駄にプライドの高い大君が「仕方ないわねえ」とか言うはずがない。


 薫、1人でバグって自縄自縛のデッドロックに陥った。オリジンは昭和・平成期の「ニア薫型」のような小器用な人間ではなかった。深刻で重篤なエラーの結果の「何もしないで帰る」。

 

 恋愛経験がなくこれが異常事態と気づかなかった大君は、相手の男が平安にあるまじき大人になりきれないおいたわしい非モテだとついに気づかなかった。


 薫は大君のそばまで行っても自信がなくて押し倒せない、大君は中君のためを思って薫とくっつけようと小細工する、中君はまあそれでいいっすよと特に自分の意志がない、そこに匂宮がちょっかいを出す。


 この宇治十帖の厨二病男女の両片想い構造、ラブコメなら10年でも20年でもこの設定でぐだぐだやってろとなって令和でも通用するのだが、残念ながら紫式部はドシリアスで進行していた。

 

 なので薫が途中でキレる


「……こうなったら中君は匂宮とくっつけよう。妹姫の結婚問題が解決すれば彼女も一区切りできて自分の身の振り方を考え直すだろう(?) 匂宮がわたしばっかり美人姉妹とお近づきになってずるい紹介しろ限りある資源を独占するなってうるさいのも解決できて一石二鳥! わたしのふりをして中君の寝室に潜り込め匂宮! 背格好似てるし暗いからバレない。ゴー!」

 

 ……御仏の大慈大悲はどこに!?

 こいつ全然優しい紳士とかじゃないっすよ!?


 匂宮を中君の寝室に解き放って、薫の方は大君の寝室に侵入。

 しかし薫だけつまずいた。


「言いにくいことですがあなたの妹さんは他の男の妻になりました! ……許せないですよねそうですよね! わたしのこと恨んでつねっていいですから! あの! この襖を開けてくださいとは言いません、せめてここにいてわたしの話を聞いて!」

 

 何か勝手なことを襖を挟んで一方的にべらべら喋って壮大に自爆し、薫は女の寝室にいながら何もない朝を迎える。


 何で謝るんじゃ、良心が咎めるなら最初からやるなよ。マイナス2億点のド卑怯な手を使った後で今更大君の機嫌を少し取ってプラス5点したからどうだと言うのだ。どうせ源氏物語の女は皆、無理矢理やられて「女の運命はこれしかないんですか」言うて泣いてる。

 

 大胆なことをしでかしたわりに自分の利益を回収できなかった。

 一方で匂宮と中君はしっかりばっちり最後までやった。


「お前、マジでヤリ捨てとかすんなよ、わたしの立場ってものがなー!」


匂宮「えっ、大君とよろしくやったんじゃないの? 何でキレてんの?」

 

 こっちは普通にチャラ男なので罪悪感皆無。

 その後も薫は大君の寝所に入って何もなく過ごしたりしていた。


「あなたがその気になるまで待ちます!」


 ならなぜ毎回わざわざ寝所まで入るのか。大君もなぜギリギリのところまで通すのか。お互い「こんなにこじれた後で素直に結婚したら損!」となっている。ツンデレのチキンレースでコンコルド効果だ。もう誰も後に引けない。


 なお、世間はもう完全にこの2人はデキているものと見ている。やるやらないにこだわってるの本人たちだけだ。……純愛なのか?


 さて複雑なものはあるが中君の方は「さめほろと泣いて徐々に打ち解けていく」が成功した。

 

 恋愛ってこういうもの、イケメンと結婚できて結果オーライなのだと一生懸命前向きに納得しようとした中君と、そこそこラブラブの匂宮。


 現代の元離宮二条城を平安京と仮定して、宇治源氏物語ミュージアムまで歩いて3時間半(※Googleマップ調べ)。匂宮はいくらラブラブでもそんなしょっちゅう行けねーよ!となる。


 手紙だけ来たって「遊び人の匂宮、光源氏の孫は今頃じっちゃんの名にかけて中君のことなんか忘れて遊び呆けてるのでは」と宇治では不安が高まる。


大君「こんなことになるからよく知らない人に妹を任せたりしたくなかったのに!(あなたがよかったのに!)


 大君にまでカッコ書きの本音が生えるようになってきた。


「いや本当、匂宮行かせますから! 絶対に! 紅葉狩りということで!」


 こう薫が念を押した日に限って。


夕霧「宇治に紅葉狩りに行くんだって? 皇子さまの一行にしては地味だな! もっと綺麗な船を仕立てて博士に漢詩を作らせなさい。ついでにうちの息子も何人か連れていって」


 ……何かタイミング悪く横から空気の読めないヤツが突入してきた。匂宮の紅葉狩り企画は他の貴族も巻き込み、次々に参加者が我も我もと合流してきて「ちょっと女のところに行くだけなんです」とは言えなくなった。


 つましい邸だが匂宮に心づくしのもてなしを、と健気に庭の紅葉の汚い葉を取って除けたりしていた宇治の姉妹は、その日、ド派手な朱塗りの竜頭鷁首の船が華やかな貴族たちを乗せて楽の音を奏しながら宇治川を下っていくのを見せつけられた。


「同じ皇族でも中宮さまの皇子さま、今をときめく東宮さまの弟君の匂宮は、貧乏宮家とは住む世界が違う」と思い知らされ、大君はショックで寝込んでそのまま死んだ。


 ヒロイン、死にました!


 瀕死の状態で薫に枕許まで来られて「うわーわたし今すっぴんなのに男にこんなんされたら生き延びても尼になるしかないなー。いや死ぬわ。うん、死ぬからセーフ」と妙に冷静に計算して死んでいった。

 もう「物の怪に憑かれた」とか言わずに死ぬ。この時代の人間は富裕層でも必須栄養素が全体に不足、ちょっとメンタル不調で食が細るとすぐに命にかかわる。


大君「だから言ったじゃない、わたしは早く死ぬから中君と結婚してあげてって」


 いや本当に死ぬヤツがあるか。


 宇治八の宮に「お嬢さんをぼくにください」の一言を言っていれば秒で解決した恋バナが想定外の大災害になって取り乱す薫。


「匂宮、あんなヤツ仲間に入れるんじゃなかった! 大君も中君も両方わたしの妻にして宇治でハーレム生活してればよかったんだ!」


 今更何だよ……


 こうして厨二病ツンデレキャラが激しくデッドヒートを繰り広げた末に、大君は究極の厨二病「目の前で死んで一生の傷になる」を成し遂げた!


 代償に非モテコミュ障こじらせモンスターが世に解き放たれてしまった。宇治十帖はまだ始まったばかり、この男の面倒くささも序の口だ!

汀こるもの(みぎわ・こるもの)

 1977年生まれ。大阪府出身。追手門学院大学文学部卒。

『パラダイス・クローズド』で第37回メフィスト賞を受賞し、2008年にデビュー。以来、「THANATOS」「完全犯罪研究部」「レベル99」「探偵は御簾の中」シリーズ上梓のほか、ドラマCDのシナリオも数多く手がける。

Twitter:@korumono

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