自分らしさを纏う

文字数 1,060文字

「仕立屋が舞台の小説を書きたい」と思いついた時、他の誰のためでもない、自分だけの特別な服というものはどんなものなのか、という疑問が浮かんだ。けれど私の裁縫スキルは「なみ縫いがなんとか出来る」程度。作れるわけがない。そんな時ご縁があって知り合った、洋服のお直しや仕立てをされている方のアトリエで、ワンピースを仕立ててもらうことになった。
 生地の素材や色、デザインを決め、シルエットや着心地の調整のため、試作服(トワル)と呼ばれる仮縫い用の服で何度か調整を重ねた。その時彼女がこんな話をしてくれた。
「もうボロボロで正直買い替えた方が安いのに、何度もお直しに来られる方もいるんです」
 そういえば仮縫いの時、パンツのお直しに来ていた女性客は「元通りにはならないかも」と聞いて残念そうだった。彼らにとって、持ち込んだ服は取り換えのきかないものなのだ。思い出が詰まっているのだろうか。あるいはありのままでいられる、自分の一部のような特別な存在なのかもしれない。
 本当の自分を見せるのは案外難しい。今作に登場するテーラー・ランタナを訪れる依頼人たちも、本音を隠したポケットを持っている。主人公のエレナたちはそのポケットを見つけ出し、彼らが自分らしさを取り戻すための『お直し』をしていく。
 ありのままの自分でいられたら素敵だと思う。そんな一着に出会えたら、人生は変わるかもしれない。世界でたった一人のための、小さな奇跡。それを描いてみたいと思った。
仮縫い後ハンガーにかけられた自分の試作服(トワル)を見てふと気づいた。ちょっとバランスが悪い。左右の肩の傾斜と、両脇の高さが微妙に違うのだ。
 そうか、これが私なのか。少しいびつなその形がなんだか愛しく思えた。
 このワンピースが完成したら、私も自分らしさを纏えるだろうか。テーラー・ランタナの依頼人たちのように。
 まずは路地裏に佇む小さな仕立屋の扉を開けて、針と糸で紡ぐささやかな奇跡を見届けて欲しい。



貴水玲(たかみ・れい)
群馬県出身、1981年生まれ。2014年『妖精童話(ルビ・フェアリーロマン)~聖約の乙女は恋の扉を開く~』(ネオスブックス ブロッサムサイド)でデビュー。その他の著書に『社内保育士はじめました』シリーズ(光文社キャラクター文庫)などがある。

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