『母上は別式女』のひみつ②/三國青葉
文字数 2,192文字
さて、「別式女」とは聞きなれない言葉ですが、果たしてその意味は……?
『母上は別式女』登場人物の裏話「『母上は別式女』のひみつ」を、三國青葉さんがtreeのために特別に書下ろししてくださいました!
第2回は、音次郎の裏話です!
「別式女」とは大名家の奥を守る女武芸者のこと。御三家や仙台、加賀、長州、肥後、薩摩などの大藩に数名ずつが置かれていた、実在の職務だ。他方、万里村巴は小藩の上総国・雨城藩で5人の別式女たちを束ねる「別式女筆頭」である。その任務は多岐にわたり、藩主の妻女の護衛のほか、家臣の子女への剣術指南なども行った。だが巴は、剣の腕は立つが料理はからっきし。反対に夫の音次郎は、上屋敷の賄い方助として料理の腕をふるっている。そんな「凸凹夫婦」の万里村家には、皮肉屋の父や楽天家の息子もいて、目が離せないのだ。
万里村巴=雨城藩・別式女筆頭。料理が苦手で、夫に頼りっきり。
音次郎=上屋敷の賄い方に勤める。修行と称して高級料亭を食べ歩く。
誠之助=巴と音次郎の一人息子。大人たちを往なす知恵を持つ。
源蔵=隠居の身の、巴の父。口が達者で、音次郎とは仲が悪い。
「母上は別式女」のひみつ その2
万里村家へ婿入りした音次郎はご機嫌な日々を過ごしていました。
よりによってこの自分が、大殿の命とはいえ、誰も婿のなり手がなかった剣が達者な別式女と、どうして夫婦にならねばならぬのか。相手は鬼女に決まっている。自分はきっと食い殺されてしまう。両親と別れの盃をかわして婚儀に臨んだ音次郎でした。
しかし、妻の巴は、鬼女どころか、美しい上に気立てもよい女子であることが判明し、自分は何と運が良いのだ、大当たりするかもしれぬゆえ、ここはひとつ富くじでも買ってみようなどと能天気なことを考えたりしていたのです。
そして、おまけに妻の巴は、別式女としてお役目に就いているので藩から禄をもらっている。しかも、自分よりもはるかに多い。もし、将来巴が別式女筆頭になったりしたら、禄はもっと増えるはず。これは一生遊んで暮らせるのでは……。楽しい想像に、音次郎の胸は高鳴るのでした。
そんなある朝のことです。音次郎が目覚めると、廊下に焦げ臭いにおいがただよっています。台所に駆け込んだ音次郎は、あまりの悲惨な光景に言葉を失いました。巴が飯を真っ黒に焦がしてしまっていたのです。
そして、焦げていたのは飯だけではありませんでした。黒くて長細いのはおそらく目刺し、ほんの少し黄色いところがある黒いかたまりは卵焼きだと思われます。しょんぼりとうつむいている新妻をかわいそうに思った音次郎は、励まそうと笑顔で言いました。
「味噌汁はうまくできておるようではないか。どれ」
味見をした音次郎は、次の瞬間、口を押えて勝手口から駆け出しました。
味噌汁を吐き出し、井戸の水で何度も何度も口をゆすぎます。味噌汁とは名ばかりの、この世の物とは思えぬ味。雑巾のしぼり汁のほうがよっぽどましな味がするのではと思われるほどです。
ここまでまずいと、もはや食べ物の範疇を超越しています。台所にある、ごくありふれた食材や調味料の何をどのようにしたらこのような代物が生み出されるのかまったく理解不能です。
でも、まあ仕方がありません。自分が根気強く一から手とり足取り教えてやればなんとかなるだろうと、気を取り直した音次郎は、突然目の前が真っ暗になり、思わず膝をつきました。人並外れて鋭敏な音次郎の味覚が、あまりのまずさに強い拒否反応を起こしたのでした。いっそのこと、これは凶器なのではないでしょうか。実際に人死にが出てもおかしくありません。
地面に倒れ伏しながら、音次郎は固く心に誓いました。
金輪際、巴に決して料理をさせてはならぬ……。
兵庫県生まれ。お茶の水女子大学大学院理学研究科修士課程修了。2012年「朝の容花」で第24回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞し、『かおばな憑依帖』と改題してデビュー(文庫で『かおばな剣士妖夏伝 人の恋路を邪魔する怨霊』に改題)。幽霊が見える兄と聞こえる妹の話を描いた「損料屋見鬼控え」シリーズは霊感のある兄妹の姿が感動を呼んで話題になった。その他の著書に『忍びのかすていら』『学園ゴーストバスターズ』『学園ゴーストバスターズ 夏のおもいで』『黒猫の夜におやすみ 神戸元町レンタルキャット事件帖』 『心花堂手習ごよみ』「福猫屋」シリーズなどがある。
諸藩を見渡しても数少ない女剣士・万里村巴は、護衛に武芸大会に剣術指南に大活躍。
新機軸書下ろし時代小説!
「別式女」は実在した。大名家の奥を守る女武芸者のことで、御三家や仙台藩などの大藩には置かれていたが、万里村巴が仕えるたった5万石の雨城藩に6人もいるのは珍しい。なかでも巴はその統率者たる「別式女筆頭」なのである。その任務は多岐にわたり、藩主の妻女の護衛のほか、家臣の子女への剣術指南なども行った。だが巴は、剣の腕は立つが料理はからっきし。反対に夫の音次郎は、上屋敷の賄い方助として料理の腕をふるっているのだ。そんな「凸凹夫婦」の万里村家には、皮肉屋の父や楽天家の息子もいて、まったくもって目が離せないのだ……。