『テスカトリポカ』佐藤究/血と暴力の国(千葉集)

文字数 1,297文字

次に読む本を教えてくれる書評連載『読書標識』。

木曜更新担当は作家の千葉集さんです。

今回は佐藤究の『テスカトリポカ』について紹介していただきました。

書き手:千葉集

作家。はてなブログ『名馬であれば馬のうち』で映画・小説・漫画・ゲームなどについて記事を書く。創元社noteで小説を不定期連載中。

文脈はありました。あるいは血統がありました。


メキシコ麻薬戦争を通して血と絶望と憎しみに彩られたドン・ウィンズロウの一大大河シリーズ、〈カルテル三部作〉の第一巻『犬の力』は角川文庫から出されたのが2009年。


その”血”の正統を踏まえるならば、メキシコ麻薬戦争と川崎発臓器売買ネットワークが結びついた暗黒資本主義暴力小説たる本作が角川書店から上梓されたのも奇な縁ではないわけで、そしてその野心はウィンズロウにけして引けをとりません。


あらすじとしては。


かつては兄弟たちと共にメキシコで麻薬カルテルの長として権勢をふるっていた〈粉(エル・ボルボ)〉ことバルミロ・カサソラはマフィア間の抗争の末に、家族と故郷を失い、逃亡先のジャカルタで出会った日本人の臓器売買コーディネイター末永とともに、川崎で国際的な臓器売買のビジネスを立ち上げます。ヤクザの父とメキシコ人の母を殺した罪を背負った少年、薬物の転売がバレて医師免許を剥奪された闇医者、ブラックな保育園で心身をすりへらしてた保育士などを巻き込みつつ、日本の暴力団やチャイニーズ・マフィアなどを向うに回し、彼らの”血の資本主義”は順調に発展していくが……といった内容。


テスカトリポカとはアステカの神の名前です。作中ではアステカ神話からの大量の引用が織り込まれ、遺体から抜き取られる臓器は神に捧げる生贄に重ねられます。


オクタビオ・パスが生贄獲得のために行われたアステカの「花の戦争」を現代の血液バンクになぞらえたように、ここでは呪術的なイメージが人間を食らいつくしていく資本主義という名の神に同化しているのです。


そして、そのイメージが日本からすれば地理的にも気分的にも彼方にあるメキシコで生じている暴力を「こちら側」へ近づける依代となるでしょう。


マーク・フィッシャー(『資本主義リアリズム』)や木澤佐登志(『ダークウェブと新反動主義』)、ルネ・ジラール(『世の初めから隠されていること』)らを参考文献として挙げつつ、現代において最大級の勢力を誇る神話にして宗教である資本主義の夜の部分を腑分けする『テスカトリポカ』は、今年上半期における最大級エンタメ小説にふさわしい壮大さと重厚さを具えています。


ウィンズロウの「メキシコの麻薬問題ではなく、アメリカの麻薬問題を書きたかった」という言葉を借りるなら、本書は「メキシコの神話ではなく、現代世界の神話を書いた」本と言えるのではないでしょうか。

『テスカトリポカ』佐藤究(KADOKAWA)
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