【小説現代 2020年11月号】『眉村卓 遺作『その果てを知らず』書評』

文字数 2,056文字

【2020年11月開催「2000字書評コンテスト:『小説現代 2020年11月号』」】


眉村卓 遺作『その果てを知らず』書評


著・佐久田和季


日本SFの黎明期

 この小説は、昨年11月3日に85歳で逝去された眉村卓の遺作である。
主人公は『浦上映生』という84歳のSF作家であるが、すぐに眉村卓の投影であることが伝わってくる。
眉村卓といえば日本SF第一世代。ジュブナイルSFの大家であり『まぼろしのペンフレンド』『ねらわれた学園』『なぞの転校生』などは何度も映像化されている。
一方で自身の勤務経験を踏まえ、個人と組織の関係を主軸にした『インサイダー文学論』を提唱した。インサイダーSFの代表作『司令官』シリーズでは、泉鏡花文学賞と星雲賞を受賞している。SFのみならず、最近では当たり前のジャンルとなった個人と組織の葛藤を描いた小説の先駆者でもあった。

 内容としては、癌の治療をしている主人公が入院中に体験した“幻覚”と、挟まれるショートショート、そして黎明期の日本SF界の思い出が、走馬灯のように綴られている。

 まず興味を引くのは主人公の若かりし頃、サラリーマン生活をしながら同人誌や雑誌にSF小説を投稿している回顧録である。
仕事を終え、大阪から夜行列車で東京に向かい『SF創作クラブ』の例会に出席し、とんぼ返りで大阪に戻りそのまま出勤する強行軍。勤務を続けながら、まだ世間には認知度の低いSF小説を探求する日々は、並大抵のご苦労ではなかった筈だ。
しかし筆致は「そういえばこんなことが」といった風に軽やかに進み、飽きさせない。ちょっとした勘違い思い違いなどもありのままに告白されていて、ほんのりとしたおかしみと正直で飾らない人柄が伝わってくる。

縦横無尽に繰り広げられる思い出に、星新一、筒井康隆、小松左京、平井和正と思わせる人物や、『宇宙塵』『SFマガジン』『早川書房』をもじったワードが出てきて、往年のSFファンにとっては心が躍る場面なのではないだろうか。
私は日本SF界を牽引した作家が、最晩年に綴る作品にこめたメッセージとは何なのかという興味で読み進めた。

譫妄せんもうか異次元の断片か

 主人公は抗癌剤と放射線治療のため入院しており、そこで何度か幻覚らしきものを体験する。
高齢者は手術の際など、麻酔の副作用なのか譫妄状態に陥りやすいということは知っていた。自分の父親も、肺がん手術を終えた日の深夜、突然大声で叫びだしたと翌日看護師から聞かされたことがある。これが譫妄というものだと後で知った。

主人公の幻覚はもっと奇妙であるが、なんとも知的で幻想的である。
脳の誤作動と一言で片付けるのは惜しい。常人では認知できない異次元の断片を、主人公は垣間見ているのではないだろうかとさえ感じるのだ。それくらい主人公の幻覚は詩的であり、個人的に釘付けになった箇所でもあるので、是非読んでみて欲しい。

そしてその不思議な体験を、主人公は冷静に誠実に記述する。
なにより「それも幻覚というのなら、それはそれでかまわない」という凪のような諦観が主人公にはある。これは年齢を重ねたせいもあるだろうが、主人公の考え方によるものが大きい。主人公は常々、「フシギな話をフシギに書くためには、心の中の別のところに常識世界が存在しなければならない」と信じていたからだ。
この言葉はとても腑に落ちる。作者の社会経験で培った常識は、物語世界の土台を確固たるものにしている。常識があるからこそ、逸脱できる。常識の範囲を把握しているからこそ、奇想天外な発想が可能となるのだ。

ショートショートの隠喩

 不意に展開される、やはり夢とも幻覚ともつかない『紙ヒコーキ』にまつわるショートショートは隠喩に満ちている。
主人公を乗せた紙ヒコーキは奇妙で印象的ないくつかの風景を巡り、そしてそれぞれのポータルで下降するかを尋ねられる。それは今までの人生における何らかの局面なのだろうか。或いはSF作家ならではのイマジネーションを“紙”に乗せ転移させる隠喩なのだろうか。あれこれ深読みができる楽しさも、上質な小説たる所以ゆえんだ。

 ここでタイトルが蘇ってくる。
作者はSF作家として輝かしい業績を残し、功成り名げている。なのに死を目前にしてもなお、「果てはここではない」とでもいうような静かでありながら壮絶な渇望。
この小説は、病床の作者が原稿用紙とメモを書き付け、構成の手直しを家族に手伝ってもらいながら仕上げたものであるという。眉村卓は最後の最後まで書き続けた作家であった。作者の姿勢と作品から、創造するということにおいて、年齢などは関係なく限界は無いのだというメッセージを私は受け取った。
 『小説現代』に掲載されているものは抄録である。作者にとっての「果て」とはなにを意味するのか、単行本で続きを読みたいと思う。

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