手足を切断し酒壺投入。我が子を殺し「大きい」男を愛す熟女暴君。

文字数 2,782文字

宮廷サバイバルを生き抜き頂点へ。中国史上唯一の女帝。劇毒親だけど。

《周》 則天武后(624~705)

「中国の三大悪女」といえば、漢の呂后、清の西太后、そしてこの周の則天武后(武照)ということになっている。こうのうち、皇帝になったのは則天武后だけ。中国史上、唯一の女帝である。


武照は裕福な材木商人の娘。後妻の子であったため、父が亡くなった後は異母兄や従弟らに苛められて育ったという。美貌であったため、13歳の時、唐の2代皇帝・太宗の後宮に入った。太宗はこの時、39歳であった。


太宗が51歳で亡くなると、武照はいったん出家をするが、すぐに3代皇帝・高宗の側室となった。これは、高宗の正室である王皇后が、武照を側室にするようにすすめたからだという


というのも、このころ、高宗は蕭淑妃という側室を寵愛していた。王皇后と蕭淑妃の一派は宮廷内で対立していたが、子供のいない王皇后の立場は弱い。そこで、武照を側室にすることで、高宗の気持ちを蕭淑妃から引き離そうと考えたのだ。皇太子時代から高宗は武照と出会っており、二人はすでに心を通わせていたとみられる。当然、王皇后もそれを知っていた


そして、王皇后の狙い通り、高宗の寵愛は蕭淑妃から武照に移る。しかし、王皇后のこの企みは、結果、自らの死を呼ぶことになった。


やがて、武照は女児を生む。王皇后はその赤ちゃんを見ようと武照の部屋を訪れるが、武照が留守だったため、王皇后は赤ちゃんをしばらくあやしたのち、部屋を後にした。

武照が部屋に戻ってしばらくすると、今度は高宗がやってきた。高宗が娘の様子を見ようとすると、赤ちゃんはすでに死んでいた。


侍女らから、直前に王皇后が訪問し娘に触れていたことを聞いた高宗は、王皇后が嫉妬の余り赤ちゃんを殺したと考えるようになった。武照も、王皇后の犯行であると示唆したことであろう。


実は、これは武照が仕掛けた罠であったとも言われている。

留守中に王皇后の訪問があったことを知った武照は、自分の娘を絞殺する。そして、それを王皇后の仕業と疑われるように仕向けたというのだ。王皇后が高宗から疎まれれば、自分が皇后(正室)になれる、というわけだ。男児を生めば、その子が皇太子になる。


もはや真相はわからない。もしかしたら、この女の子は不幸にも乳幼児突然死症候群などで命を落としただけだったのかもしれない。いずれにしろ、武照は娘の死によって最大の利益を得た。狙い通り、王皇后は廃后され、武照が皇后となったのである。男児も次々に生まれた。


王元皇后と蕭淑妃は罪人として投獄されたが、皇后となった武照は二人の処刑を命じる

その伝えられる処刑方法がすさまじい。武照は二人の手足を切断、生きたまま酒壺に投げ込んだ。二人は泣き叫びながら死んでいったが、その際、蕭淑妃が「武照は来世、鼠に生まれるがいい。私は猫に生まれ変わって、武照を食い殺してやる」と呪ったため、以降、武照は宮廷で猫を飼うのを禁じたいう。


高宗は病気がちであり、決断力に欠けていた。自然と権力は武照に集まりはじめ、武照はいわゆる「垂簾政治」を行うようになる。

武照は、一族のものを要職につけ、また身分の低い者を抜擢して自分の腹心を増やすなどして、権力の基盤を強化していく。密告を奨励して多くの役人を殺した


もともと皇太子だった高宗の長男である李忠(側室・劉夫人の子)は廃嫡され、代わりに武照の子である李弘が皇太子となる。廃嫡された李忠は庶民の身分に落とされ、地方に左遷された。この頃、李忠は殺害を恐れ常に女装していたという。しかし、努力の甲斐なく罪を着せられ殺された


皇太子となった李弘だが、その重圧のためか精神を病むようになり、20代で亡くなっている

しかし、この死にも疑惑があり、宋代に司馬光が編纂した史書「資治通鑑」は、武照の政治介入を李弘が諫めたため、武照によって毒殺されたとしている。


代わって弟の李賢が皇太子となったが、もともと李賢と武照は親子ながら不仲だった。武照も今度はさらに弟の李顕(のちの中宗)の方が皇太子にふさわしいと考えるようになる。李賢は謀反の罪によって地方に流されたうえ、自殺させられた。本物の「毒親」である。


武照は実の姉、また、その姉の子供である姪の魏国夫人も毒殺したといわれている。魏国夫人は若いころの武照にそっくりで、高宗がこれを寵愛したためだという。また、昔、武照を苛めたという異母兄や従弟らも処刑されたり流罪にされた。「昔、(後妻である)私の母に非礼な振る舞いをした」という理由で、従妹の妻を死ぬまで鞭打たせた。


高宗の死後、李顕が皇帝になったが(中宗)、これも武照に反抗する様子を見せたため、即位後、わずか55日で廃位させ、その後15年間幽閉された。代わりに中宗の弟・李旦(睿宗)が帝位につく。もちろん、完全に武照の傀儡であったが、それでも武照は飽き足らず、ついには自ら皇帝となり、国号を周と改めた。68歳の時であった。


武照は還暦を過ぎてからも男を求めた。そんな男の一人が、薛懐義という僧。二人が出会ったとき、武照は61歳。薛懐義は20代半ばである。薛懐義はもともと力士であったというから、すぐれた肉体の持ち主だったのだろう。また、わが国でも、俗に「道鏡は座ると膝が三つでき」などというが、薛懐義にも、そういう身体的特徴があったという。


しかし、薛懐義はその寵に驕り、また女官と通じるなどしたため、次第に武照の気持ちは離れていく。結局、薛懐義は自寺に火をつけるなど自暴自棄の行動に出て、処刑された。


武照が次に寵愛したのは、沈南璆という侍医であった。力士から医者へ心移りしたわけだが、女帝の寵愛が重荷だったのか、沈南璆は心を病んでほどなくして亡くなった。武照の周囲にいる人物は心を病んでしまうものらしい。


70歳を超えてからは張易之・張昌宗という美しい兄弟を寵愛した。彼らを要職につけたうえ、常に身辺に侍らせた。張兄弟に華美な服を着せ、毎晩のように宴会を楽しむ。


しかし、さすがの武照も老いには勝てず、次第に病気がちになる。すると、宮廷クーデーターが発生し、張兄弟は殺された武照も退位させられ、ほどなくして亡くなった。


「資治通鑑」は、武照は自分の血筋のものだけでも23人を殺したとし、手厳しく非難している。しかし、男の暴君にはさらにとんでもない家族殺しがいくらもいるのだ。儒教的価値観のためか、あるいは好奇のためか、女性が権力を握ると「女禍」などと一括りにされ、厳しい史的評価が下される傾向にある。しかし、むしろ、これだけ旺盛な権力欲を持ちながら天寿を全うするあたり、かなりバランス感覚に優れた独裁者であったようだ。

『則天武后』氣賀澤保規/著(講談社学術文庫)
『則天武后』津本陽/著(幻冬舎)

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