第20話

文字数 2,849文字

ストリップ劇場の正月は三番叟から始まる。その週の出演者から選ばれた踊り子が、厳かな舞いを披露するのだ。新年のお祝いと、今年一年の祈りを込めて、鈴を振り鳴らす。烏帽子などの特別な装束や、鈴を振る独特な動きは、過去に三番叟を踊ったお姐さんから引き継ぐそうだ。


いつか私にも、そんな日が来るのだろうか。服を脱ぐことも、色気を感じさせる要素もないステージだが、ストリップ客にとって、踊り子の三番叟は正月の楽しみなのだ。


アンダーグラウンドな世界に身を置き、女という性でしかできない仕事でお金を稼ぐ踊り子が、巫女のような振る舞いで神様にアクセスしようとするなんて、なんだか異様なことのようにも思えるかもしれない。だが、どうも私は神様がそこまで堅物とは思えないのだ。


神事の前に身を清めるくらいは人間として当たり前の礼儀だが、他人様の前で服を脱いだから神様に合わせる顔がない、なんてことはないだろう。人間の行為を単純な善悪だけで正しく判断するのは、いくら神様とて難しい。神様ほどのお方が、様々な事情をご存知ないわけがないのだ。諸々を鑑みて、グレーは見逃すくらいの大らかさがなければ、人間なんて複雑な生きものの面倒は見きれないだろう。


一説では、閉じこもった天照大神の興味を惹くために、絶世の美女である天鈿女神が天の岩戸の前で服を脱ぎ踊ったのが、ストリップの始まりと言われている。暗闇に包まれた絶望の世に光を取り戻したのが、ストリップショーなのだ。


女性が女性であることを肯定して美しく舞い、某かの成果を得ることは、後ろめたいことでもなんでもない。女性の裸に目を奪われる男性もまた、自分のスケベさを恥ずかしく思うなかれ。神様だって、つい戸を開けてしまったのだし。それに、こちとら目を奪うためにやっているんだから、死ぬ気で我慢されても困るのだ。


ところで、大和ミュージック劇場で迎えた正月である。三が日は樽酒が無料で振る舞われ、お年玉が飛び交い、豪勢なおせちの差し入れがあったり、艶やかな着物姿の踊り子が日舞を披露したりで、客席も連日満員御礼だった。コロナでなければ、劇場の床が抜けるか、天井が吹っ飛ぶかしたのではないだろうか。


零下になるほどの寒さでも、早朝から劇場の前に行列ができているのを見ると、うっかり今の状況を忘れそうになる。神奈川県に二度目の緊急事態宣言が発令されたら、飲食ができる売店を併設するここは、一体どうなってしまうのだろう。


年末の26日から30日までは、シアター上野の穴埋めだった。クリスマスの後とはいえ立ち見が出るほどの賑わいで、撮影タイムが長引く分、終演時間は遅くなる。年末とコロナで閉店時間を早める飲食店が多く、終演後の踊り子が空腹を満たす場所が「富士そば」しかないという状況だった。カウンターに並んで姐さんたちと食べた温かいおそばは、終始無言になるほど胃に染みたのである。


31日は劇場が休みなので、樹音姐さんたちと寒川神社へお参りに行った。隣で手を合わせた姐さんが心に浮かべたのは、大切な人たちの健康と、世界の平和だろう。この人は、いつも自分のことを後回しにする。私といえば、そもそも神様に何かをお願いするつもりはないので、「どうもお邪魔しております」と頭を下げ、ポーズで数秒手を合わせた。


フライング初詣で参拝客は少なく、青い空が広く抜けた神社を、家族のように思える人たちとのんびり歩く。その中には、あやめ姐さんの姿もあった。魅琴あやめ姐さんは元踊り子で、正月だけ樹音姐さんと一緒に、舞台に立つ。


日本舞踊が得意で、着物を縫い上げる腕前もプロ級だ。その衣装を借りて、年賀状用の写真を撮影したが、不慣れな私が着ても立つだけで絵になった。カメラは私のスマホで、シャッターを押すのは樹音姐さんだったが、それでもトップスターの宣材写真に見えたほどだ。



1月1日、「あけましておめでとうございます」と挨拶したメンバーは、年末の上野でも一緒だった樹音姐さんと、箱館エリィ姐さん。そして一生足を向けて眠れない、山口桃華姐さん。初対面のかすみ玲姐さんと黒瀬あんじゅ姐さんは、お客時代にステージを観て、骨抜きにされた踊り子さんだ。新年早々、神香盤。10日間の楽屋生活は、まるで青山美智子さんが書く小説の世界だった。


世の中そんなわけはないのだが、彼女の物語の中には、根っからの悪人がいない。もちろん、無神経なことを言ったり、ちょっと後ろめたいことをしてしまう人もいるのだが、様々なピースをうまく塡めてやることで、うっかり全員がいい人になって、読者の心までほどいてしまうという魔法の筆を持っている。


正月の大和は、びっくりするほどいい話しかない。いい話すぎて全然面白くならないので詳細は割愛するが、全員が「この10日間、楽しかった!」と思ったことが間違いない日々だった。最終日、エリィ姐さんが「親戚の家から帰るみたいに寂しい」とつぶやいたが、私なんて、小学校の卒業式の100万倍寂しかったのである。


だけど、どうしてもうまくいかない週もある。それは私のせいであるかもしれないし、誰のせいでもないかもしれない。


私は、自分がいい人ではないことを知っている。でも正月の10日間は、いい人でいられた。強い心を持たない私がどんな振る舞いをするかは、どうしても周囲に左右されてしまう。それでも、化学反応みたいに表れた「いい人」を噓だとは思わないし、できれば全員がそういう状態を保てるために努力したい。そうすることでまた、自分をいい人状態に保てるからだ。


三が日は、楽屋にあやめ姐さんの姿もあった。恐れ多い大先輩のはずなのだが、周囲を緊張させるどころか、樹音姐さんや玲姐さんとの漫才みたいな掛け合いで、笑いが絶えない。毎年恒例の樹音姐さんとのチームショーでは、地毛で結う日本髪に、観客の目を潰すほど輝くド派手な着物を纏い、扇を片手に貫禄たっぷり舞い踊る。


脱ぐわけではないのに、会場中の視線を惹き付けていた。そして終演後、相当疲れているはずなのに、着物を着たこともない私に、日本舞踊の所作を教えてくれた。もちろん一晩で習得できるはずもないが、そういう時間を割いてくれたということが、今後の私を変えていく。


数日後、楽屋にあやめ姐さんから段ボールが届いた。中身は全て、手作りの衣装だ。人間の手仕事とは思えぬほど正確に縫い付けられたビーズや夥しいスパンコール、七色に光る生地が形作る、見たこともないようなデザインのドレス。


私がそれらを身につけると、楽屋の姐さんたちが感嘆の声をあげた。踊り子は、美しい衣装が好きなのだ。1年に1着しか作れないような、手の込んだ衣装の数々を、私はあやめ姐さんから引き継ぐことになった。今のままでは、誰がどう見ても衣装負けである。


私は恵まれた踊り子だ。受け取ったものをまた誰かに引き継ぐまでは、逃げ出すことはできない。衣装だけではなく、姐さんたちにしてもらってうれしかったこと全てを抱えて、ストリップの世界で生きていくのだ。

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