第3回 コンビニ店員はお客さんの何を見るか
文字数 4,232文字

コンビニ店員とは、お客さんを見て見ぬふりする職業のことです。
もちろん、まったく見ないわけではありません。来店音が鳴るのと同時に、意識はすぐに出入り口へと向かい、お客さんの一挙手一投足に細心の注意を払おうと努めます。
いつレジにやってくるのか。
何か困っていることはないか。
怪我をしたり、病気にかかったりしていないか。
不審な動きはしていないか。
お客さんの観察は、レジ打ちと同じくらいに重要な仕事です。
私が働き始めたばかりのとき、勤務中に店内で体調を崩したお客さんがいました。
店の奥側に座っている人がいる――そう他のお客さんから聞かされてすぐ、そのお客さんが見える位置まで移動すると、実際に床に座っている男性客を目の当たりにしました。
すぐに向かうべきだったと、今でも思います。ただ当時まだ高校一年生だった浅薄な私は、床に座るお客さんが遠目には『得体の知れない存在』にしか見えなかったのです。
店内にいきなり座り込むなんて、何か怪しい人なんじゃないか? という空恐ろしさこそあれ、とても『体調を崩したお客さん』だとまでは認識できませんでした。
オタオタしてなかなか近づくこともできずにいると、ドリンク類の補充作業をしていたD先輩がバックヤードから慌てて飛び出してきます。その座っているお客さんの元に心配そうに駆けつけて、私ができなかったお声がけをします。体調は大丈夫そうか、救急車を呼んだ方がいいか、備えつけのAEDは使用するべきかなど、あらゆる状況判断をD先輩は一人で下していくのです。
結局、そのお客さんの体調はすぐに回復し、大事にならず店を無事出ていかれました。
しかしD先輩は、お客さんが去った途端、怒気を帯びた顔つきでこちらへ向かってきます。そして呆けた表情の私にこう言うのです。『なぜ、見て見ぬふりをしたのか?』と。
コンビニの天井の隅には鏡が設置されています。これはレジからでも店のあらゆる位置にいるお客さんを見るためのもので、気くばりミラーなんて呼ばれ方もしています。よって、体調不良のお客さんが見えなかったというのはただの言い訳だ、と。新人店員だからそこまで行き届かなかったとしても、なぜ実際目の当たりにして動かなかったのか? と。
それが体調不良のお客さんだと思えなかったとしても、見て見ぬふりをしていいのか? まず声をかけて相手を慮るのが店員じゃないのか?
結果的には触らぬ神に祟りなしみたいな態度でいた私を、D先輩は厳しく叱ります。
それからの私は、D先輩からの言葉をずっと心に焼きつけて勤務に臨みます。謎にばかり目を奪われていた私は、お客さんもよく見るようになりました。
たとえば、店内での足取り。
コンビニの店内レイアウトは、店舗ごとに大きな差異はありません。出入り口すぐの壁面の通路には、年齢や性別を問わない幅広い層が注目する雑誌コーナーを設け、まずそこにお客さんを誘導する仕掛けとなっています。この雑誌コーナーは外からも様子が窺えることが多く、店が繁盛している印象を立ち読みするお客さんで与えたりもしています。(現在では立ち読みを禁止している店も多くありますが)
さらに店の奥側――ドリンクや弁当、デザートなどの主力商品を壁面の棚に陳列することで、お客さんが思わず店内を一周し、ひとつでも多く商品を買ってもらえるよう綿密に配置を工夫しています。
そんな仕掛けが施された店内レイアウトの狙い通りにまず雑誌コーナーに足を運び、店内をぐるりと周るお客さんは、完全に独断と偏見ですがコンビニで『ついで買い』する傾向にある方。つまりおもてなしの精神でセールストークを試みれば店頭のファストフードやセール中の商品を買って行ってくれたりすることが多かったりします。
逆に、店内レイアウトを無視して一目散にレジにやってくるお客さんの多くが最初から買うものが決まっていた方。熱心なセールストークやまったりとした接客は逆効果で、いかに丁寧かつ迅速にレジ会計を終わらせて退店していただけるかが顧客満足度に反映されていきます。
こんなふうに、会計前からお客さんをよく見てよく接していくうちに、色々なお客さんと仲良くなれました。中には、お世辞ではあると思いますが私に会いたくてコンビニに足を伸ばしたと言ってくれる方もいました。
しかし、そんな過程で仲良くなった常連客の一人が、ある日を境に店に来なくなる事件が起きました。よく夏限定で販売されるセンタンのアイスキャンデーミルク味を買って行かれる八十代のおばあさんで、私に対していつも『よく頑張ってるね』、『毎回親切にありがとね』などの労いの言葉をかけてくれる笑顔が素敵な優しい女性でした。
どうしていきなり来なくなったのだろう? 思い当たる節は特にありません。とても明るく元気で、もしも何か来られない事情があれば事前に教えてくれるくらいには親しくなった気でいました。
一ヵ月、二ヵ月、三ヵ月……いつまで経っても、彼女が私の前に姿を見せることはありません。不安になって他の店員に何気なく聞いてみるも、確かに最近見かけないね、と言われます。どうやらこのコンビニ自体に来ていないようなのです。
いったい何があったのか気になった私は、どうにかして女性客の安否を確かめられないか考えてみます。しかし、知っているのはせいぜい外見と店内での行動のみ。あれだけ仲良くさせてもらっていたのに、住所はおろか名前さえ知らずにいる奇妙な関係でした。
『なぜ、見て見ぬふりをしたのか?』
D先輩から言われたその言葉がどうしても頭をよぎります。
居ても立っても居られなくなった私は、かつて観察していたおばあさんの過去の行動から何かわかることはないか探ります。
まずは、おばあさんの店内での足取り。彼女は毎回雑誌コーナーを経由してから最初にアイスキャンデーを手に取ります。それからも店内を二周ほどしてお弁当やお菓子などをいくつかじっくりと選んでからレジに来ます。
この動きにひとつ気がかりがあるとすれば、アイスの溶け具合をさほど気にしていなかったこと。家が近いからこそ、おばあさんはアイスを最初に躊躇なく取れた?
次に注目した点は、視線。彼女は気くばりミラーの方をよく見上げていました。それは他のお客さん同様てっきり身だしなみを確認していたのかと思っていましたが、もしそうではなく、そちらの方角に見える別の何かを気にかけていたのだとしたら?
そして最後にスマホ。最近ではすっかりバーコード決済が定着し、会計時に財布ではなくスマホを取り出すお客さんが大変多くなりました。おばあさんもその一人です。そしてその画面の変遷はレジからでもはっきりと見えます。おばあさんのスマホは決済画面に移る前は宅配ロッカーの納品完了通知画面だったことが何度かありました。
コンビニでも当然荷物は受け取れます。毎日コンビニを利用していたおばあさんならここを利用していても不思議じゃない。にもかかわらず、宅配ロッカーの方を優先していたということは、このコンビニより宅配ロッカーの方が家に近い場所にある?
彼女がよく見ていた気くばりミラーの方向に何があったか、確かめました。そこには、大きな交差点を挟んで少し進んだ先に、このコンビニを高く見下ろすマンションがありました。一階の出入り口傍には宅配ロッカーも見えます。
おばあさんの視線の先は上層。ここから家族ないし同居人の様子を遠目に確かめようとした? となれば、こちら側から視認できる上層の部屋のどれかが、彼女の住む家……?
退勤後さっそくあのマンションの管理人のもとを訪ねようかと考えていたところに、一緒にシフト入りしていた店長が私の様子を見にきます。
私がおばあさんのことを話すと、店長は物悲しい顔を浮かべました。
『ああ、あの人はもうそこに住んでいないのかもしれないね』

唖然としました。店長いわく、毎月このコンビニでおばあさんは公共料金を支払っていたが三ヵ月前から音沙汰がないこと。ちょうど彼女が店に来なくなったときに、救急車が交差点の先のマンション前に止まるのを見かけたこと。
コンビニにおいて常連のお客さんが来なくなることは実はそんなに珍しいことではありません。引っ越したり、他に行きつけの店ができたり、あるいは行きたくても行けなくなったり……。今まで何人もの常連客が気づけば見かけなくなっていることなんてザラなのです。
結局私は、それ以上何もできませんでした。住所を突き止めたところで、コンビニ店員にいったい何ができたでしょう。ただただ、無力感にさいなまれるばかりでした。
『店の外のお客さんをそれだけ気にかけたんだ。君はよくやったさ』
そう店長は励ましてくれますが、気分はしばらく沈み続けます。ただコンビニは何が昇ろうが沈もうが24時間回っています。へこたれたままのわけにはいきません。ここはどうあがいても、一期一会が立て続けに起きる場所。お客さんは次々やってくるのです。
それから一ヵ月ぐらいが経ちました。
ある日の夕勤――聞き慣れた来店音と共に、見慣れた顔が私の目の前に突如現れました。
その人は車椅子に乗っていました。後ろには、孫らしき好青年。
『ここは変わらないね』と彼女は告げます。『事故でしばらく入院していて来られなかった』と。
私はあまりに突然の出来事に、熱くなった目頭を押さえるので精一杯でした。
彼女はいつものように優しく笑顔を浮かべて言います。
『センタンのアイスキャンデーを買いに来たよ、まだあるかい』と。
私もまた破顔して言い返します。
『もう冬ですよ』
お客さんがどんな目まぐるしい日々を店の外で送ろうとも、せめて店内だけはお客さんにとって変わらない場所であり続けよう。
そのときの表情をちゃんと見よう――そう思った秋保でした。
次回もお楽しみに。
秋保水菓