『スイッチ 悪意の実験』応援コメント② 柾木政宗

文字数 2,186文字

4月22日発売の『スイッチ 悪意の実験』

第63回のメフィスト賞を受賞した今作を読んで、

歴代の受賞者たちが応援コメントを寄せてくれました!

2回目は第53回の受賞者・柾木政宗さんです。

「誠実」の実験

 『潔癖すぎるなあ、というのが正直な感想だった。でも、これが玲奈なんだ』

 本作の語り手である箱川小雪が、ゼミ仲間の桐山玲奈に対して抱いた感想です。この繊細で力強い物語を読み終えたとき、潔癖すぎると称された玲奈こそが、本作を象徴する人物なのでは、と思いました。

 玲奈のそのまっすぐさに、初めは戸惑うかもしれません。実は私がそうでした。でも戸惑ったそのことが、私も自分を大事にできていない証拠なのだと思いました。誠実であれば、玲奈の純粋な振る舞いをもっと素直に受け止められたはずですから。


 第六十三回メフィスト賞受賞作『スイッチ 悪意の実験』は、心理コンサルタントの安楽是清が学生たちに不思議なアルバイトを持ちかけるところから始まります。

 誰かがアプリのスイッチを押したら、是清はある家族に対する経済的援助を打ち切る。目的は純粋な悪意の追求。対象は高台にあるレンガ造りの家でパン屋を営む夫婦と、三人の子どもの家族。

 果たしてスイッチを押す者はいるのか。

 しかし『S』と名付けられた何者かによって、悲劇が次々と起こります。

 タイトルだけ見たときは悪意を追求するような構成かと思ったのですが、そうではなく悪意が別の形に変化していく様が書かれていくところに本作の独自性を感じました。悪意が反転して善意になるという単純な話でもなく、そのことがスイッチのオンオフのように、悪意とその対義語である善意を二元論として捉えることも拒んでいるように思いました。つまり『スイッチ 悪意の実験』というタイトルが否定されているように感じたのです。


 本作で一貫して書かれているのは、大事な物事を自分で決めて、自分の意志で行動に移すことの大切さです。それと同時に繰り返し強調されているのは、自分自身を大事にするということです。自分を大事にしないことは、そんな自分を大事に思っている人を傷つけるのと一緒、つまり悪意と同じ。だから自分を粗末にしてはいけないと、特に玲奈の言葉を通じて語られます。

 小雪は選択の必要に迫られたときは、心の中でコイントスをしてきました。しかしそれを思考の放棄だとして『不信の証明』と称し、自身を『弱い、がらんどうの、うすっぺらい生き物』と呼びます。

 そんな風に小雪は自分を大事にできていなかったのですが、玲奈の言葉に考えを変えていきます。

 また、世の様々な概念にどう立ち向かっていくかではなく、どう向き合っていくかという姿勢が大事なのでは、というメッセージも感じました。

 その姿勢を貫くのは、本作の実験対象となる悪意に対しても同じです。決して悪意に打ち勝つ方法ではないところが肝要なのかな、と思います。

 本作で『純粋な悪意』と思しき概念は、扱う人物によって変貌していきます。人から人へと回り、最終的にある人物を説得することもあれば、悪意の産物かと思われていた事象が、大きなどんでん返しとともにそうではないとわかることもあります。

 そして個人的に玲奈の悪意の使い方が印象的でした。玲奈は正体不明の『S』に自首を勧める際、『純粋な悪意』を使って『S』の悪意を否定しようとするのです。『純粋な悪意』でさえ、相手の善性を証明する材料に使うのです。

 そんな玲奈です。

 玲奈は周りを巻き込む行動力にあふれた人物というよりは(そういう場面もありますが)、ひとりひとりと誠実に向き合う人物です。そんな彼女に小雪や他の登場人物が影響を受けていくところにリアルさを感じました。現実で考え方を大きく変えてくれるような人物は、玲奈のような存在なのでしょう。

 『スイッチ 悪意の実験』というタイトルを否定する流れになったのは、作者が『悪意の実験』のその先を追い求めたからではないでしょうか。善悪の括りではなく、誠実に向き合うこと。作者が本作を執筆したことは、私たちに誠実さとは何かを問う実験だったのかもしれません。そして玲奈という登場人物こそ、その実験の先に存在することを願った誠実さの象徴のように思えました。

 本作の第四章のタイトルはその名の通り「誠実」です。玲奈の誠実さはもちろん、再読時には正体を隠していた『S』の言葉にも、どこか誠実さを感じました。


 私は自分を大事にできているだろうか。

 そう考えると、内心忸怩たるものがあります。

 しかし本作を読み、自分を大事にできそうな気がしました。その分、人に優しくなれる気もしました。

 何だか気恥ずかしいことを言っていますが、そう思わせてくれる力強さが本作には満ちています。是非みなさんも手に取ってみてください。

 メフィスト賞の歴史に新たな風を吹き込んでくださった潮谷先生のデビューを、心よりお祝い申し上げます。次回作も楽しみにしております。

柾木政宗(まさき・まさむね)

1981年生まれ。埼玉県川越市出身、在住。ワセダミステリクラブ出身。

『NO推理、NO探偵?』で「メフィスト」座談会を喧々囂々たる議論の渦に叩き込み、第53回メフィスト賞を受賞し、2017年にデビュー。

著書に『朝比奈うさぎの謎解き錬愛術』がある。

この夏、ユニークなお仕事小説を講談社より刊行予定!

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