女は全員俺の嫁!で結婚禁止のエロ暴君。1万人ハーレムと人乳豚

文字数 2,851文字

羊に引かれてハーレム参り。皇帝が全力で人生を楽しんじゃった

《晋》 司馬炎(武帝)(236~290)

司馬炎は晋の初代皇帝で、諡号は武帝。『三国志演技』で孔明の好敵手(やられ役?)として描かれる司馬懿の孫である。もはや飾り物であった魏の皇帝から禅譲を受け、皇帝となった。


その治世の最後の10年ほどを除けば、司馬炎は英邁な君主だったといえる。ただ、スケベだっただけだ。


父、司馬昭の代にすでに蜀は滅亡。残る呉の皇帝は暴君として名高い孫晧孫晧の回を参照)で、その国力は衰えていた。しかし、司馬炎は慎重に事を進める。司馬一族の者を王として各地に封じ、律令を定め、有徳の人物を重臣に据える。また、蜀や魏の皇帝の一族や遺臣も取り込んで、宥和を図る。


そうやって国内を安定させると、満を持し、計20万の兵力で呉への侵略を開始した。長江の上流から軍船を用いて攻め下ると同時に、長江北岸からも圧迫を加えていくという万全の構えで、これでは「赤壁」の再来など望みようもない。知将・杜預(詩聖・杜甫の先祖)の活躍もあって、孫晧はほどなくして降伏した。


西暦280年、こうして、司馬炎は統一を成し遂げた。黄巾の乱以降、約100年続いた混乱を終息させたのである。三国志の英雄である曹操、劉備、孫権らも成しえなかった偉業だ。


しかし、これで気が抜けたのだろうか。その後の司馬炎は政務への興味を失う。そして、お決まりのパターンで酒色に溺れていくのだが、特に「色」の方がこの皇帝の弱点であった。


統一前からその萌芽はあった。呉への侵攻を開始する8年前のこと。司馬炎は「しばらくの間、結婚を禁じる」という無茶な詔勅(皇帝の命令)を出している。その理由とは「自分の妃にする美女を全未婚女性の中から選ぶから、その間、結婚するなよ」というものであった。


そうやって、武帝は選りすぐりの美女5000人を後宮に入れた。もちろん、女性たちに拒否権などない。中には婚約者を奪われた青年もいたであろう。


呉の孫晧も好色で有名であり、これまた5000人の女性が後宮にいた。司馬炎は呉を亡ぼすと、その5000人の女性を自らの後宮にそっくり収容した。呉の建業(現在の南京)から、都の洛陽まで700キロ以上。5000人の美女の大移動である。


こうして、広壮な後宮には、1万人の女性が住むことになった。この中には妃の身の回りの世話をする女官の数も含まれていた。しかし、その女官だって、司馬炎のお手が付けば妃である。


しかし、こんな中から、毎夜、同衾する相手を選ぶのは大変だ。何せ、選りすぐりの美女ばかりなのである。そこで、司馬炎はこんな方法を編み出した。


毎夜、司馬炎は羊に引かせた車に乗って後宮の中を回る。そして、気まぐれな羊が立ち止った扉の部屋に住む女性と一夜をともにしたのだ。


司馬炎にしてみれば、羊が選んだという形にした方がいろいろと楽であったのだろう。しかし、妃になり、さらに皇帝の子供を産めばその身は安泰、一族も繫栄する。女性も必死だ。一度も相手に選ばれなかった女性もいたことだろう。司馬炎は楽しかったろうが、無責任で残酷な遊戯である。


しかし、中に賢い女性がいて、扉に竹を挿し、塩を置いた。羊は好物の竹を食べ、塩を嘗めようとその部屋の前に一目散。結果、この女性は司馬炎の子を産んだという。この故事が、今でも飲食店の店先に盛り塩をする起源だとも言われている。一説には、酒を置いた塩水を置いたとも言われる。酔った羊がそこで寝転んでしまえば、より確実というわけだ。


当然、こんな後宮を維持するのには、莫大な費用が掛かり、民衆を苦しめることに繋がった。また、司馬炎は売官を行い、私腹を肥やした。地位を金で買ったら、元を取りたくなるのが人間の性。結果、酷吏が増え、賄賂が横行することになる。


享楽的な生活をしていたのは皇帝だけではなく、この時代、貴族たちもまた贅沢を競いあった。ある日、司馬炎は娘婿の王済の家に招かれた。そこで出てきた豚肉を食べると、これが大変柔らかくてうまい。すると王済は「この豚は、人乳を飲ませて育てました。これはまだ誰も思いついていない贅沢ですよ」と自慢した。


さすがの司馬炎も気分が悪くなり、退席したという。人乳で煮た豚肉だったとも言われるが、いずれにしろ、乳を盗られた赤ちゃんは悔し涙を流したことであろう。


司馬炎は後継者選びでもしくじった。皇太子の司馬衷(後の恵帝)は暗愚であったといわれる。彼の愚かさを伝えるエピソードは多い。


カエルの鳴き声を聞いて「カエルは皇帝のために鳴いているのか、それとも民のために鳴いているのか」と家臣に尋ねたという。


また、司馬衷が皇帝となった後のこと。「国が乱れ、民が餓死している」という報告する家臣がいた。それに対して、司馬衷は「穀物がないなら、なぜ肉入りの粥を食べないのか」と言ったという。どこかで聞いたような話である。


重臣たちは、このように愚かな衷を廃嫡し、聡明をうたわれている司馬炎の弟、司馬攸を跡継ぎにするように諫言した。しかし、わが子可愛さであろうか。司馬炎は司馬攸の一派を排斥して、司馬攸も都から追い出した。


司馬衷の息子、司馬遹は父に似ず、幼いころから頭脳明晰であった。司馬炎はこの孫を溺愛しており、この孫に期待して司馬衷を後継者にしたとも言われる。


しかし、繋ぎの皇帝といえども限度はある。司馬衷は愚かなだけでなく、気弱で心優しい人物であった。つまり、皇帝にまったく向いていないかった


皇帝となった司馬衷は、2歳年上で気の強い賈皇后(司馬炎の評によれば「色黒で背が低く醜い」女性であった)の言いなり。外戚らによって引き起こされた宮廷闘争をオロオロと見守るだけであった。期待の息子、司馬遹も殺された。さらに、各地に封じた王たちの反乱が国起こり、国は乱れに乱れた。


さらに異民族の侵入も続いて、結局、晋は建国から40年ほどで滅びた。そして、中国は再び長き混乱の時代に陥ってしまうのである。


司馬炎は「気に食わなければ一族皆殺し」というようないわゆる「暴君」ではなかった。ある家臣が「陛下は(暗君とされている漢の)桓帝や霊帝よりも悪い。売官で得た金を私しているからだ」と厳しく諫言した。しかし、苦笑いして「君みたいな直言の士がいるんだから、桓帝や霊帝よりもましだろ」と言っただけだった。また、晋に下った呉の末帝・孫晧をからかかおうとしたが、逆にやり込められてテヘペロしたりもしている。


司馬炎は寛容な人物であった。それでも、司馬炎を名君と思う人は少ないだろう。皇帝には、中国の巨大な富と権力が集中する。他人の生殺与奪も思いのまま。カエルだって皇帝のために鳴きかねないのである。その中で自分を律し、名君であり続けることは、ほぼ人間の限界を超えた難業なのだ。

関連書籍

『酒池肉林』井波律子(講談社学術文庫)

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