イケメン変人動物学者が恋愛相談!? 『パンダより恋が苦手な私たち』試し読み⑦
文字数 6,844文字
イケメン変人動物学者とへっぽこ編集者コンビでおくる、笑って泣けるラブコメディー「パンダより恋が苦手な私たち」がいよいよ6月23日発売されます! その刊行を記念して、試し読みを大公開!
今日は「第1話 失恋にはペンギンが何羽必要ですか? ⑥」をお届けします!
第1話 失恋にはペンギンが何羽必要ですか? ⑥
オレンジ色のランプが、テーブルの上で輝いている。
店の名前は『ランプ軒』、飯田橋の裏路地にあるレトロな雰囲気の居酒屋は、私たちのお気に入りの店だ。店長が毎日市場で仕入れてくる新鮮な魚が人気で、当然のように、客のほとんどが刺身の盛り合わせを注文する。
テーブルに届いた魚に目もくれず、呼び出した理由を口にした。
「どうしよう、フラれだっ」
「うん、やっぱり美味しいよね、ここの刺身」
「ちがう、環希。ちゃんと聞いて。フラれたって言ったの」
「聞こえてるから。なにがあった、話してみ」
目の前の友人は、片肘をついて私を見る。
さっぱりとしたショートヘアにサバサバした話し方、いつもジーンズにM‐65タイプのミリタリージャケットだけど、男っぽいということはまったくない。マニッシュな服を着こなした美女が、優しく微笑んでいる。
促されるままに、心に深々と突き刺さった刃を抜いて見せる。凶器はこれです。
五年間付き合っていた彼氏にフラれた。他に好きな人ができた、君は悪くない、ありきたりな台詞を吐いて出ていった。恋愛コラムの締め切りは迫っているけれど、こんなメンタルで書けるわけない。
橘環希は、『リクラ』の撮影で知り合ったカメラマンだ。最初に会ったのは、北欧インテリアでリラックスできる部屋作り特集。男性ばかりのスタッフに交じって写真を撮る彼女は、とてもカッコよかった。
仕事上がりにスタッフ全員で晩御飯を食べに行き、同じ東北出身だったことがきっかけで意気投合した。彼女は仙台だったので、話してみると若干の地域格差はあったけど、まぁ、それはどうでもよくて。こうして話を聞いてほしいときにお互いに連絡を取り合っている。
「ほんとにホテル暮らししてんのかなぁ。もう相手の女のところにいたりして? あ、いまの冗談だからね」
話を聞いた後、環希はそう言うと、口の端からピンク色の舌を覗かせる。ちょっとだけ舌を出して犬歯で嚙むのは、彼女の癖だ。たぶん、マゾっ気があるんだと思う。
「あいつね、テーブルの上で手を組んで、まだ付き合ってないって言った。あいつが手を組んでるときってね、噓じゃないの」
五年も付き合っていたんだ、癖も性格もよく知ってる。そういう不器用で生真面目なところも好きだった。
「確かに、真面目なのかもね。気持ちが離れた時点で、もう浮気だってことか。普通の男なら、とりあえずキープとか考えそうなとこなのにね。自分がモテないって自覚してるならなおさら」
「そういうところ、わかっちゃうから。余計、ふっ切れなくて」
「こういうときは、ゾンビ映画でも見てスカッとしたら。怖い系じゃなくて、アクション重視のやつね。『バイオハザード』とか」
環希は、ゾンビ映画を愛していた。話していると頻繁にゾンビという単語が出てくる。彼女と付き合う男は、きっとゾンビ映画の新作が出るたびに映画館に通うことになるだろう。
「そんなのでスカッとするの、環希だけだよ」
「『ハムナプトラ』は? ミイラでもだめ?」
「種類の問題じゃねぇよ」
環希は、私の言葉が理解できないというように首を振った。その芝居がかった仕草のせいで、椎堂先生のことが頭をよぎる。
「ねぇ、知ってる? ツバメって浮気するんだって」
今日、重たい体を引きずって会社にいくと椎堂先生からメールが届いていた。
メールには『求愛行動図鑑1』というファイルが添付されていた。自作のメールマガジンらしい。ナンバーいくつまであるのか知らないけど定期的に届くのだろう。ツバメの求愛行動について、可愛らしいイラスト付きで説明されていた。
ツバメは、尾羽が長くて左右のバランスがいいオスがモテる。このモテ基準は絶対らしく、ツバメのメスは、オスのプロポーズを受け入れて同じ巣で暮らし始めた後でも、もっといい羽を持っているオスにアピールされたら、こっそり条件がいい方の子供を作るそうだ。
浮気されたオスは、浮気されたことも気づかずに、知らないオスの子供のために必死にエサを集める。可哀想なオス。なんという昼ドラ。
「なに、いきなりツバメって」
「とにかく、私は真実を知ったオスツバメのような気分ってこと」
環希は呆れたように、次なに飲もう、とドリンクメニューを手に取る。ついでのように聞いてきた。
「週末に荷物取りにくるんでしょ? どうすんの?」
「聞き分けのいい女の振りなんて、絶対ムリ。縋りついてでも引き留めてやる」
「その意気だ。ものは考えようじゃない。今週末に、チャンスがあと一回あるってことでしょ。そこで彼をもう一度、振り向かせる可能性もゼロじゃない。あんたが愛想つかされた理由、考えてみなよ」
「他に好きな人ができたって。私が悪いんじゃないって言ってた」
「あんたさ、それを真に受けてんの? 他に好きな人ができた、俺が悪い、君はなんにも悪くない、それって、別れる理由としては完璧でしょ。完璧ってのは、文句のつけようがないってこと。相手を傷つけず、ついでに余計な議論もしなくて済む。優しさのふりをした自己満足だと思うけどね。別れるのに、あんたにまったく理由がないなんてありえないって」
「……そう、だよね。なにか、あいつが私のことを好きじゃなくなるきっかけがないと、他の人に目がいったりしないよね」
環希はいったん会話を止めて、店員さんにハイボールを頼む。その間に、自分の悪いところを考えた。
「寝るとき、歯ぎしりがうるさい」
「それくらいで別れないでしょ。それに、今さら過ぎるし」
確かに、同棲する前から知られてる。何度もからかわれた。もしあるとすれば、同棲し始めてから気づいたことだろう。
「別々に洗濯物を洗ってるの、嫌だったのかな」
「え、同棲してたのに分けて洗ってんの? それはちょっと傷つくかもね。なんで?」
「あいつの靴下、すっごい臭いから。だから、洗濯は私がやることにしてた」
「んー。でも、それ、嫌がられてたわけじゃないでしょ」
「それ以前に、たぶん、別々に洗ってることすら気づいてない」
「じゃあ却下」
太ってきたことをイジりすぎた。仕事の愚痴を言いすぎた。疲れているからと夜の営みを何度も拒否した。疲れているからと週末でかけようと誘ってくれたのを断った。思いつくままに口にするけど、全部、ことごとく否定される。
「ダメな父親の見本みたいなエピソードばっかりほり込んでくんじゃないわよ。そういうんじゃなくて、ほら、なんか思い出してみ。あんたのこれまでの生活でもっとないの?」
そこで、頼んでいたおでんの盛り合わせが届く。卵もらっていい、と嬉しそうに聞いてくるので、ぜんぶどうぞ、と答えた。ここのおでんは味が濃すぎるので苦手だった。ここだけじゃない。実家が薄味だったせいで、居酒屋で食べる煮物はだいたい口に合わない。
「……そういえば、晩御飯、たまに真樹が作ってくれることあったんだよね。そのときの味付けが、すっごく濃かった」
「あー。それあるかも。あんたの味付け、薄いもんね。一度、家に泊まったじゃん。肉じゃが作ってくれたじゃん。見栄えはすごい綺麗だったんだけど、食べた瞬間、離乳食かと思った」
「そんなにっ」
「食って、大事だろ。とくに、一緒に住んで、結婚とか考えるようになったらね」
「そうか。食、かぁ」
そういえば、同棲を始めてから、晩御飯はほとんど私が作っていた。真樹はいつも美味しいと言って食べてくれたけど……無理をさせていたかもしれない。
「週末に彼が来たときに、彼の口に合う濃い味の料理を作って食べてもらうってのどう? それで、あ、こいつ、気づいたって思うかも」
「本当に、そんなことで、気持ちが変わると思う?」
「駄目元だよ。なにもしないよりマシでしょ。それより、あんたの方は、これから毎晩、濃い味の料理になっても平気なの?」
覚悟を決めて、たっぷり煮汁が染みた大根に箸を伸ばす。オレンジ色のランプの下だと、黒っぽい色にさえ見える。
「私、やるよ」
口に含むと、舌が痺れるような醬油の味がした。
先輩が貸してくれた偉人の名言・格言の本によると「愛は行動よ。言葉だけではだめなの」と、オードリー・ヘップバーンも言っている。行動あるのみだ。
これで真樹が戻ってくるのなら、いくつだって食べられる。
◇◇◇
料理は、環希に離乳食みたいと言われた肉じゃがにした。
荷物を取りに来た彼に、せっかくだから晩御飯食べていってよ、と言って肉じゃがを振る舞う。真樹は迷った表情をしたけど「最後の晩餐だな」という、誰でも思いつきそうでまったく面白くない、いかにも彼らしい冗談を言ってテーブルについた。
一口食べた途端、彼の目が驚きで広がった。
「うわ、うまいな」
「でしょ。私、濃い味の料理も作れるよ。これからもやっていけるよ。だから、お願い、もう一度考え直してくれないかな。私、やっぱり、真樹と別れたくない」
味見のときに口に入れた肉じゃがは、自分の作ったものだとは信じられないくらい濃い味がした。そんなわけないとわかってるけど、醬油をそのまま飲んだような気がする。
「……あのさ、別に俺、君の料理に不満があったんじゃないんだよ」
真樹は、そう言って笑った。テーブルの上で、手を組みながら。
「え? 真樹の作る料理、あんなに濃い味だったのに」
「まぁ、最初はびっくりしたけど、すぐに慣れたし。健康のためには、これくらい薄い方がいいかなって思ってた」
「じゃあ、なんで、私のこと好きじゃなくなったの?」
「だから、君は悪くないって言ってるだろ」
「あのさ、それ、優しさだって思ったら大間違いだからね。自分が悪いって言って、相手になにも落ち込む理由を与えないのって、残酷なことだよ。もう一度考えて。それでもやり直せないなら、ちゃんと理由を言って」
真樹は、真剣な目で私を見つめる。
それから、諦めたように頷いた。
「わかった。はっきり言うよ」
彼は急に視線を外す。それは、私を通り越して、奥の部屋を見ていた。
「レオパだよ」
彼が見ていたのは、ダイニングの奥に置かれているケージだった。
「俺が、君とはやっていけないって思ったきっかけはレオパだよ」
東京で一人暮らしをはじめてすぐに飼いだしたレオパードゲッコー。飼っているのはハイポメラニステックという種類で、体は鮮やかなイエロー、顔と尻尾に黒い豹柄の模様がある。私はずっとレオパと呼んでいたのに、彼がハリーという名前をつけてくれた。たまにケージから出して手に乗せて遊んでくれた。ハリーの住む小さな世界には、私たちが同棲してから半年分の思い出が詰まっている。
「ハリーが、どうしたの?」
「同棲するまで、飼ってるってこと一度も言ってなかっただろ。俺、無理なんだよ、爬虫類とか」
衝撃的な告白が、私を貫く。
「手に乗せて、可愛がってくれてたじゃん」
「顔ひきつってただろ、わかれよ」
「我慢してたってこと?」
「そうだよ。色が毒蛇みたいで落ち着かないんだよ。乾燥したコオロギとか気持ち悪いんだよ。とにかく、もう限界なんだよ」
「じゃあ、好きな人っていうのは」
「いない」
「じゃ、じゃあ、ハリーを、もし誰かにゆずったら、考え直してくれるの?」
「そういうことじゃない」
彼の視線が、奥の部屋から私へと戻ってくる。
「レオパは、きっかけだよ。あれがきっかけで、お前のこと、冷静に見るようになった。結婚してやっていけるのかなって。そしたら、色々と気になるとこがでてきてさ」
「気になるところって、なによ」
「レオパを嫌がってるのと同じようにさ、俺が疲れてても落ち込んでても、全然気づかなかっただろ」
「そんなことがあったんなら、話してよっ」
「お前が、いつも自分のことばっかり話すから、言えなかったんだよ」
昨日、環希に話した理由の一つだった。仕事の愚痴が多すぎる。いつも笑って聞いてくれるのを、彼の優しさだと思っていたのに。
「それから、お前、なんで俺の洗濯物だけよけて洗ってたんだよ。あれ、すげぇ嫌だった」
「それも、理由なの」
「あと、太ってきたのイジられるのもムカついたし」
「なんなのっ。さっきから聞いてれば、そんな小さいことっ。ちゃんと言葉にして言えばいいじゃない。話せば解決できるようなことで勝手に嫌いになるなんて、ズルいよ」
「そういうの、ちゃんと話し合うのって疲れるだろ。どっちにしろ、話をしてたって駄目になってた。俺、お前と同棲を始めて思ったんだ。なにも言わなくたって、何気なく気遣いができたり、こっちの気持ちを察して話を聞いてくれることって、俺の中では大事なポイントだったんだなって。結婚する前に気づけてよかった、お互いに」
彼はそう言うと、箸を置いて立ち上がった。
「ごちそうさま。この肉じゃがは、すごく美味しかったよ」
一人ごとのように呟く。その声は、それ以上の意味はないから、俺にとって料理っていうのは重要なポイントじゃなかったから。そう告げているようだった。
私の中には、もう彼を引き留めるための言葉は残ってなかった。彼が部屋に戻り、少ない荷物を段ボールにまとめて時間通りにやってきた業者に引き渡すのを、一番近いところから眺めていた。
付き合って五年。その年月が、彼への無関心を生んでいたのかもしれない。彼のことはなんでもわかっているという過信があったのかもしれない。だから、彼の大事なポイントに気づけなかった。
あと少し、気遣いができれば、変化に気づけていたら、大切なものを失わずにすんだのだろうか。
真樹が、合鍵を置いて出ていく。最後になにを話したのかは覚えてない。
一人分の荷物が減った部屋には、テレビの上やリビングの角、あちこちに不自然なスペースができていて、それまでは意識さえしていなかったのに、なくなって初めてそこにあった雑貨や家具に気づく。
きっと、彼が私を嫌いになった理由も同じだ。言われるまで、目に入っていたのに気にしなかった。言われて初めて、これまで上手くいっていると思い込んでいた私たちのあいだに不自然なスペースができていたことに気づいた。
君は悪くない。その言葉を受け入れていれば、こんなショックを受けることはなかったのかな。
そんなことが浮かんできて、すぐに首を横に振る。
だけどその分、ちゃんと終わらせることができなくて、もっと長い間もやもやしただろう。ちゃんと傷つくことができてよかった。
部屋の奥で、小さな音がする。
歩み寄って、ケージの前にしゃがみ込んだ。
いつもは物陰に隠れてなかなか出てこないレオパが、珍しくガラスに張り付いて私を見つめていた。
「ハリー。お前は悪くないからね」
その名前を口にした途端、目尻に溜まっていた涙が溢れてきた。
感情が見えないレオパードゲッコーの瞳が、今だけは、私を慰めているような気がした。
6月22日公開「第1話 失恋にはペンギンが何羽必要ですか? ⑦」へ続く!
今泉忠明氏(動物学者 「ざんねんないきもの事典シリーズ(高橋書店)」監修)、推薦!
ヒトよ、何を迷っているんだ?
サルもパンダもパートナー探しは必死、それこそ種の存続をかけた一大イベント。最も進化した動物の「ヒト」だって、もっと本能に忠実に、もっと自分に素直にしたっていいんだよ。
あらすじ
中堅出版社「月の葉書房」の『リクラ』編集部で働く柴田一葉。夢もなければ恋も仕事も超低空飛行な毎日を過ごす中、憧れのモデル・灰沢アリアの恋愛相談コラムを立ち上げるチャンスが舞い込んできた。期待に胸を膨らませる一葉だったが、女王様気質のアリアの言いなりで、自分でコラムを執筆することに……。頭を抱えた一葉は「恋愛」を研究しているという准教授・椎堂司の噂を聞き付け助けを求めるが、椎堂は「動物」の恋愛を専門とするとんでもない変人だった! 「それでは――野生の恋について、話をしようか」恋に仕事に八方ふさがり、一葉の運命を変える講義が今、始まる!瀬那和章(せな・かずあき)
兵庫県生まれ。2007年に第14回電撃小説大賞銀賞を受賞し、『under 異界ノスタルジア』でデビュー。繊細で瑞々しい文章、魅力的な人物造形、爽快な読後感で大評判の注目作家。他の著作に『好きと嫌いのあいだにシャンプーを置く』『雪には雪のなりたい白さがある』『フルーツパーラーにはない果物』『今日も君は、約束の旅に出る』『わたしたち、何者にもなれなかった』『父親を名乗るおっさん2人と私が暮らした3ヶ月について』などがある。