第46話 薬物疑惑の女、杏奈を説き伏せた立浪だったが

文字数 3,118文字

「私以外にも、健ちゃんとドラッグをやっていた女がいるんでしょう!? その女達の誰かが漏らしたかもしれないじゃないですか!?
 杏奈が気色(けしき)ばんで訴えた。
「もちろんです。牧野さんサイドに情報が漏れた時点で誰が漏らしたのかは追及せずに、連帯責任で全員を記事にします」
 立浪のブラフに、杏奈が青褪(あおざ)めた。
                   ☆
「驚きました」
 アルファードのフロントウインドウ越し――「クレセント」のテナントのビルのエントランスに入る杏奈の背中を見送りながら黒木が言った。
「なにが?」
 立浪はスマートフォンのデジタル時計に視線を落としながら訊ねた。
 PM9:30
 インタビューに三十分かかったぶん、杏奈の出勤は遅れた。
 最初は渋っていた杏奈も、最終的には牧野健がGVルームを訪れるたびに違法ドラッグをやっていたことを洗いざらい証言した。
「扱いづらそうな人だと思っていましたが、こういう手を使うとは意外でした」
「こういう手とは?」
「恫喝と噓。そういうことを一番嫌うタイプだと勝手にイメージしていました」
 黒木は皮肉ではなく、心のままを口にしたという感じだった。
「君、兄弟は?」
 立浪は唐突に訊ねた。
「妹がいます」
「君は妹を殴(なぐ)るか?」
「まさか。僕がそんな弱い者いじめをする男に見えますか?」
 黒木が苦笑いした。
「じゃあ、妹に危害を加える男も殴らないのか?」
 すかさず立浪は質問を重ねた。
「それは、さすがに殴るでしょうね」
「俺も同じだ。大河内のような男には手段を選ばない」
「なるほど。そういうことですね。とにかく、立浪さんを甘く見ていたようです。僕らは仕事柄汚い手を使いますが、立浪さんはメジャー写真週刊誌の編集者ですよね?」
 黒木の眼に好奇の色が宿った。
「俺は特別だ」
 特別――「スラッシュ」での立浪のターゲットは不倫した野球選手でも覚醒剤に手を出した俳優でもない。
 昔もいまもこれからも、立浪の標的はただ一人……。
 立浪は脳内に蘇(よみがえ)りかけた父の自殺を報じる記事を打ち消した。
「行き先はボスの事務所でいいですか?」
 黒木が訊ねてきた。
「いや、『スラッシュ』に頼む」
「わかりました」
 黒木がアルファードを発進させた。
「でも、大丈夫なんですか? 女の証言はレコーダーに残せましたが、『スラッシュ』で掲載するには編集長の許可が必要ですよね? 大河内の事務所のエースタレントの薬物記事なんて許可しないでしょう? それに、大河内サイドに情報が伝わりますよ」
 黒木の懸念――言われなくてもわかっていた。
 大河内案件を「スラッシュ」編集部が扱うはずがなかった。
 現に前編集長の福島(ふくしま)は責任を負わされて左遷(させん)になった。
「別件だ。いまの俺は大河内の軍門に下っている身だからな」
「え?」
「とりあえず、車を出してくれ」
 怪訝そうな顔の黒木に立浪は言った。
                   ☆
「ときには退場騒ぎの問題も起こすが、特大ホームランも打つんだな」
 デスクで谷進太郎(たにしんじろう)の記事を書いていた立浪の背後から、上機嫌に伊佐見(いさみ)が声をかけてきた。
 伊佐見は福島の後任として「週刊女性目線」から異動して「スラッシュ」の新しい編集長に就任した。
「週刊女性目線」では副編集長で、編集長の太鼓(たいこ)持ちとして優遇されていた。
 つまり長い物に巻かれる典型のような男で、「スラッシュ」のような攻撃的な写真週刊誌には一番適さないタイプだ。
 局長が伊佐見を指名した理由は、能力ではなく上の命令に意を唱(とな)えないイエスマンだからだ。
「それにしても、誠実でクリーンなイメージの谷進太郎が驚きだよ。これは、水曜日の部数報告が愉しみだねぇ」
 伊佐見が剃刀(かみそり)負けで赤らむ顎を擦(さす)りつつ声を弾(はず)ませた。
 無理もない。
 谷進太郎と言えば、牧野健に追いつけ追い越せの勢いの最も旬な俳優だ。
 だからこそ大河内は自社のエースタレントを脅かすライバルを蹴落(けお)とすために、ハニートラップにかけた谷のスキャンダル記事を「スラッシュ」に掲載するように立浪に命じたのだ。
 伊佐見にすれば就任早々の大手柄になる。
 本来なら、大手事務所のドル箱タレントのスキャンダルとなればリスクがつきもの――事務所からの圧力がつきものだ。
 だが、今回は大河内から谷の所属事務所は抑えると連絡が入ったに違いない。
 そうでなければ、事なかれ主義の伊佐見が手放しに喜ぶはずがない。
 谷の所属事務所の顔色を窺い、相手の恨みを買わないような取引をするだろう。
 大スクープを報じるには、それなりのリスクは覚悟しなければならない。
 ハイリスクハイリターンというやつだ。
 伊佐見の器はそこまで大きくはない。
「ところで立浪君、どんなテクニック使ったんだ?」
 伊佐見が立浪の隣の席に座り、ゲラを覗(のぞ)き込みながら訊ねてきた。
 口臭を消すためのミントタブレットの匂いが、立浪の鼻粘膜を不快に刺激した。
 ゆるふわな感じにセットした天然パーマ、赤縁の丸眼鏡、辛子(からし)色のアイビーチェックのスリーピースのスーツ……伊佐見のすべてが鼻につき、立浪の神経を逆撫(さかな)でした。
「どんなテクニックとは?」
 質問の意味はわかっていたが、立浪はわからない振りをした。
「大河内社長のことだよ。だって君はさ、『帝都(ていと)プロ』の系列事務所の社長とアイミーの不倫枕営業スキャンダルを掲載したことで、大河内社長の逆鱗(げきりん)に触れたわけだろう? 制裁を受けるどころか、こんなにおいしいスクープをプレゼントしてくれるなんておかしくないか? しかもバックアップ付きでさ。なぁ、どんな手を使って大河内社長を……」
「集中できないので、邪魔しないでください」
 立浪は伊佐見を遮り、にべもない態度で言った。
 遠巻きに様子を見ていた副編集長の近田(ちかだ)が噴き出した。
「その言いかたはなんだ! 私は編集長だぞ! 部下のネタの情報源について知る権利があるし、部下の君には編集長の私に報告の義務があるだろう!」
 威厳を保とうとする伊佐見が、立浪を指差しながらヒステリックに叫んだ。
「まあまあ、編集長、落ち着きましょう。立浪ちゃんの態度がよくないのはたしかですが、週明けには『スラッシュ』史上最高の実売部数を記録するかもしれない記事を書いているんですから」
 近田が駆け寄り、伊佐見を宥(なだ)めた。
「それとこれとは話は別だ! 彼は編集長の私に向かって邪魔しないでくれと言ったんだぞ!? 部下が上司に言う言葉か!」
 伊佐見がゆるふわパーマを振り乱し、甲高(かんだか)い声で喚(わめ)き散らした。
「わかります、わかりますよ! 立浪ちゃんは昔から空気を読まない自己中の男ですからね~。でも、敢(あ)えてここはグッと堪(こら)えましょう。立浪ちゃんの気を損ねて大河内社長に告げ口でもされたら、前編集長みたいになっちゃうかもですからね」
「なっ……」
 近田の言葉に、伊佐見が表情を失い絶句した。
「刺激しなければ大丈夫ですよ。立浪ちゃんは、根はいい男ですから。さあさあ、一番いい場所にある編集長のデスクに戻って、甘蜜(あまみつ)の袋綴(と)じヌードグラビアのチェックをしましょう」
 近田がまるで赤ん坊をそうするように伊佐見をあやし、フロアの最奥にあるデスクへと促した。

(第47話につづく)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み