はじめての春⑤

文字数 1,217文字

「なんだ、長谷さんか……」
「なんだって、なんや!」
 さっきの選手は、ファーストを守る外国人が投げるゴロを捕球し一塁に投げ返すという、守備前の肩ならしの練習に入っていた。
「お前な、どっちに土を持っていってんねん」
「はい? 土を持っていく? どっちって? どういうことですか?」
 長谷さんは、あからさまなため息をついた。
「どう考えても、逆やろ!」
「えっ、えっ? 逆?」
 何が逆なのかわからない。俺はただグラウンドの凹凸(おうとつ)を平らにしていただけである。テンパった俺は、トンボを持ったまま、付近の土を見くらべて右往左往した。
「もう、ええわ、邪魔くさい。どけ」
 長谷さんが、俺の体に手をかけて、思いきり引っ張った。よろけて、あやうく転びそうになった。
「お前は、そこでくるくるダンスしてればええんや」
 長谷さんだって、まだ整備の経験は一年そこそこのはずだ。それなのに、えらそうに人の持ち場を奪い去る。何が悪いのか教えてすらくれない。
 長谷さんにはじき出された瞬間、自分が何をすればいいのかわからなくなった。内野席のお客さんの笑顔が、自分を笑っているように思えてしかたがない。
 とりあえず、適当にトンボをかけはじめるが、ここが本当に整備の必要な場所なのかさえわからない。あきらかに、このグラウンドで、俺一人だけ浮いている。
 擬態をするように、さも「俺、やってます」という雰囲気をかもしだそうとはしたのだが、わかる人が見れば、手持ちぶさたで、意味のない時間つぶしをしているのは明らかだろう。気配を極力消して、帽子のつばを深く下げたとき、背後からまた声をかけられた。
「そこ、ホンマに必要か?」
 振り返ると、甲斐さんが立っていた。(しか)られたにもかかわらず、気にかけてもらえて心底ほっとする。救われたと思う。
「もう、時間やで」
 肩にやさしく手をかけられた。俺は涙をこらえて、うなずいた。甲斐さんにうながされるまま、グラウンドから引きあげる。
「お前、全然うまく歩けてへんぞ。大丈夫か?」
 緊張したときの癖で、(ひざ)がきちんと曲がらなくなる。二本の棒が下半身にくっついているようになって、ロボットのようなぎこちない歩みになってしまった。
 俺たちの横を、長谷さんが颯爽(さっそう)と追い越していった。
「お前なぁ、靴の痕がつくやろ! 何、考えてんねん、カス!」
「ごめんなさい!」
「お前がいると、プラスやなくて、マイナスになんねん。早くやめてくれへんかなぁ。最近の若いヤツは……、って俺までひとくくりで言われるの、めっちゃ迷惑やねん」
 そう言って、今度はうってかわって甲斐さんに笑顔で話しかける。
「甲斐さん、マジでやさしすぎるんすわ。こいつ、本気でトロいんやから、キツく言わなあかんと思いますけど」
「まあまあ」と、甲斐さんがとりなし、その場は事なきをえた。


→はじめての春⑥に続く

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