◆No.3 不本位の悲劇
文字数 1,732文字

私は「悲劇の本質は不本意にある」と考えています。
A:主人公が自ら進んで何かを試み、失敗する
これでも悲劇は成り立ちますが、自業自得でもあります。むしろ――
B:主人公が反対し、本来はやりたくない何かをやらされる
その結果、主人公が恐れていた通りの結末を迎える。
このほうが悲劇性が高いと思うのです。
『酔象』ではBを描きました。
主人公の山崎吉家は、朝倉家の行く末を案じて、急速に勃興する織田家との融和を懸命に主張しますが、朝倉家中は対決路線を突き進みます。吉家にとっては極めて不本意な政治決断ですが、主君が決めた以上、従うほかはない。
しかし、強大な織田家を敵に回した朝倉家は、吉家が恐れていたとおり、滅びへの道を歩んでゆきます。
吉家の懸命の努力も虚しく、形勢が悪くなるにつれ、織田との対決を声高に主張していた家臣たちも次々と朝倉家を裏切ってゆきます。
それでも吉家は、最前線で織田軍と戦い、朝倉家を滅亡から救おうと、最後まで孤軍奮闘するのです。
20年近く前、私はある組織で働いていました。
50名ほどの委員会で、ある政策課題について意見をまとめ、組織の意見として世に出すことになりました。
私は A という立場で十分な検討をしたうえで原案を作り、賛同を得ようとしました。
ところが委員会では、A案では生ぬるいとされ、B案が正式決定されました。
B 案には理論的にも問題があり、現実的でないと私は批判しましたが、聞き入れられませんでした。
そのため私は、委員会を代表してB案を説明し、組織の手続にかけて通す責任者となりました。組織では、まさに私が指摘したB案の問題点が論難されましたが、私は懸命に(私が反対していた)B案の擁護に努めたわけです。
よくある話でしょうし、ごくささやかな経験に過ぎませんが、対織田戦を戦い続けた吉家を描く時には、その時の思いを重ね合わせたりしていました。
私の描く吉家は平和主義者で、戦が嫌いなのですが、生涯を戦に明け暮れます。
ひたすら不本意な人生を生き抜いた果てに、彼は何を見たのか。
そこには何か、清々しさがあったのではないか。
そんな思いで描きました。
読了後にもしも一片の清々しさを感じて頂けるなら、望外の幸せです。
■主な登場人物
山崎吉家 内衆の重臣。宗滴五将の筆頭「仁」の将
前波吉継 義景の側近。内衆の名門、前波家の庶子
堀江景忠 加越国境を守る国衆。宗滴五将の「義」
魚住景固 内衆の重臣。宗滴五将の「智」
朝倉景鏡 義景の従兄で大野郡司。宗滴五将の「礼」
朝倉義景 第五代・越前朝倉家当主
印牧能信 景鏡の懐刀。宗滴五将の「信」
お宰 義景の三人目の室
小少将 義景の四人目の室。美濃斎藤家にゆかり
蕗 小少将の侍女
いと 吉家の室
山崎吉延 吉家の弟
朝倉伊冊(景紀) 同名衆有力者で敦賀郡司。景鏡の政敵。
朝倉宗滴 朝倉家最高の将。
